説教全文

2020年12月27日(日) 降誕節第一主日

聖書箇所 説教全文

説教全文

「あなたの救いを見た」

ルカの福音書2章22-40節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。

 本日は、2020年の最後の礼拝となりました。今年一年を振り返って、ここまで守られましたことを神様に感謝いたしましょう。新型コロナ・ウィルス感染症に始まり、新型コロナ・ウィルス感染症拡大で今年が終わろうとしています。昨日、12月26日の金曜日の新規感染者数は全国で3880人、その内、東京が949名と過去最高値をマークしました。
 安倍首相が退陣した後、3人が立候補しました。3人の中で新型コロナ・ウィルス感染症対策をすると明言したのは石破茂氏のみでしたが、自民党内の派閥の壁に阻まれ、首相に選ばれませんでした。派閥の力で誕生したのは現在の首相でした。最大派閥の長にとってコントロールしやすい人が選ばれたわけです。自分のリーダーシップを発揮できない立場に立たされた人に、一体何ができるというのでしょうか。日本の未来は明るくないですね。心配しているのは私だけでないようです。現政権の支持率がじりじりと下がっているのは皆が心配しているからなのでしょう。
 毎回、お話ししていますが、この様な状況下にあって、この世の人々が新型コロナ・ウィルス感染症という疫病に罹患しないためには、この疫病を造られたお方、即ち、主イエス・キリストを信じることです。イエス様は救い主であられますが、また全ての者を造られた創造主でもあります。(ヨハネの福音書1章3節)ですから主であられるイエス様は災までも創造されます。申命記28章59節に神である主自らこのように宣言しておられます。「主はあなたへの災害、あなたの子孫への災害を驚くべき仕方で下される。大きな長く続く災害、長く続く悪性の病気である。」いま私たちが経験している新型コロナ・ウィルス感染症は、神様が造られ、神様が世界中で広めておられる悪性の病気なのです。その同じ神様が、またこの様にも言っておられます。詩篇91篇3節です。「主こそ狩人の罠から、破滅をもたらす疫病から、あなたを救い出される。」科学的でないと言われる信仰で、どうして災害から守られるのかといぶかしがる方がおられると思います。なぜなら、コロナ・ウィルスも含め、科学も含め、この世の全ての物を造られたのは神であるイエス様であるからです。イエス様は、ご自分を信じさせるために、科学も、コロナ・ウィルスも、そしてあなたをも造られました。まことの神様であるイエス・キリストを信じるのです。信じたら、絶えず祈るのです。「このコロナ・ウィルス感染から守ってください」と。古今東西の人々の中で、神様から非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂の様に広い心を与えられたソロモン王は、その著書「伝道者の書」12章1節でこのように勧めています。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」

 さて、私達は先週木曜日にクリスマス・イブ・キャンドル・サービスを行い、イエス様の誕生をお祝いしました。それからまだ3日しか経っていない本日、イエス様を神様に奉げる奉献の日となりました。せわしないですね。イエス様の全生涯を約5か月間で追う訳ですから仕方ありません。実際には赤ちゃんが誕生してから、本日の様に両親に連れられてエルサレム神殿に奉献に来るまでの期間は、モーセの律法(法律)によりますと、40日となります。レビ記12章1節から4節に書いてあります。妊婦は出産直後の血の清めのため、40日間籠らなければならないのだそうです。ちなみに女の子が生まれた場合は倍の80日間だそうです。どうして女の子の出産の場合の方が長い籠りの期間が必要なのか、調べてみました。私の持っている註解書の中にこのように書いてありました。出産後の出血や、おりものの治まる日数が、男児出産よりも女児出産の方が長く続くためなのだ、そうです。つまり、男児出産よりも女児出産の方が、母体にとって負担が大きいからのようです。
 律法が定められたモーセの時代と言えば、今から約3500年前のことです。当時は戦争や飢饉や病気で、人々が簡単に亡くなる世界でしたから、一族を守るために、多産が求められました。大金持ちになるよりも子供が大勢いる大家族が望まれたのです。それで多産が奨励されました。多産のために必要なのは、母体の保護です。産後の肥立ちの良し悪しが、生まれてくる子供の数にもろに影響します。それで、神様はユダヤ人に、母体を守るために律法として定めるように命じられ、家族であろうが、他人であろうが、王様であろうが、誰も母体の回復を邪魔しないように、と定めさせたのです。非常に賢明ですね。
 振り返って今の日本の状況を見ますと、少子化で悩んでいます。その原因はいろいろあります。二人親であっても、共働きで、女性の方は休む暇なく働かなければなりません。育児休暇が定められていればまだましですが、そんな余裕のない人の方が多いのが現状です。シングル・マザーに至っては、 過酷極まりありません。賃金は安く、非正規労働者は生活が安定しません。こんな社会では母体の保護が無視され、その結果少子化を招いています。ですから少子化は政治が貧困であることが一つの大きな原因である、と言わざるを得ません。日本でも出産後の籠りの期間を明文化し、その籠りの期間は誰にも邪魔されずに、心置きなく安心して母体の回復に専念できるような法律を作った方がいいかもしれませんね。 ということで、イエス様の家族もイエス様の誕生の後の40日の間はベツレヘムで過ごしていたことになります。

 さて、ヨセフさんとマリアさんは律法の定める40日の籠りの期間が満ちた時、イエス様をエルサレム神殿へ連れて行きました。イエス様を神様に奉献するためです。「最初に胎を開く男子は皆、主のために聖別されたものと呼ばれる。」(出エジプト13:2)と定められおり、長男は神様のものなので、神様から買い戻さなければならないのです。男子の買戻しの代金は、ユダヤのお金で5シェケルでした(民3:47)。当時の1シェケルは銀11.4gの重さでした。現在、銀の価格は高騰していて2020年の平均価格は1gは約73円でした。そうすると1シェケルは11.4×73円=832.2円で、5シェケルは4,161円となります。この金額が長男を買い戻す金額となります。
 ベツレヘムとエルサレムの距離は約8㎞で、徒歩2時間の距離です。ヨセフさんの予定では、エルサレム神殿に着いたら、収税所で5シェケル納め、生贄(いけにえ)の販売所で、鳩一つがい買い求め、祭司に渡して生贄として捧げてもらうつもりでした。しかし、それらのことをする前に思いがけないことが起こったのです。
 ヨセフさん一家がイエス様を連れて神殿に入ると、何とシメオンという人物が目の前に現れ、マリアさんの腕から、イエス様を抱き上げたのです。シメオンという人は、聖霊に満たされており、義なる人、敬虔な人で、約束の救い主が現れて、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた人でした。さらに「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた」人でした。この聖霊の御告げ「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはない」を裏返して読むとこの様になります。「主のキリストを見れば、あなたは必ず死ぬ。」この様に考えるとシメオンさんはかなりの年齢に達していたと推定されます。即ち何時死んでもおかしくない年齢になっておられたのではないでしょうか。

 このシメオンさんがイエス様を抱いて、神様を誉め称えて歌った歌が、わたし共が聖餐式の直後に讃美するヌンク・ディミトゥスです。「ヌンク・ディミトゥス」のラテン語の意味は、「今、あなたは去らせてくださいます。」です。
 主がシメオンさんを去らせてくださると確信しているその理由はルカの福音書2章30節の御言葉です。「私の目があなたの御救いを見たからです。」この言葉は何を意味しているのでしょうか。「あなたの御救い」とは何でしょうか。「あなたの御救い」とは状況から言って、ヨセフさんとマリアさんが連れてきた、幼子のイエス様のことです。イエス様御自身が父なる神様の与えてくださる御救いなのです。イエス様は生まれたばかりの赤ちゃんですが、救い主なる神様なのです。聖霊に導かれたシメオンさんであったから、このちっちゃな人間の赤ちゃんが救い主であると分かったのです。聖霊に導かれなければ分かることではありません。
 同じように、ヨハネの福音書第1章を見ますと、聖霊に導かれた洗礼者ヨハネが登場します。この洗礼者ヨハネには二人の弟子がいました。アンデレと、ヨハネの福音書の著者のヨハネです。師である洗礼者ヨハネが、イエス様が歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言ったら、この二人はなんと、師である洗礼者ヨハネから離れて、イエス様について行きました。「何と尻の軽い連中だろうか。」と言って非難してはいけません。洗礼者ヨハネは喜んで送りだしたのです。ヨハネの福音書1章35~37節です。
 このようにシメオンさんにしても洗礼者ヨハネにしても、聖霊に導かれたからこそ人間イエス様がどなたなのかが分かったのです。シメオンさんは、今自分が抱いている赤ちゃんは、自分が長年待ち望んでいた「主のキリスト」であることを、確信できました。「主のキリスト」とはルカの福音書2章26節の脚注を見ますと「主が遣わすキリスト」あるいは「主に油注がれた方」と書いてあります。イエス様は30歳の時にヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を授けられ、天から鳩の姿をした聖霊の油注ぎを受けられて、救い主の任務に就任されました。この30年後のことを預言している言葉が「主のキリスト」です。ですから、幼子イエス様だから力が無く、30年後の救い主に就任されたイエス様だから力が有る、と言うものではありません。蛙の子は蛙というように、幼子のイエス様も、30年後のイエス様も、救い主なる神様であることには違いありません。神様の子は神様です。イエス様はまことの人間ではありますが、大人であっても幼子であっても神様という本質に変わりはないのです。
 ですから大切なことは、シメオンさんが幼子イエス様を腕に抱いて、「わたしの目があなたの御救いを見たからです。」と、信仰告白をしたこの言葉を聞いて、イエス・キリストを信じるようになることです。というのは、「救い」とは恐ろしい永遠の滅びからの救いであるからです。イエス様を見て信じると、罪が全て赦(ゆる)され、その結果永遠の滅びの恐怖から救われるのです。人間はその時が来れば必ず死にます。誰一人として死を逃れることはできません。皆さんはこの世になぜ死が有るのか考えたことが有りますか?それは全ての試験には制限時間が有るのと同じです。私たちはこの世の人生と言う制限時間内に答えを出すことが求められているのです。正しい答えを出せば合格となり、誤った答えを出せば不合格となります。人間の寿命は各人まちまちです。己に与えられた人生の時間内に、正しい答えを出すことが求められています。のほほんとして答えを出さなくとも、この世を送れますが、その結果は不合格となります。恐ろしいことは、多くの日本人がのほほんとしていて、正しい答えを出そうとせず、真の神様を求めていないことです。真の神様とは、イエス・キリストです。このお方を日本人は皆知っています。「ああ、2000年前に十字架に掛けられた人ね。」中学校の歴史の時間で習いました。歴史上の人物です。多くの人々の知識の中では、歴史上の人物にとどまっています。公立の学校では宗教教育を禁じられているからです。なぜイエス・キリストは十字架上で死ななければならなかったのでしょうか。それは古今東西の全ての人の罪の身代わりとなるためだったのです。もう既にあなたの罪の代わりにも、イエス様は十字架に掛かって死んでくださったのです。ですからもしあなたが、もう自分の罪はないのだ、と知って、「イエス・キリストを信じるなら、あなたは死んでも生きるのです。また生きていてイエス様を信じる者は決して死にません。」このことをイエス様はヨハネの福音書11章25節と26節で教えられました。
 イエス様が十字架上で亡くなられてから2000年経った今どのようにしたらイエス様を信じることができるでしょうか。それは神様に向かって祈ることです。例えば、この様な祈りです。「神様。私はあなたを信じたいのです。どうか導いてください。イエス・キリストのお名前を通して祈ります。」そうすると、あなたのこの祈りを、天でお聞きになられた神様が、あなたの所に一人のクリスチャンを遣わし、教会に導いてくださいます。祈りは一回だけでは聞いてもらえません。神様はお忙しいのです。ですから、神様を求め続け、捜し続け、叩き続けましょう。神様はあなたの本気度を見ておられます。

 また神様はアシェル族のペヌエルの娘で、アンナと言う高齢の預言者を遣わし、シメオンの腕に抱かれている幼子が、主のキリスト、救い主であることを、人々に紹介させました。特にエルサレムの贖(あがな)いを待ち望んでいた全ての人に、この幼子の事を語らせたのです。この様に神様の方でも救い主イエス様をなんとか多くの人に知ってもらいたいと願って、人々を用いておられたことが分かります。

 このように、ヨセフさんとマリアさんに連れられてイエス様が神殿に奉献される日、シメオンさんは父なる神様に導かれ、母マリアさんの腕の中から幼子イエス様を両腕に抱いて、「あなたの救いを見た。」と言いました。シメオンさんは天地創造の始めから約束されていた人類の救い主を自分の両手で抱き、自分自身の眼で見たのです。感動の瞬間でした。待ちに待った救い主がとうとうおいでになったのです。このお方イエス様を信じて受け入れれば、全ての罪が赦され、全ての災いから守られ、全ての滅びから救われるのです。これが「あなたの救い」です。この救い主を信じれば、全能なる父なる神様が無条件で私達を天の御国に受け入れてくださるのです。ですからイエス様は、私たち全人類の救いのために、父なる神様が備えてくださった方なのです。
 シメオンさんと、その場に居合わせた預言者アンナさんは、幼子イエス様が主キリストであり、父なる神様の御救いであることを、多くの人々に紹介しました。そしてこのイエス・キリストを信じることによって罪が全て赦され、悪性の疫病から守られ、恐ろしい滅びから救われることを知らせたのです。しかし、多くの日本人はイエス・キリストがどなたなのか分かりません。その結果恐ろしい滅びに巻き込まれております。キリスト者である私たちは、シメオンさんやアンナさんのように、人々にイエス・キリストを紹介する任務が託されています。多くの人々にイエス様をお伝えし、救いの喜びの声を共に上げさせていただきましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。

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