3月24日(日)は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」と呼ばれる、四旬節最後の日曜日となります。 礼拝は午前10時30分から始まります。イエス・キリストが過越しの祭りに参加されるため、預言に従い、ろばの子に乗ってエルサレムに入城された時、人々が棕櫚の葉を打ち振りながら、イエス様を待望の王様としてお迎えしたことを記念する日です。 この日よりイエス・キリストが十字架へと向われる聖週間が始まります。
当教会でもこの日は棕櫚の枝を持って讃美歌を歌いながら入場します。
どなたもどうぞご出席ください。
3月24日(日)は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」と呼ばれる、四旬節最後の日曜日となります。 礼拝は午前10時30分から始まります。イエス・キリストが過越しの祭りに参加されるため、預言に従い、ろばの子に乗ってエルサレムに入城された時、人々が棕櫚の葉を打ち振りながら、イエス様を待望の王様としてお迎えしたことを記念する日です。 この日よりイエス・キリストが十字架へと向われる聖週間が始まります。
当教会でもこの日は棕櫚の枝を持って讃美歌を歌いながら入場します。
どなたもどうぞご出席ください。
2024年2月14日(水)午後4時30分より「灰の水曜日」礼拝を行いますので、どなたも是非ご出席ください。
「灰の水曜日」より 四旬節 が始まります。この「灰の水曜日」礼拝の中で牧師は、創世記3章19節の「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」の御言葉に基づき、棕櫚の葉の灰で作った墨を親指に付け、「人よ、あなたは塵から造られたから、塵に帰ることを忘れずにいなさい。」と言いながら礼拝者の額に十字の印を付けて行きます。この額に書かれた灰の十字架は礼拝者に対して、「自分は土から造られた人間だというはかなさを思い起こし、自らの罪を謙虚に認めて神に回心し、福音を信じて生活をしていきなさい」、という促しを意味しています。額に灰の十字架を塗布されて、悔い改めの季節、四旬節を迎えましょう。
今年はクリスマス・イブの12月24日が日曜日に当たります。そのため、午前10時30分からの主日礼拝はお休みし、午後4時からクリスマス・イブ・キャンドル・サービスを行います。
キャンドル・サービス終了後は、クリスマスケーキを食べながら、私たちの主イエス・キリストの御降誕をお祝いします。
どうぞお友達を誘って、是非ご出席ください。
教会歴の新年は待降節(adventアドベント)から始まります。そして今年、2023年は12月3日(日)から待降節に入りました。
待降節(adventアドベント)は、救い主が人間世界「へ向って(ad)」「来る(vent)」、あるいはAdvento(ラテン語:だんだん近づく)のを待ち望む準備の期間です。ですから私たちは、約2000年前、歴史的に神の御子救い主イエス・キリストが、人々を永遠の滅びから救うため、この待降節に降誕されたことを思い起こしましょう。そして罪を悔い改め、いつも祈り、キリストに頼って毎日を過ごしていきましょう。これからの教会歴の新しい一年も、病気、事故、ケガから守られ、平穏で充実した一年となりますように、また世界中の紛争地に平和が訪れますようにお祈りしていきましょう。
明日、5月21日(日)はキリストの昇天主日礼拝、次週5月28日は聖霊降臨祭礼拝を行います。日曜日の礼拝は毎週午前10時30分から始まります。
聖霊降臨祭(ペンテコステ、五旬節)はキリスト教会の誕生日です。そして今年は小針福音ルーテル教会の設立献堂6周年記念日でもあります。どなたもご出席下さい。皆様のおいでをお待ちしております。
私たち人間の罪をあがなうために十字架上で死んで下さったイエス・キリストは、葬られてから3日目に復活し、40日間弟子たちに現われたのち、昇天されました。それから10日後、復活後50日目に嵐のような音と共に、キリストの弟子たちの上に炎の形をした聖霊がくだり、弟子たちは聖霊に満たされて様々な国の言葉で話し出し、キリスト教会が誕生しました。
2023年2月22日(水)午後7時30分より「灰の水曜日」礼拝を行いますので、どなたも是非ご出席ください。
「灰の水曜日」より 四旬節 が始まります。この「灰の水曜日」礼拝の中で牧師は、創世記3章19節の「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」の御言葉に基づき、棕櫚の葉の灰で作った墨を親指に付け、「人よ、あなたは塵から造られたから、塵に帰ることを忘れずにいなさい。」と言いながら礼拝者の額に十字の印を付けて行きます。この額に書かれた灰の十字架は礼拝者に対して、「自分は土から造られた人間だというはかなさを思い起こし、自らの罪を謙虚に認めて神に回心し、福音を信じて生活をしていきなさい」、という促しを意味しています。額に灰の十字架を塗布されて、悔い改めの季節、四旬節を迎えましょう。
教会歴の新年は待降節(adventアドベント)から始まります。そして今年は、11月27日(日)から待降節に入りました。
待降節(adventアドベント)は、救い主が人間世界「へ向って(ad)」「来る(vent)」、あるいはAdvento(ラテン語:だんだん近づく)のを待ち望む準備の期間です。ですから私たちは、約2000年前、歴史的に神の御子救い主イエス・キリストが、人々を永遠の滅びから救うため、この待降節に降誕されたことを思い起こしましょう。そして罪を悔い改め、いつも祈り、キリストに頼って毎日を過ごしていきましょう。これからの教会歴の新しい一年も、病気、事故、ケガから守られ、平穏で充実した一年となりますようにお祈りしていきましょう。
12月4日の待降節第二主日の礼拝では、二本のアドベント・キャンドルが灯されました。
クリスマス・イブ・キャンドルサービスを12月24日(土)午後7時30分から行います。是非ご出席ください。
2022年10月31日はマルティン・ルター博士の宗教改革505周年にあたります。
小針福音ルーテル教会では10月30日(日)午前10時30分より宗教改革記念礼拝を行いました。
宗教改革の三大原理は、ルター博士の有名な言葉「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」で現されています。
マルティン・ルター博士と宗教改革については「ルーテル教会とは」のページをご覧ください。
聖霊降臨祭(ペンテコステ、五旬節)、おめでとうございます。
イエス・キリストは昇天される時、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と言われました。そして10日後にキリストの弟子たちの上に炎の形をした聖霊がくだり、弟子たちは聖霊に満たされて、様々な国の言葉で神様の大きな御業を語り出しました。こうして弟子たちはイエス・キリストの証人となり、全世界への伝道が開始されました。そういう訳で聖霊降臨祭はキリスト教会の誕生日です。
又、聖霊降臨祭は当小針福音ルーテル教会の設立献堂五周年記念日でもありました。今年はマスクを使用しながらではありましたが、ティー・タイムを持つことが出来、主がここまで導いてくださったことを共に感謝いたしました。
この聖霊降臨をもって、イエス様の約束が全て成就したので、今週で「復活節」は終了し、来週の「三位一体主日」から、聖霊に導かれて弟子たちが宣教活動を行う「教会の時節」が始まります。
聖霊降臨祭(ペンテコステ、五旬節)はキリスト教会の誕生日です。
今年の聖霊降臨祭は6月5日です。6月5日(日)午前10時30分から聖霊降臨祭礼拝を行いますので、是非ご出席下さい。
又、この日は小針福音ルーテル教会の設立献堂5周年記念日でもあります。皆様のおいでをお待ちしております。
十字架上で死んで葬られたイエス・キリストは3日目に復活し、40日間弟子たちに現われ、昇天されました。それから10日後、復活後50日目に嵐のような音と共に、なんとキリストの弟子たちの上に炎の形をした聖霊がくだり、弟子たちは聖霊に満たされて様々な国の言葉で話し出し、ここにキリスト教会が誕生しました。
昨日4月15日(金)午後7時30分より聖金曜日礼拝を行いました。
イエス・キリストの十字架上の死によって、天地創造の初めから存在した古今東西の全人類の罪は贖われ、全ての人から罪が拭い去られました。イエス様は全人類の救いの道を完成されましたので、誰でもイエス・キリストを救い主と信じるならば、イエス様はその人を天の御国に入れる者として下さいます。
明日、4月17日(日)は復活祭です。午前10時30分から復活祭礼拝を行います。イエス・キリストは十字架に掛けられ死んでお墓に葬られましたが、イエス・キリストが預言された通り、三日目の日曜日の早朝、墓から復活されました。復活祭はキリスト教会が最大の喜びを持ってお祝いするお祭りです。共に主の御復活をお祝いしましょう。
どなたもどうぞご出席ください。
4月10日(日)に「棕櫚(しゅろ)の日曜日」礼拝を行いました。イエス様がロバの子に乗られてエルサレムに入城された時、大勢の弟子たちが棕櫚の枝を打ち振って、イエス様のエルサレム入城を喜んでお迎えしたことにちなんで、小針福音ルーテル教会でもシュロの枝を打ち振って、賛美しながら礼拝堂に入場いたしました。この棕櫚の日曜日からイエス・キリストが十字架へと向われた聖週間が始まりました。
今週4月15日(金)午後7時30分より聖金曜日礼拝を持ちます。この日、イエス・キリストは、全ての人間の罪のための贖(あがな)いの代価として十字架に付けられ、死んで下さいました。そしてお墓に葬られました。このイエス・キリストの死によって、イエス・キリストを信じる人は誰でも罪の赦しを得ることができるようになりました。
今年の復活祭は4月17日(日)です。礼拝は午前10時30分から始まります。イエス・キリストは十字架に掛けられ死んでお墓に葬られましたが、イエス・キリストの預言の通り、三日目の日曜日の早朝、墓から復活されました。復活祭はキリスト教会が最大の喜びを持ってお祝いするお祭りです。共に主の御復活をお祝いしましょう。
どなたもどうぞご出席ください。
4月10日(日)は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」と呼ばれる、四旬節最後の日曜日となります。 礼拝は午前10時30分から始まります。
イエス・キリストが過越しの祭りに参加されるため、旧約聖書の預言に従い、ろばの子に乗ってエルサレムに入城された際、人々が棕櫚の葉を打ち振りながら、イエス様を待望の王様としてお迎えしたことを記念する日です。 この日よりイエス・キリストが十字架へと向われる聖週間が始まります。
そして4月15日(金)午後7時30分より聖金曜日礼拝を持ちます。この日、イエス・キリストは、全ての人間の罪のための贖(あがな)いの代価として十字架に付けられ、死んで下さいました。そしてお墓に葬られました。このイエス・キリストの死によって、イエス・キリストを信じる人は誰でも罪の赦しを得ることができるようになりました。
今年の復活祭は4月17日(日)です。礼拝は午前10時30分から始まります。イエス・キリストは十字架に掛けられ死んでお墓に葬られましたが、イエス・キリストの預言の通り、三日目の日曜日の早朝、墓から復活されました。復活祭はキリスト教会が最大の喜びを持ってお祝いするお祭りです。共に主の御復活をお祝いしましょう。
どなたもどうぞご出席ください。
2022年2月20日(日)顕現後第七主日礼拝の説教は、ルカの福音書6章27-38節から「あなたがたが量(はか)るその秤(はかり)で、量り返してもらえる」と題して語られました。
本日のお話は、先週の「山上の説教」の続きになります。お話を聞いていたのは、イエス様が使徒として弟子たちの中から選ばれた12人と、それ以外の弟子たち、そしてイエス様のお話を聞くために集まった2万人程の群衆でした。イエス様はご自分を信じる人々(いわゆるクリスチャン)とはどのような人達を指すのかについて詳しくお話になりました。そのイエス様のお話に耳を傾けてまいりましょう。詳しくは「2月20日の説教全文」ページをご覧ください。
3月2日(水)午後7時30分より「灰の水曜日」礼拝を持ちました。
この「灰の水曜日」礼拝の中では、牧師が「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。(創世記3章19節)」という聖書の言葉に基づき、シュロの葉の灰で作った墨を親指に付け、「人よ、あなたは塵から造られたから、塵に帰ることを忘れずにいなさい。」と言いながら出席者の額に十字の印を付けて行きました。それは「自分は土から造られた人間だというはかなさを思い起こし、自らの罪を謙虚に認めて神に回心し、福音(良い知らせ=イエス・キリストは救い主)を信じて生活をしていきなさい」、と聖書が教えていることに基づいて行われました。
「灰の水曜日」から、「四旬節」が始まりました。「四旬節」はイエス・キリストが十字架での死からよみがえられた復活祭(2022年は4月17日)に備える悔い改め期間であると同時に、信仰者にとってはその信仰を新たにし、神との正しい関係に戻る期間です。
今週3月2日(水)午後7時30分より「灰の水曜日」礼拝を行いますので、どなたも是非ご出席ください。
「灰の水曜日」より 四旬節 が始まります。この「灰の水曜日」礼拝の中で牧師は、創世記3章19節の「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」の御言葉に基づき、棕櫚の葉の灰で作った墨を親指に付け、「人よ、あなたは塵から造られたから、塵に帰ることを忘れずにいなさい。」と言いながら礼拝者の額に十字の印を付けて行きます。この額に書かれた灰の十字架は礼拝者に対して、「自分は土から造られた人間だというはかなさを思い起こし、自らの罪を謙虚に認めて神に回心し、福音を信じて生活をしていきなさい」、という促しを意味しています。額に灰の十字架を塗布されて、悔い改めの季節、四旬節を迎えましょう。
2022年2月13日(日)顕現後第六主日礼拝の説教は、ルカの福音書6章17-26節から「天においてあなたがたの報いは大きい」と題して語られました。
本日のお話は、「山上の説教」と呼ばれている有名な箇所です。この「山上の説教」はマタイの福音書とルカの福音書の両方に記されています。どちらが有名かと言ったら、「9人の幸いな者」が挙げられている、マタイの福音書の「山上の説教」でしょう。しかし本日の聖書個所であるルカの福音書の「山上の説教」も負けてはいません。なぜなら、ルカの福音書では、「4人の幸いな人」に加えて「4人の哀れな人」が記されており、どのような人が幸いで、どのような人が哀れな人なのかが詳しく述べられ、どのようにしたら私たちの報いが天において大きくなるのか説明されているからです。詳しくは「2月13日の説教全文」ページをご覧ください。
2022年2月6日(日)顕現後第五主日礼拝の説教は、ルカの福音書5章1-11節から「すべてを捨ててイエスに従った」と題して語られました。
本日イエス様は、一番弟子のシモン・ペテロの上に考えられないような奇跡を起こし、シモン・ペテロのイエス様に対する認識を全く変えられました。というのは、シモン・ペテロはイエス様と行動を共にして、多くの人の病気が癒される奇蹟を間近に見、その人々のイエス様に対する見方が「イエス様は神様だ」と変化したのを、これまで何度も何度も見て来たのにもかかわらず、シモン・ペテロ自身は「イエス様は人間である」という観念から抜け出すことができませんでした。一体、イエス様はどのようにしてシモン・ペテロを「すべてを捨ててご自分に従う」ような、全く新しい人とされたのでしょうか。その奇跡を見て参りましょう。
詳しくは「2月6日の説教全文」ページをご覧ください。
2022年1月30日(日)顕現後第四主日礼拝の説教は、ルカの福音書4章31-44節から「神の国の福音を宣べ伝える」と題して語られました。
本日の聖書箇所には、宣教の本拠地と定めたカペナウムの会堂でイエス様が説教された時の様子と、その後カペナウムの人々がイエス様の所に大勢の病人を連れて来た様子を描いています。福音記者ルカは先週の説教箇所で、イエス様の説教を聞いたナザレの人々がイエス様を殺そうとした様子を描いておりました。両者のイエス様に対する態度の違いはどこから来たのでしょう。その理由を探ってまいりましょう。
詳しくは「1月30日の説教全文」ページをご覧ください。(絵:ジェームズ・ティソ「会堂にいた汚れた悪霊に憑かれた人」)
2022年1月23日(日)顕現後第三主日礼拝の説教は、ルカの福音書4章16-30節から「しかしイエスは去って行かれた」と題して語られました。
イエス様は、「救い主」の任務に就かれた後、故郷ナザレからガリラヤ湖岸の町、カペナウムに引越され、ガリラヤ湖岸の町や村の会堂で教え、全ての人から賞賛されました。そして本日、故郷のナザレの会堂で教えましたが、ナザレの人々はイエス様の教えを受け入れず、憤りに満たされ、イエス様を町の外に追い出し、崖の上から落として殺そうとしました。なぜナザレの人々はイエス様を殺そうとしたのでしょうか。その理由を探ってまいりましょう。
詳しくは「1月23日の説教全文」ページをご覧ください。
教会歴の新年は待降節(adventアドベント)から始まります。そして今年は、11月28日(日)から待降節に入りました。
待降節(adventアドベント)は、救い主が人間世界「へ向って(ad)」「来る(vent)」、あるいはAdvento(ラテン語:だんだん近づく)のを待ち望む準備の期間です。ですから私たちは、2000年前、歴史的に神の御子救い主イエス・キリストが、人々を永遠の滅びから救うため、この待降節に降誕されたことを思い起こしましょう。そして罪を悔い改め、いつも祈り、キリストに頼って毎日を過ごしていきましょう。これからの教会歴の新しい一年も、新型コロナウィルス感染症や病気、事故、ケガから守られ、平穏で充実した一年となりますようにお祈りしていきましょう。
11月28日の待降節第一主日の礼拝のために、クリスマスツリーにライトを飾りました。来週の礼拝までにはオーナメントを飾り付けます。
クリスマスイブ礼拝は12月24日午後7時30分から行います。是非ご出席ください。
2021年10月31日はマルティン・ルター博士の宗教改革504周年です。
マルティン・ルター博士と宗教改革については「ルーテル教会とは」のページをご覧ください。
小針福音ルーテル教会では10月31日(日)午前10時30分より宗教改革記念日礼拝を行います。
どなたもどうぞご出席ください。
7月18日(日) 聖霊降臨後第第八主日礼拝の説教は、マルコの福音書6章30-44節から「パンを食べたのは、男が五千人」と題して語られました。
本日の聖書箇所は2週間前の7月4日の聖書箇所の続きです。イエス様は、草原に集まった成人男性だけでも5千人、成人女性や子供も含めれば1万5千人位の大群衆に、天の御国のお話を語られただけでなく、祝福された五つのパンと二匹の魚でその大群衆の胃袋を満たすという奇跡を行われました。そして福音宣教の旅から帰って来たばかりの弟子たちにその配膳の給仕をさせました。なぜイエス様は、激しい福音宣教の旅から戻って来たばかりの弟子たちに「パンを食べたのは、男が五千人」の奇跡を体験させられたのでしょうか。その謎を探ってまいりましょう。詳しくは「7月18日の説教全文」ページをご覧ください。
7月11日(日) 聖霊降臨後第第七主日礼拝の説教は、マルコの福音書6章14-29節から「イエスの名が知れ渡った」と題して語られました。
本日の聖書箇所には、イエスのお名前が多くの人々に知られるようになった結果、ガリラヤ地方の国主ヘロデ・アンティパスは、自分が首をはねた洗礼者ヨハネがよみがえったのだと信じ込むようになったことが語られています。なぜ福音記者マルコは、イエスのお名前の流布に関連して、洗礼者ヨハネの斬首に到る経緯を詳しく記したのでしょうか。詳しくは「7月11日の説教全文」ページをご覧ください。
7月4日(日) 聖霊降臨後第第六主日礼拝の説教は、マルコの福音書6章1-13節から「人々が悔い改めるように宣べ伝えた」と題して語られました。
今回の聖書箇所でイエス様は、故郷のナザレの町の会堂で初めて説教されましたが、ナザレの町の人々はイエス様が既に他の町や村で行われた癒しの奇跡を見聞きしていたのに、預言者とさえも認めることができませんでした。どうしてナザレの人々はイエス様を預言者とさえも認めることが出来なかったのでしょうか。また、その後イエス様は弟子たちを宣教活動に遣わし、「人々が悔い改めるように宣べ伝えさせ」ました。なぜ弟子たちが宣べ伝えた内容は「悔い改め」だったのでしょうか。これらの理由を探ってまいります。詳しくは「7月4日の説教全文」ページをご覧ください。
6月27日(日) 聖霊降臨後第五主日礼拝の説教は、マルコの福音書5章21-43節から「恐れないで、ただ信じていなさい」と題して語られました。
今回の聖書箇所には、二つの癒しの奇跡が書かれています。そして劇の中で、もう一つの劇が行われているような、不思議な構成となっています。なぜイエス様は、この様な複雑な対応をされたのでしょうか。この理由を探ってまいりましょう。詳しくは「6月27日の説教全文」ページをご覧ください。
6月20日(日) 聖霊降臨後第四主日礼拝の説教は、マルコの福音書4章35-41節から「風や湖までが言うことを聞くとは」と題して語られました。
イエス・キリストは本日、弟子たちに「向こう岸に渡ろう。」と言われて、弟子たちを身の危険を覚える大嵐に遭わせられました。なぜイエス様は愛する弟子たちに身の危険を覚えるような大嵐を体験させたのでしょうか。その理由をさぐってまいりましょう。詳しくは「6月20日の説教全文」ページをご覧ください。
6月6日(日) 聖霊降臨後第二主日礼拝の説教は、マルコの福音書3章20-35節から「神のみこころを行う人が主の家族」と題して語られました。
イエス・キリストは「神のみこころを行う人が、私の兄弟、姉妹、母なのです。」と言われました。神のみこころとは何か、そしてそのみこころを行うとはどのような行為をすることなのか、それが本日のテーマです。このテーマについて聖書に聞いて参りましょう。詳しくは「6月6日の説教全文」ページをご覧ください。
6月13日(日) 聖霊降臨後第三主日礼拝の説教は、マルコの福音書4章26-34節から「神の国は人が地に種を蒔くようなもの」と題して語られました。
イエス・キリストは、本日民衆の聞く力に合わせて、例え話を用いて神の国のお話をされました。イエス様のたとえ話は聞いて面白く、記憶に残り易いお話ですが、何を例えているのかを知ろうとすると何も分かりません。しかし記憶に残ったその例え話は神の言葉であるので、時が経つに従い人の心の中に染み込み、ある時突然理解できるようになるのです。そして理解できるようになった人はだれでも神の国の素晴らしさを知り、畏れて悔い改め、この世に生きていながら、神の国の素晴らしい生活を味わうようになります。あなたも神の国の素晴らしさを味わってみませんか。詳しくは「6月13日の説教全文」ページをご覧ください。
5月30日(日) 聖三位一体主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書3章1-17節から「水と御霊によって神の国に入る」と題して語られました。
キリスト教では聖霊降臨後の最初の日曜日を「聖三位一体主日」(せい・さんみ・いったい・しゅじつ)としています。「三位一体」と言う言葉は、一人の神が、御父(神)と、御子(イエス・キリスト、人の子)と、聖霊(御霊)の三つの姿で現れて、人間を滅びから救おうとしておられるという聖書の教えを表す言葉です。本日の聖書箇所で、まさに三位一体の神様が人間に永遠の命を得させようとしておられる様子が説明されていますので、詳しく見て行きましょう。詳しくは「5月30日の説教全文」ページをご覧ください。
5月23日(日) 聖霊降臨祭礼拝の説教は、ヨハネの福音書15章26-27、16章4b-15節から「真理の御霊がイエスについて証しする」と題して語られました。
今から約二千年前、ユダヤの国の五旬節の日に、聖霊が天からイエス・キリストの弟子たちの上に降(くだ)られ、この世は「終りの時代」に入りました。この「終わりの時代」はまた「教会の時代」でもあります。この日、聖霊に満たされた弟子たちは、様々な国の言葉でイエス・キリストのお話や奇跡を証しし、そしてペテロの説教を聞いた三千人程の人々がイエス・キリストを信じました。こうして「教会の時代」がスタートしたのです。神様はこの教会の時代を、善人から極悪人まで、全ての人を一人残らず天の御国に導くために用意されました。その用意された経緯が本日の聖書箇所に詳しく述べられていますので、聖書に聞いて参りましょう。詳しくは「5月23日の説教全文」ページをご覧ください。
5月16日(日) 私たちの主の昇天主日礼拝の説教は、ルカの福音書24章44-53節から「主イエスは天に上げられた」と題して語られました。
イエス様はヨセフさんとマリアさんの子供としてこの世に生まれたのに、なぜ天に昇って行かなければならなかったのでしょうか。その理由が三つありますので、その理由を本日の聖書箇所に聞いて参りましょう。詳しくは「5月16日の説教全文」ページをご覧ください。
5月9日(日) 復活節第六主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書15章9-17節から「私の愛の内に留まりなさい」と題して語られました。
私達は親を愛し、兄弟姉妹を愛し、子供を愛し、友人を愛し、先生を愛し、祖国を愛します。また仕事を愛し、暮らしを愛し、絵を愛し、音楽を愛し、本を愛し、ペットを愛します。愛とは何でしょうか。この愛を持つ人となるためには、私達は一体どうすれば良いのでしょうか。それを本日探ってまいりましょう。詳しくは「5月9日の説教全文」ページをご覧ください。
5月2日(日) 復活節第五主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書15章1-8節から「私の内に留まりなさい」と題して語られました。
人間の心の内をご覧になられるイエス様は、十字架に掛かられる時が近づいて来たので、最後の晩餐を終えられた後、何が起こってもご自分を信じる信仰の内に留まっているようにと、例え話を用いて弟子たちにお話しされました。もしイエス様の内に留まっていないとどうなるのでしょうか。また、イエス様の内に留まっていると私たちの人生はどのように変えられていくのでしょうか。本日のイエス様のお話に聞いて参りましょう。詳しくは「5月2日の説教全文」ページをご覧ください。
4月25日(日) 復活節第四主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書10章11-18節から「良い牧者は羊のためにいのちを捨てる」と題して語られました。
イエス・キリストは今回の例え話を通して、ご自分を、「良い牧者」と言われました。なぜイエス・キリストはご自分のことを「良い牧者」と言われたのでしょうか。そして例え話の「雇い人の牧者たち」や「羊」や「狼」とは誰を例えているのか、その謎を探ってまいります。詳しくは「4月25日の説教全文」ページをご覧ください。
4月18日(日) 復活節第三主日礼拝の説教は、ルカの福音書24章36-49節から「罪の赦(ゆる)しを得させる悔い改め」と題して語られました。
イエス・キリストは復活された日の夕方、死んだはずのイエス様が弟子たちの前に現れ、イエス様を見て怯えた弟子たちに、「両手両足にしっかりと触り、脇腹に手を入れて、肉も骨もあることを確認しなさい。」と命じられただけでなく、弟子たちの見ている前で焼いた魚を召し上がられました。なぜイエス様はわざわざ焼き魚を弟子たちの目の前で食べて見せたのでしょうか。説教ではこの謎を探っております。詳しくは「4月18日の説教全文」ページをご覧ください。
4月11日(日) 復活節第二主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書20章19-31節から「イエスの名によっていのちを得る」と題して語られました。
今回登場するイエス様の弟子の一人デドモ(ギリシャ語で「双子」の意)と呼ばれるトマスは、非常に疑い深い人で、人の話をホイホイと信じるような人でなく、自分自身の目と手と指で直接確認しなければ信じない、実証主義の人でした。この頑固一徹な弟子を、イエス・キリストはどのようにしてご自分の復活を信じ、証しする人へと変えていかれたのかが今回のテーマです。詳しくは「4月11日の説教全文」ページをご覧ください。
4月4日は 私たちの主の復活祭でした。この私たちの主の復活祭より 教会暦の復活節に入ります。説教は聖マルコの福音書16章1節-8節から、「あの方はよみがえられました」と題して語られました。
十字架に掛けられてお墓に葬られたイエス・キリストが、三日目の日曜日に復活されたことにより、弟子たちはイエス・キリストが人間となられた神様であると分かり、日曜日を主イエス・キリストの日と定め、毎日曜日に教会に集ってイエス・キリストを礼拝するようになりました。イエス・キリストを神と信じる時、私達はこの神様によって罪赦(ゆる)され、溢れる喜びと感謝の気持ちに満たされます。そしてその人はこの世に在って天国に入ることが許されます。これが復活祭の喜びであり、キリスト教の本質です。詳しくは「4月4日の説教全文」ページをご覧ください。
今年の復活祭は4月4日(日)です。礼拝は午前10時30分から始まります。イエス・キリストは十字架に掛けられ死んでお墓に葬られましたが、イエス・キリストの預言の通り、三日目の日曜日の早朝、墓から復活されました。復活祭はキリスト教会が最大の喜びを持ってお祝いするお祭りです。共に主の御復活をお祝いしましょう。
どなたもどうぞご出席ください。
3月28日は棕櫚(シュロ)の日曜日でした。この棕櫚(シュロ)の日曜日より聖週間が始まりました。説教は聖マルコの福音書11章12-20節から「私の家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」と題して語られました。
イエス・キリストはこの棕櫚の日曜日、弟子たちが棕櫚の枝を打ち振って賛美する中を、子ロバに乗られてエルサレムの町に入城されました。そして翌日の月曜日、エルサレム神殿に再度やって来られ、神殿内で、そこがまるで市場であるかのように行われていたいけにえの売買を止めさせて、宮清めをなさいました。イエス様は公生涯に入られた3年前にも同じように宮清めをされておられます。この2回行われた宮清めでイエス様は一体何を教えられたのでしょうか。本日の聖書箇所に聞いていきましょう。。詳しくは「3月28日の説教全文」ページをご覧ください。
3月28日(日)は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」と呼ばれる、四旬節最後の日曜日となります。 礼拝は午前10時30分から始まります。
イエス・キリストが過越しの祭りに参加されるため、旧約聖書の預言に従い、ろばの子に乗ってエルサレムに入城された際、人々が棕櫚の葉を打ち振りながら、イエス様を待望の王様としてお迎えしたことを記念する日です。 この日よりイエス・キリストが十字架へと向われる聖週間が始まります。
そして4月2日(金)午後7時30分より聖金曜日礼拝を持ちます。この日、イエス・キリストは、全ての人間の罪のための贖(あがな)いの代価として十字架に付けられ、死んで下さいました。そしてお墓に葬られました。このイエス・キリストの死によって、イエス・キリストを信じる人は誰でも罪の赦しを得ることができるようになりました。
今年の復活祭は4月4日(日)です。礼拝は午前10時30分から始まります。イエス・キリストは十字架に掛けられ死んでお墓に葬られましたが、イエス・キリストの預言の通り、三日目の日曜日の早朝、墓から復活されました。復活祭はキリスト教会が最大の喜びを持ってお祝いするお祭りです。共に主の御復活をお祝いしましょう。
どなたもどうぞご出席ください。
3月14日(日) 四旬節第四主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書3章14-21節から「永遠のいのちを持つためには」と題して語られました。
今回の話題は、イエス様がイスラエルの教師でありパリサイ人であるニコデモさんに永遠のいのちを持つ方法を伝授する場面です。永遠のいのちとは何か、永遠のいのちを持つと何の良いことが有るのか、そして永遠のいのちを得るにはどうしたら良いのか、などを聖書に聞いていきます。詳しくは「3月14日の説教全文」ページをご覧ください。
3月7日(日) 四旬節第三主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書2章13-22節から「わたしは、三日でそれをよみがえらせる」と題して語られました。
今回の話題は、イエス様が救い主として公生涯の初めに、エルサレムで開かれる過越(すぎこし)の祭りに参加され、エルサレム神殿の宮清めをされた時のお話です。どうしてイエス様は公生涯の初めに宮清めをされたのでしょうか。本日はこの謎を探って行きます。詳しくは「3月7日の説教全文」ページをご覧ください。
2月28日(日) 四旬節第二主日礼拝の説教は、マルコの福音書8章27-38節から「私と福音のために命を失う」と題して語られました。
私達の人生はこの世に始まりますが、この世で終わるわけではありません。私達の人生は永遠に続くのです。この世は私たちの死後の人生を決める試験会場です。この世が楽しい事と辛い事の両方の味見ができるのはその為です。私たちはこの世を去る時どのような答えを出さなければならないのでしょうか。今週の聖書箇所では、私達がどのようにこの世を送って行かなければならないかが教えられています。それを見てまいりましょう。詳しくは「2月28日の説教全文」ページをご覧ください。
2月21日(日) 四旬節第一主日礼拝の説教は、マルコの福音書1章9節から15節から「悔い改めて福音を信じなさい」と題して語られました。
クリスチャンにとって信仰を新たにする四旬節に入りました。イエス・キリストはその宣教開始の第一声から「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と呼びかけておられます。本日は、なぜ人は悔い改めなければならないのか、その根本的な理由について聖書に聞いてまいりましょう。詳しくは「2月21日の説教全文」ページをご覧ください。
2月14日(日) 私たちの主の変容礼拝の説教は、マルコの福音書9章2-9節から「彼らの目の前でその御姿が変わった」と題して語られました。
イエス・キリストは十字架に掛かられる約半年前、弟子たち3人を連れて高い山の頂上に行き、3人の弟子たちが見守る中で、神としての御自分の光り輝く本当の姿を現されました。なぜこの時期に、イエス様は神様としての本当の姿を、弟子たちにお見せになられたのでしょうか。その理由を今回の聖書箇所に聞いて参りましょう。詳しくは「2月14日の説教全文 」ページをご覧ください。
2月17日(水)午後7時30分より「灰の水曜日礼拝」を持ちました。
礼拝の中では、牧師が、「人よ、あなたは塵から造られたから、塵に帰ることを忘れずにいなさい。」と言いながら礼拝者の額に十字の印を付けていきました。雪のちらつく天気の中、出席者も与えられ、無事、「灰の水曜日」を迎えることが出来たことは感謝です。
そして「灰の水曜日」から、「四旬節」が始まりました。「四旬節」は、イエス・キリストが十字架での死からよみがえられた復活祭に備える、悔い改めの期間であり、信仰者にとってはその信仰を新たにし、神との正しい関係に戻る期間です。「四旬節を失う者は、その一年を失う」と言われるほどに、大切に見なされてきました。今年の復活祭は4月4日です。これからの6週間を、日々御言葉と讃美と祈りに心を傾け、大切に過ごして行きましょう。
次週2月14日(日)は「私達の主の変容」主日です。次週の前半で顕現節は終わり、2月17日(水)の「灰の水曜日」より四旬節が始まります。
この「灰の水曜日」礼拝の中で牧師は、創世記3章19節の「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」の御言葉に基づき、棕櫚の葉の灰で作った墨を親指に付け、「人よ、あなたは塵から造られたから、塵に帰ることを忘れずにいなさい。」と言いながら礼拝者の額に十字の印を付けて行きます。この額に書かれた灰の十字架は礼拝者に対して、「自分は土から造られた人間だというはかなさを思い起こし、自らの罪を謙虚に認めて神に回心し、福音を信じて生活をしていきなさい」、という促しを意味しています。
来たる2月17日午後7時30分より「灰の水曜日礼拝」を持ちますので、どなたも是非ご出席ください。額に灰の十字架を塗布されて、悔い改めの季節、四旬節を迎えましょう。
1月初めの除雪等、多忙のために遅れていた説教の掲載は、今回、先週と今週の説教掲載で漸く追いつくことが出来ました。
1月31日(日) 顕現後第四主日礼拝の説教は、マルコの福音書1章21節から28節から「権威ある新しい教え」と題して語られました。
イエス・キリストは、ご自分の宣教本拠地をカペナウムに定め、その宣教開始の説教を本日カペナウムの会堂(シナゴーグ)で語られました。その語られた説教は残念ながら記されてはいませんが、その説教を聞いた民衆の反応が記されています。民衆は異口同音にイエス・キリストの説教を「権威ある新しい教え」と認めました。その「権威ある新しい教え」とは何かを共に見ていきましょう。詳しくは「1月31日の説教全文」ページをご覧ください。
2月7日(日) 顕現後第五主日礼拝の説教は、マルコの福音書1章29節から39節から「私はそこでも福音を伝えよう」と題して語られました。
イエス様は本日の聖書箇所で、御言葉を宣べ伝える事の大切さを述べておられます。なぜ御言葉を宣べ伝える事が大切なのか、そのことを共に聞いて参りましょう。詳しくは「2月7日の説教全文」ページをご覧ください。
1月24日(日) 顕現後第三主日礼拝の説教は、マルコの福音書1章14節から20節から「時が満ち、神の国が近づいた」と題して語られました。
イエス・キリストはヨルダン川で洗礼を受けられた後、イスラエル北部のガリラヤに戻られ、福音宣教を開始されました。イエス様の福音伝道の第一声は「時は満ち、神の国は近づいた」です。説教では、「『時が満ちた』とは何のことか、『神の国は近づいた』とはどういうことか、それが私達にどのような関係が有るのか」が解き明かされており、コロナ禍の息苦しい今の時代だけでなく、生き苦しい人生を生き生きと過ごす秘訣が述べられています。参考にしていただければ幸いです。詳しくは「1月24日の説教全文」ページをご覧ください。
1月17日(日) 顕現後第二主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書1章43-51節から「わたしに従ってきなさい」と題して語られました。
「イエス様に従う」とはどのようなことを意味するのでしょうか。それは結果的に、神様に祝福される生活となることを意味します。イエス様に従う人だけが祝福されるだけでなく、その人の家族も、その人が属する社会も祝福されることを意味します。その祝福のもととなるイエス様に従う方法について本日の聖書箇所が教えておりますので、共に聞いて参りましょう。詳しくは「1月17日の説教全文」ページをご覧ください。
私たちがこの世に生きていて、平安で楽しいことばかり続くでしょうか。そうではありませんね。かえって不安で苦しいことの方が多いのではないでしょうか。特にコロナ禍の今日、死の恐れも身近な問題となっています。この生きるに不安で苦しいこの世を、私たちが安心安全の心で楽しく過ごすために、本日神様であるイエス・キリストが洗礼を受けられました。「神様なのにどうして人間と同じように洗礼が必要なの」、と言う疑問が出てきます。その疑問を一つ一つ見てまいりましょう。詳しくは「1月10日の説教全文」ページをご覧ください。
キリストの洗礼、アンドレア・デル・ヴェロッキオ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、他の合作 (1472- 1475年頃)、ウフィツィ美術館(イタリア、フィレンツェ)
説教の時にマスクをしていると不明瞭になり、聞き取りにくいとの声に応え、祭壇と説教台にパーテーションを設置しました。若林牧師は昨年12月30日からパーテーションの設計を始め、大晦日と元旦に休日返上で購入したアクリル板の角を落とすなどの加工をして、1月2日(土)午前に設置完了、1月3日(日)の礼拝に間に合って使用を始めました。
普段は殆ど積雪の無い新潟市ですが、今年は1月1日元旦から雪が降りました。特に1月8日(金)の夜からの降雪で、9日(土)の朝には当教会のある新潟市西区で約50cmの積雪、除雪車が教会の前に置いていった固められた道路除雪の山は80cmもあり、日曜日に教会へ入れるようにするため、除雪に5時間半掛かりました。そして1月11日(月)の朝には更に25cmの降雪、1月18日(月)の朝には新たに20cmの降雪と、新潟市にしては大雪が降りました。雪を捨てる場所が無いため、雪のブロックを作って積み上げました。もっともっと雪深い地方の方々のご苦労はいかばかりかとしみじみと感じております。
2020年12月31日 パーテーション設置のためにアクリル板の角落とし加工中
説教題のパーテーション
2021年1月1日 祭壇のパーテーション設置中
祭壇のパーテーション設置2
祭壇のパーテーション設置3
2021年1月3日説教中
聖餐式
2021年1月9日(土)朝の積雪約50cm
2021年1月9日朝、車もすっぽりと雪で覆われて、まるで象のよう
2021年1月9日朝、歩道用除雪車の除雪後
2021年1月9日午後7時30分、5時間半の除雪後
雪のブロック作り
雪のブロックを積み上げました
2021年1月12日、かなり除雪が進みました
昨年暮れからパーテーションの設置、今年の記録的大雪の除雪等、多忙のため説教の掲載が遅れておりますが、順次掲載する予定です。今回は今年最初の礼拝の説教を掲載しました。
欧米では昔から1月6日を神の御子、幼子のイエス・キリストの顕現日(けんげんび)と定めております。顕現とは神や仏が人間にはっきりと姿を現すことを言い、キリスト教では、ユダヤ人以外の民族(異邦人)に初めてご自身を示された日を顕現日としてお祝いしており、この日までをクリスマスとしてお祝いします。当教会でも1月6日まではクリスマスツリーを飾っていました。
イエス様が誕生された時、東の国の博士たちは異邦人の代表者として招かれ、遠路はるばるユダヤの国までやって来ました。彼らはなぜ、見も知らない赤子を礼拝するために貴重な贈り物を持ってやって来たのでしょうか。その謎を共に追ってみましょう。詳しくは「1月3日の説教全文」ページをご覧ください。
ピーテル・パウル・ルーベンス:東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)
明けましておめでとうございます。今年一年間、皆様の上に主の祝福が豊かにありますように。
多忙のため、説教の掲載が遅れておりますが、順次掲載する予定です。今回は3回分の説教を掲載しました。
12月20日(日) 待降節(Adventアドベント)第四主日礼拝の説教は、ルカの福音書1章26-38節から「私は主のはしためです」と題して語られました。
「受胎告知」と言う題名で有名な本日のお話は、天使ガブリエルがマリアさんに現れ、「あなたは神から恵みを受けたのです。あなたは身ごもって男の子を産みます。この任務を引き受けてくれますか。」と問う場面です。この天使の突然の訪問に冷静沈着に対応するマリアさんとはどのような性格の持ち主なのでしょうか。共に聞いて参りましょう。詳しくは「12月20日の説教全文」ページをご覧ください。
12月24日(木) クリスマス・イブ の説教は、ルカの福音書2章1-20節から「飼葉桶(かいばおけ)に眠る救い主」と題して語られました。
イエス様はクリスマス・イブに誕生されました。その生まれたばかりの赤子であるイエス様は布にくるまれ、何と飼葉桶(かいばおけ)に寝かされたのです。馬の唾液で汚れ、においもキツイ飼葉桶に寝かされるなんてビックリです。どうしてイエス様は飼葉桶に寝かされるようになったのでしょうか。その謎を追ってみたいと思います。詳しくは「12月24日の説教全文 」ページをご覧ください。
12月27日(日) 降誕節(クリスマス)第一主日礼拝の説教は、ルカの福音書2章22-40節から「あなたの御救いを見た」と題して語られました。
本日の説教では、悪性の疫病であるコロナ禍の中に在って、どのようにしたらこの疫病から守られて、安全安心の生活ができるのか、その方法が語られています。クリスチャンであるからと言って、コロナ・ウィルス感染症にかからないという保証はありません。大切なことはどのような信仰を持ったクリスチャンであるかです。その信仰を見てまいりましょう。詳しくは「12月27日の説教全文」ページをご覧ください。
12月13日(日) 待降節(Adventアドベント)第三主日礼拝の説教は、ヨハネの福音書1章6-8、19-28節から「光について証しするために来た」と題して語られました。
今回の聖書箇所も洗礼者ヨハネについての話です。洗礼者ヨハネの役割は、神の言葉と呼ばれる「神の御子イエス・キリスト」を、偶像礼拝絶対禁止のユダヤ人社会に紹介することでした。この神の御子はクリスマスにお生まれになり、人間社会の中で成長されたお方です。この人間としか思えない生ける神イエス・キリストを、洗礼者ヨハネはキリストの先駆けとなり、ユダヤ人の間に救い主として紹介したのです。詳しくは「12月13日の説教全文」ページをご覧ください。
12月6日(日) 待降節(Adventアドベント)第二主日礼拝の説教は、マルコの福音書1章1~8節から「主の通られる道を真っすぐにせよ」と題して語られました。
今回の聖書箇所であるマルコの福音書は「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。」という言葉から始まっており、これから「神の子イエス・キリストの福音(良い知らせ)物語の始まりー、始まりー」、と私たちに告げています。そしてその物語の最初に、イエス・キリストの先駆けとして遣わされた洗礼者ヨハネは叫びました。「主の道を用意せよ。主の通られる道を真っすぐにせよ。」この言葉が、このコロナ禍の今を神様に守られてやり過ごす秘訣です。詳しくは「12月6日の説教全文」ページをご覧ください。
11月29日(日) 待降節第一主日礼拝の説教は、マルコの福音書11章1~10節から「主の御名によって来られる方」と題して語られました。
11月29日(日)から、待降節(Adventアドベント)が始まりました。待降節は12月24日のクリスマス・イブまで、4週間続きます。アドベントの意味は「到来」で、救い主が人間世界に来られることを待ち望むための準備の期間です。今回の待降節第一週目の話題は、コロナ疫病真っ盛りの今、何処から忍び寄ってくるのかわからないウィルスから守られるために、「待降節をどのような心構えで過ごしたら良いのか」です。詳しくは「11月29日の説教全文」ページをご覧ください。
2020年は11月29日(日)から教会歴の新年を迎えます。11月29日(日)から始まる待降節(adventアドベント)は、救い主が人間世界に(ad)来られる(vent)ことを待ち望む準備の期間です。
ですからこの待降節は、神様であられるキリストが人々の間に臨在されることによって、人々を永遠の滅びから救うために来られたことを私たちに思い起こさせ、罪を悔い改めさせ、生活の全般においてキリストに頼らなければならない事を思い起こさせる時です。そういうわけで、待降節の色は悔い改めを示す紫となります。
新しい一年も私たちの主イエス・キリストを通して祈りつつ、主の力によって、一つ一つ成し遂げてまいりましょう。特に病気や、事故やケガから守られ、平穏で、充実した一年とさせていただきましょう。
今年は新しいクリスマス・リースを造り、教会玄関に飾りました。クリスマス・イブにはキャンドル・サービスを行います。是非ご出席ください。
11月22日(日) 聖霊降臨後最終主日礼拝の説教は、マタイの福音書25章31~46節から「御国を受け継ぎなさい」と題して語られました。
最後の審判の時には、すべての国の人々は、神の御前に集められ、イエス・キリストによって、羊飼いが羊をやぎからより分けるように、より分けられます。今回の話題は「この世の最後の日の審判で、どのようにしたら天の御国を受け継ぐ者にしていただけるのか」です。反対に言うならば、「どのようにしたら地獄行きと宣告されないようにするか」です。そのために、私たちは日々、どのように過ごしたら良いのでしょうか。
詳しくは「11月22日の説教全文」ページをご覧ください。
11月15日(日) 聖霊降臨後第二十四主日礼拝の説教は、マタイの福音書25章14~30節から「良い忠実なしもべ」と題して語られました。
今回は、先週に続き、天の御国についてのたとえ話で、旅に出るにあたり、自分のしもべたちに財産を預けた人の話です。このしもべたちには、「良い忠実なしもべ」と「悪い、怠け者のしもべ」の2種類のしもべがいました。
私たちは、この教会暦の終末節において、「どのようにしたら天の御国から追い出されない『良い忠実なしもべ』となれるのか」、が問われております。本日の聖書箇所を通してイエス様はその方法を教えております。
詳しくは「11月15日の説教全文」ページをご覧ください。
11月8日(日) 聖霊降臨後第二十三主日礼拝の説教は、マタイの福音書25章1~13節から「その日、その時をあなたがたは知らない」と題して語られました。イエス様のお話は「十人の娘たちのたとえ」です。
先週の「全聖徒の日」より11月28日まで、教会暦における「終末節」に入りました。この終末節は、人類全ての者がこの世の最後の日への途上にいることを再認識するためにあります。
この世の最後の日は、神学用語で「キリストの再臨の日」と呼ばれており、何時の日かキリストは裁き主として、再びこの世においでになります。全ての民は死からよみがり、キリストの前に立つことになります。この日、大切な事は、私たちがこの新しい天と新しい地に入れる者とされるのかどうかということです。どうしたら、私たちは新しい天地に住むことが出来るようになるのでしょうか。詳しくは「今週の説教全文」ページをご覧ください。
11月1日(日) 全聖徒の日礼拝の説教は、ヨハネの黙示録7章9~17節から「涙をことごとくぬぐい取られる」と題して語られました。
今回も、祝日「全聖徒の日」を記念して、福音書ではなく、聖書の最後を締めくくる書である、「ヨハネの黙示録」から、死後、天の御国に入った人々の様子が語られています。
この世は何のためにあるのでしょうか、私たちはなぜ死ななければならないのでしょうか、死後はどうなるのでしょうか。また神様とはどのようなお方なのでしょうか。神様は、御自分に逆らう人を裁かれる恐ろしいお方でありますが、また御自分の許に逃れてくる人たちには、「涙をことごとくぬぐい取ってくださる」とても優しいお方でもあります。詳しくは「11月1日の説教全文」ページをご覧ください。
10月25日(日)宗教改革主日礼拝の説教は、ローマ人への手紙3章19-28節より、「信仰によって義と認められる」と題して語られました。
今週は、宗教改革503周年を記念して、福音書ではなく、使徒書の「ローマ人への手紙」からのお話です。そしてテーマは宗教改革の三大スローガン「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」にちなみ、「信仰」です。「信仰」とは神様が聖書を通して伝えてくださる、罪の赦しの恵みを受け取るための手段です。いくら罪滅ぼしに良いことをしても罪は無くなりません。裁判官である神様の「無罪!」という宣言によって以外、無くならないのです。
今回は、全ての人が神様からの無罪判決を勝ち取り、祝福に満ちた人生を送られることを願って、無罪判決を受ける方法が話されております。詳しくは「10月25日の説教全文」ページをご覧ください。
2020年10月31日はマルティン・ルター博士の宗教改革503周年です。
マルティン・ルター博士と宗教改革については「ルーテル教会とは」のページをご覧ください。
小針福音ルーテル教会では10月25日(日)午前10時30分より宗教改革主日礼拝を行いました。
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10月18日(日)聖霊降臨後第二十主日礼拝の説教は、マタイ22章15~22節より、「神のものは神に返しなさい」と題して語られました。
今回のお話は、税金のお話です。イエス様が宣教活動されていた時、ユダヤの国はローマ帝国に支配されていたので、自分たちが昔から支払っている神殿税の他に、ローマ帝国からは人頭税を徴収され、人々は二重課税に悩んでいました。イエス様を敵視するパリサイ人はこの二重課税を利用してイエス様の言葉尻を捉え、イエス様をローマ総督の支配と権威に引き渡そうと、罠を仕掛けるためにイエス様に近づきます。
イエス様はこの時のパリサイ人らとのやり取りを通して、私たちに税金に対してどのように接しなければならないかを教えておられます。詳しくは「10月18日の説教全文」ページをご覧ください。
10月11日(日)聖霊降臨後第十九主日礼拝の説教は、マタイ22章1~14節より、「選ばれる人は少ない」と題して語られました。
今回のお話は、天の御国を、王子の結婚の披露宴を催した王様に例えたお話です。この例え話でイエス様は、御自分が昇天された後、使徒や執事や信者たちによる伝道の働きが全世界に広がり、天の御国に入国する人が増えていくことを預言しておられます。
イエス・キリストの十字架を契機として、古今東西の全ての人に天の御国で開かれる結婚披露宴への招待状が送られました。非常に多くの人がこの披露宴に招かれています。しかしイエス・キリストは本日の例え話で、「選ばれる人は少ない」と言われます。多くの人が招待されているのに、選ばれる人は少ないとはどうしてなのでしょうか。その理由をイエス様は本日の例え話の中で教えておられます。詳しくは「10月11日の説教全文」ページをご覧ください。
10月4日(日)聖霊降臨後第十八主日礼拝の説教は、マタイ21章33~46節より、「神の国の実を結ぶ民」と題して語られました。
今回のお話は、ぶどう園の主人とそのぶどう園を借りた農夫たちのたとえ話の解き明かしです。農夫たちは、収穫の一部を賃料として受け取るために遣わされた主人の僕たちを殺し、そして、後から遣わされた主人の息子までをも殺してしまい、ぶどう園を自分たちの物にしようとしました。この結果、この農夫たちは主人からどんな扱いを受けたでしょうか。
このたとえ話を通して、イエス様は「神の国はあなたがた(ユダヤ人)から取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられる」言われました。そしてどのようにしたら私たちは神の国の実を結び、神の国に入ることができるのか、その方法を教えてくださいました。詳しくは「10月4日の説教全文」ページをご覧ください。
9月27日(日)聖霊降臨後第十七主日礼拝の説教は、マタイ21章23~32節より、「後になって思い直す」と題して語られました。
今週のイエス・キリストの例え話は、「今日、ぶどう園に行って働いてくれ」と頼まれ、すぐに断ったけれども、後になって思い直し、ぶどう園に出掛けて行って働いた兄と、「行きます」と言ったにも係わらずに行かなかった弟の話です。
この例え話は先週に引き続き、「天の御国に入る方法」を教えております。先週は、全ての人に与えられている「神の義」というパスポートを、自分宛に送られたものとして受け取ることが教えられました。今回はこのパスポートを実際に用いて天の御国に入る方法を学びます。
「9月27日の説教全文」ページをご覧ください。
9月20日(日)聖霊降臨後第十六主日礼拝の説教は、マタイ20章1~16節より、「最初の人も最後の人も同一賃金」と題して語られました。
私たちは誰しもが、心の片隅に、心休まる天国が存在するのではないかと思っています。特に家族や友人の死に際しては、安らかに天国に行って欲しいと祈ります。聖書はこの天国が存在することを明確に述べています。
今回の聖書箇所でイエス・キリストは、天の御国を自分のぶどう園を持つ家の主人に例えた例え話を通して、その天国への入り方を教えられました。ぶどう園の主人は朝早く市場に出かけ、自分のぶどう園で働く非正規労働者たちを雇い入れました。その後4回に渡り、時間間隔を開けて労働者たちを雇い入れました。そして、仕事が終わると、最後に来てわずか一時間しか働けなかった人にも、朝六時から働いた人と同じ額の賃金を支払いました。一体、この例え話は天の御国への入り方をどのように説明しているのでしょうか。「9月20日の説教全文」ページをご覧ください。
9月13日(日)聖霊降臨後第十五主日礼拝の説教は、マタイ18章21~35節より、「自分の兄弟を心から赦す」と題して語られました。
今回の聖書箇所は、前回の続きで、ペテロがイエス様に「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」と尋ねた場面から始まっています。イエス様は「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」答えられました。なぜ7の70倍まで赦さなければならないのか、その理由をイエス様は例え話を使って説明されました。
「9月13日の説教全文」ページをご覧ください。
9月6日(日)聖霊降臨後第十四主日礼拝の説教は、マタイ18章1~20節より、「天の御国で一番偉い人」と題して語られました。
今回の聖書箇所は、イエス・キリストの弟子たちが、イエス様に、「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」と尋ねた場面から始まっています。この質問が発端となり、イエス様は、どのような人が死後、天国へ入れていただけるのか、それとも地獄へ行くようになるのか、について詳しく教えられました。「9月6日の説教全文」ページをご覧ください。
8月23日(日)聖霊降臨後第十二主日礼拝の説教は、マタイ16章13~20節より、「あなたは生ける神の子キリスト」と題して語られました。
今回の聖書箇所の中でイエス・キリストは、弟子たちを北の都市、ピリポ・カイサリアへ連れて行かれ、偶像の宮の前で弟子たちに「あなた方はわたしを誰だと言いますか。」と問いかけられました。この問いかけは、経済(富)という名の偶像に取り囲まれた社会に生きている私たちにも問いかけられています。説教では私たちが経済優先のこの社会にあって、このイエス様の問いにどのように答えればよいかが説き明かされています。「8月23日の説教全文」ページをご覧ください。
8月16日(日)聖霊降臨後第十一主日礼拝の説教は、マタイ15章21~28節より、「あなたの信仰は立派です。」と題して語られました。
今回の聖書箇所の中でイエス様は、ユダヤ人から見たら外国人であるカナン人の女性に対して、「あなたの信仰は立派です。」とべた誉めしておられます。説教ではこの女性の信仰を通し、「今日の困難に満ちた社会において、どのようにしたらイエス様に全幅の信頼を置いた信仰生活を送ることができるのか」が説き明かされています。「8月16日の説教全文」ページをご覧ください。
8月9日(日)聖霊降臨後第十主日礼拝の説教は、マタイ14章22~33節より、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と題して語られました。夕方、弟子たちはイエス様から、舟に乗って湖の向こう岸へ渡るように言われました。しかし、一晩中、湖は荒れ続け、弟子たちはたどり着くことができないでいたのです。そして夜明け近く、イエス・キリストは湖の上を歩いて弟子たちの舟に近づかれました。それを見た弟子のペテロはイエス様にお願いして、自分も水の上を歩きだしましたが、しかし・・・
今回の説教では、イエス様が私たちにどのような信仰が求められているのかが解き明かされました。「8月9日の説教全文」ページをご覧ください。
7月26日(日)、聖霊降臨後第八主日の説教は、マタイの福音書13章44-52節より、「天の御国の弟子となった学者」と題して語られました。この場面は、主イエスがガリラヤ湖の湖畔で話された例え話の最後の箇所で、どのようにしたら私たちは天の御国を自分のものとすることができるのかが解き明かされました。7月26日の説教は「7月26日の説教全文」ページをご覧ください。
8月2日(日)、聖霊降臨後第九主日の説教は、マタイ14章13~21節より、「それを、ここに持ってきなさい」と題して語られました。たった五つのパンと二匹の魚で、一万人以上の人々のお腹を満たされた主イエスの奇跡を通して、私たちが主イエスから溢れるばかりの祝福をいただくために、どのようにしたら良いのかが解き明かされました。8月2日の説教は「8月2日の説教全文」ページをご覧ください。
7月19日(日)は聖霊降臨後第七主日でした。
礼拝では、「御国で太陽のように輝く」と題して、マタイの福音書13章24-30、36-43節より、神様が創られたこの世の基本的な仕組みの解き明かしが説教されました。
イエス・キリストは、畑にまかれた良い麦と毒麦のたとえを通して、「私たちが良い麦となり、太陽のように輝く者」となるためにはどのようにしたら良いのかを、教えておられます。
「7月19日の説教全文」ページをご覧ください。
7月12日(日)は聖霊降臨後第六主日でした。
礼拝説教は、「御言葉を聞いて悟りなさい」と題して、マタイの福音書13章1-9、18-23節より解き明かしました。
イエス・キリストは湖に船を出し、岸辺の群衆に向って数々のたとえ話をなさいました。
その最初のたとえ話は今回の「種を蒔く人のたとえ」です。
イエス様は「良い地に蒔かれた種は実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ」とおっしゃられました。このイエス様の言葉はどのような意味を持っているのでしょうか。災害の多い今日、どうしたら神様から守っていただけるようになるのでしょうか。今回の説教では私たちが必要とする神様からの守りについて、語られています。
「7月12日の説教全文」ページをご覧ください。
7月5日(日)は聖霊降臨後第五主日でした。
礼拝説教は、「キリストの荷は軽い」と題して、マタイの福音書11章25-30節より解き明かしました。
イエス・キリストは集まった人々に、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。・・・あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」と言われました。
今回の説教では、コロナ・ウィルス感染症と経済縮小のダブルパンチに遭っている不安な今日、どのようにしたら私たちの魂に安らぎを得ることができるのかが、語られています。
7月5日の説教全文ページをご覧ください。
6月28日(日)は聖霊降臨後第四主日でした。
礼拝の説教は、マタイの福音書10章34-42節より、説教題「一杯の冷たい水を飲ませる人」です。
イエス・キリストは人々のあらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やすために、「使徒」と命名した12人の弟子たちをイスラエル中に宣教派遣することにしました。今週の聖書箇所も先々週、そして先週の続きで、その派遣に当たり、イエス様が使徒たちに与えた指示の内容です。
小説「ベン・ハー」はチャールストン・ヘストン主演のアメリカ映画で有名ですが、副題は「キリストの物語」です。今週は、映画の中心場面の一つである一杯の水を飲ませる場面と同様に、イエス様の弟子だと言うだけの理由で、一杯の冷たい水を飲ませてくれる人に対しも、イエス様はご自分の弟子と同じように報いてくださるというメッセージです。
6月28日の説教全文 ページをご覧ください。
6月21日(日)は聖霊降臨後第三主日でした。
礼拝説教は、マタイの福音書10章5a、21~33節より、説教題「イエスを人々の前で認める」です。
イエス・キリストは人々のあらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やすために、「使徒」と命名した12人の弟子たちをイスラエル中に派遣しました。今週の聖書箇所は先週の続きで、派遣するに当たり、イエス様が使徒たちに与えた指示の内容です。
父なる神様がどのような時でもクリスチャンを守ってくださるという安全安心に満ちたメッセージです。 6月21日の説教全文 ページをご覧ください。
6月14日(日)は聖霊降臨後第二主日でした。
礼拝の説教は、マタイの福音書9章35-10章8節より、説教題「天の御国が近づいた」です。
すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされたイエス様は、弱り果てて倒れている群衆を憐れました。そして彼らを癒すために、十二弟子たちに汚れた霊どもを制する権威をお授けになりました。今回のお話は、弟子たちの出発に当たりイエス様が、「『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい」と命じられた場面です。
6月14日の説教全文ページをご覧ください。
5月31日(日)は聖霊降臨祭でした。今から約二千年前のこの日に弟子たちの上に聖霊が降り、この日から聖霊なる神が人間に宿るようになりました。イエス・キリストが復活された後、弟子たちに「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と命じられた通りに、聖霊降臨は起こりました。聖霊降臨祭はこの出来事を記念して行われます。
5月31日聖霊降臨祭礼拝の説教は使徒の働き2章1-21節より、説教題は「主の御名を呼ぶ者は皆救われる」です。 5月31日の説教全文 ページをご覧ください。
また、当教会の設立献堂三周年記念日でもありましたので、礼拝後に久しぶりにティー・タイムを持ち、ささやかながらお祝いをいたしました。
4月26日復活節第三主日の礼拝の説教はルカの福音書24章13-35節より、説教題は「私たちの心は内に燃えていた」です。4月26日の説教全文 ページをご覧ください。イエス様が復活された日曜日の午後、二人の弟子がエルサレムの町を出発してエマオの村に向かっていく途中、この二人の弟子にイエス様が現れ、この二人の弟子をご自分の復活の証人とされたお話です。
4月19日復活節第二主日の礼拝の説教はヨハネの福音書20章19-31節より、説教題は「イエスの御名によって命を得る」です。4月19日の説教全文をご覧ください。疑い深い弟子のトマスが復活されたイエス様の傷跡に指を差し入れ、イエス・キリストのご復活を確認し、「私の主。私の神。」と信仰告白し、イエス様を礼拝した場面のお話です。
イエス・キリストは、金曜日に私たち人間の罪を贖(あがな)うために、十字架の上で亡くなり、墓に葬られ、日曜日の日の出前によみがえられました。キリスト教会は主イエス・キリストの復活を記念して、毎週日曜日に礼拝を行なっています。
私たちの主の復活祭の説教は4月12日の説教全文ページをご覧ください。
「聖金曜日」は、イエス・キリストが私達の罪の身代わりとして、十字架に掛かってくださった日でした。
この日の礼拝では、イエス・キリストが十字架上で話された7つの言葉が牧師より語られ、それぞれの言葉の後に讃美歌を歌いました。
説教終了後には、礼拝開始時、黒い布で覆われていた十字架の除幕を行いました。除幕によって、私達の目は四旬節で新たにされた私達の主キリストの十字架を畏敬を持って見ることになります。
聖金曜日の説教は4月10日の説教全文 を御覧ください。
「棕櫚(しゅろ)の主日」はイエス・キリストがエルサレムに入場されたときに、群衆が自分たちの上着や棕櫚の枝を道に敷いて、イエス・キリストをお迎えしたことを記念する日で、この「棕櫚の主日」よりイエス・キリストが十字架にかかられる聖週間が始まります。
当教会でも棕櫚の枝を持って讃美歌を歌いながら入城しました。
棕櫚の主日の説教は4月5日の説教全文 を御覧ください。
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