説教全文

2020年9月13日(日) 聖霊降臨後第十五主日

聖書箇所 説教全文

説教全文

「自分の兄弟を心から赦(ゆる)す」

マタイの福音書 18章21-35節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなた方の上にありますように。アーメン。

 キリスト教は基本的に、救い主イエス・キリストを自分の神として受け容れた人の罪を全て赦(ゆる)し、この世においてその人を天国に導く宗教です。と言っても、生きたままこの世から天国に移されるのではなく、この世に居ると同時に天国に入っている状態です。つまり、罪赦された人は全て、この世に居ながら天国にも入っているのです。ですからキリスト教の根底には、「罪の赦し」という音楽で言う通奏低音が、神様と人間の間だけでなく、人間同士の間にも常に流れています。私たち人間は、神様に対して罪を犯すだけでなく、人間同士でも罪を犯すからです。イエス・キリストは言われました。「兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイの福音書5章22節)即ち、信仰者であっても罪を犯した者は天国から締め出され、地獄行きのレッテルが張られます。ですから「ばか者」と言った人は、すぐにその罪の赦しを兄弟に求めなければなりません。そして赦しを求められた兄弟は、直ちに赦してあげなければなりません。しかしまた同じ人から「ばか者」と言われたら、言ったその人をすぐに赦してあげるべきでしょうか。それとも、「二度あることは三度ある」と言いますから、この憎たらしい兄弟は懲らしめなきゃだめだ、と赦しを保留すべきでしょうか。この感情的な問題をイエス・キリストは本日の聖書箇所で取り上げられましたので、共に聖書に聞いて参りましょう。

 さて、本日の聖書箇所であるマタイの福音書18章21節を見ますと、ペテロが一人イエス様の許に来たように受け取られますが、そうではありません。最後の35節を見ますと、イエス様は「あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら」とおっしゃっておられます。「あなた」ではなく、複数形である「あなたがた」と呼びかけておられます。「あなたがた」とはペテロ一人ではなく、弟子たち全員のことでしょう。弟子たち全員がイエス様の前で、本日の聖書箇所のお話を聞いていたようです。弟子たちは、先週の説教箇所であった18章1節から20節までのイエス様のお話を聞いて、特にその中の15節の言葉が気になっていました。人は自分自身に言われた言葉がすごく気になる生き物です。15節はこのように書かれていました。「また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。」それで弟子たちはこのイエス様の言葉を、自分たちに向けて語られたことだと受け取り、仲間内で色々と議論したのですが、一体何回まで罪を指摘すれば良いのか結論が出なかったようです。それでリーダー格のペテロがその問題をイエス様に持っていくことになった、と考えられます。
 ペテロはイエス様に尋ねました。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」イエス様は答えられました。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」この言葉を聞いてペテロ始め、弟子たちは、開いた口がふさがらなかったことでしょう。なにしろ「古いユダヤ教の教えでは、罪の赦しは三度迄で、四度目は無いと言っている」、と私が持つ註解書には書いてありました。日本でも「仏の顔は三度まで。」と言います。「いかに温和な仏でも、顔を三度も撫でられると腹を立てる、の意から、どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると、怒ること。」と国語辞典に載っておりました。それでは、キリスト教では何度まで赦さなければならないのかというと、イエス様は「七回を七十倍するまで」即ち「四百九十回まで」と定められました。7も70も完全数です。完全数が二つあるということは、人が犯す罪は限りが無いのだから、限り無く赦しなさい、とイエス様は教えられたわけです。三度とか七度とか、穴(けつ)の穴(あな)が小さいことを言っているようではだめだと言われるのです。度量を広く持てと言われました。

 それで、なぜ7の70倍まで赦さなければならないのか、その理由をイエス様は23節から34節にかけて、例え話で説明されました。まず人間がいかに罪深い者であるかを24節で例えられました。「清算が始まると、まず一万タラントの負債のある者が、王のところに連れて来られた。」一万タラントとは現代のお金にしてどのくらいの金額なのでしょうか。24節の脚注を見ますと、「一タラントは六千デナリ相当。一デナリは当時の一日分の労賃に相当。」と書いてあります。イスラエルの一日の労働は、日の出に始まり、日の入で終わります。一日12時間の労働です。もちろん昼食や休憩の時間も入っています。厚生労働省が令和2年の今年出した、日本の一時間当たりの最低平均賃金は、901円です。これを12倍しますと、10,812円となります。途中の昼食や休憩時間の分を勘案すると、約1万円と見てよいでしょう。ですから1デナリ1万円です。1タラントは6000デナリですから1タラントは6000万円となります。ここまでは確かです。この次が問題です。6000万円の1万倍はいくらになるのでしょうか。私の計算が正しければ、6000億円になります。アメリカボーイング社のジャンボジェット機は一機300億円から500億円と言われています。1機平均400億円とすると、15機買うことができます。すごい金額です。
 こんな大金を即座に返済するように求められた家来は、返済することができなかったので、王様はその家来に「自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じ」ました。このイエス様の当時は、人間も商品だったことが分かります。落ちぶれて借金が返せなくなると、身売りしなければならなかったのです。出エジプト記22章3節にはこのように書いてあります。「盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし盗人(ぬすびと)が何も持っていなければ、盗みの代償としてその人自身が売られなければならない。」
 この人身売買は遠い昔のお話ではなく、近代になっても世界中で行われていました。代表的な事例がアメリカ合衆国です。今年、アメリカでは黒人男性が白人警察官に首を膝で押さえられ、窒息死する事件が起きました。この事件を契機に、7年前に始まったBlack Lives Matter(黒人の命は重要である)運動が活発化し、かつて南北戦争で奴隷制度推進の英雄とされた、奴隷制度を支えた歴史的人物の像等が次々と撤去される事態に発展しております。この南北戦争は、今から150年前、日本で言えば明治維新の頃に起こり、北軍の勝利によって、奴隷制度は廃止され、黒人売買は禁止されました。しかしその後制定された様々な法律により、黒人はなしくずし的に差別制度の中に押込められていましたが、マルチン・ルーサー・キング牧師や、ジョン・F ・ケネディ大統領、凶弾に倒れたケネディ大統領の跡を継いだジョンソン大統領等の尽力で、漸く1964年に公民権法が制定され、人種差別が撤廃されました。今からたった56年前の事です。しかしそれ以後も黒人蔑視の風潮は収まらず、黒人の命に対する白人警察官の評価は依然低いままです。
 さて話を元に戻しまして、王様から「自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように」と命じられたその家来は、自分たちの財産だけでなく、自分も家族も売り物となり、家族がバラバラにされる命令を突き付けられ、恐れにうち震えました。この窮地を脱するには、ここはただただ王様に待っていただくほかないと観念し、ひれ伏して王様を拝して、懇願して言いました。「もう少し待ってください。そうすれば全てお返しします。」そうしたら王様は心揺すぶられ、憐れに満たされ、家来を赦し、負債を全額免除してくださったのです。非常に寛大な王様ですね。
 ところでこの家来は、一万タラントの巨額の財産を一体何に使ったのでしょうか。投機に走って大損したのか、それとも博打(ばくち)に賭けて、すってしまったのか。いいえそうではありません。この例え話が罪を赦すことをテーマにしていますから、王様は神様を例えており、そして王様に仕える家来は、神様に仕える人間となります。そして1万タラントの負債、即ち6000億円は、神様に対して冒した罪、即ち神様を信じていなかった罪となります。この神様を信じない罪は高価でとても人間の手では払いきれません。いくら善い行いを積み上げても足らないのです。しかしこの非常に高価な罪でも、神様の前にひれ伏して礼拝し、「今までの不信仰をお許しください。これからはあなたを信じます。」とお願いすれば赦していただけるのです。まことに神様とは優しいお方です。しかしこの神様に頼る者に対する優しさは、また神様に逆らう者への厳しさに早変わりするものでもあります。

 この家来の、その場しのぎのいい加減な性格が露呈する時が、すぐにやって来ました。この家来が王宮から出てくると、自分に100デナリの借りのある僕(しもべ)仲間の一人に出会ったのです。出会ったとたん、この家来はその僕仲間が、自分から借金をしていることを思い出し、その人をつかまえて首を絞め、「借金を返せ。」と言ったのです。100デナリです。今のお金に換算すれば100万円です。自分が王様からの借りた6000億円の60万分の1です。でもその僕仲間は貧しかったのでしょう。あいにく手持ちがなく、「もう少し待ってください。そうすればお返しいたします。」とひれ伏して嘆願しました。その僕仲間は、ひれ伏してこの家来に嘆願していることから、心から返済期間の延長を願っていることが分かります。けれどもこの家来は承知せず、その僕仲間を引いて行って、負債を返すまで牢屋に閉じ込めました。

 ところがこの様子を見ていた人たちがいたのです。100デナリの負債を持つ僕の仲間たちがいました。彼らが見ていたのです。彼らは事の成り行きを見て非常に心を痛め、すぐに王様の許に行き、一部始終を王様に話しました。王様はすぐにこの家来を呼び出して言いました。「悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。」こうして王様は怒って、負債を全て返すまで、この家来を獄吏たちに引き渡しました。即ち、この家来を地獄に送り込んだのです。

 この様に、人間には2種類の罪があることが分かります。一つは神様との間の罪であり、もう一つは人間同士の間で犯す罪です。神様との間の罪は、不信仰という原罪で、この原罪の故に、人間はこの世の様々な罪を実際に犯してしまいます。原罪とそれから生じる実際に犯す罪を償う方法は、善い行いではなく、唯一つ、神の子イエス・キリストを信じることです。なぜならイエス・キリストは、私たち全ての人間の原罪の身代わりとなって十字架に掛かるために、父なる神様が送ってくださった救い主であるからです。神様はご自分の一人子イエス・キリストを信じる人を憐れみ、原罪とそれに伴う実際に犯した罪を赦して下さいます。このイエス・キリストを信じて罪赦された人がクリスチャンと呼ばれる人です。ですからこのクリスチャンは、人間には支払い不能な金額の原罪と実際に犯す罪が赦されていますから、仲間の人間が自分に犯す罪を、憐れみを持って赦してあげることができるのです。それでイエス・キリストは弟子たちに7の70倍の数まで赦しなさいと言われました。憐れみの心を持って、自分の兄弟姉妹の罪を心から赦し、愛と平和に満ちたこの世の人生を送る者とさせていただきましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。


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