説教全文

2020年12月20日(日) 待降節第四主日

聖書箇所 説教全文

説教全文

「私は主のはしためです」

ルカの福音書1章26-38節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。

 本日の聖書箇所は、一般に「受胎告知」と言われています。本日の聖書箇所を読みますと、マリアさんの性質がとても冷静沈着なことに強い印象を受けます。まず何と言っても、何物をも恐れないしっかりした心を持っていることです。第2番目に物事を理性的に考えることのできる能力をもっていることです。第3番目に、理由を十分に聞き出すことのできる落ち着いた女性であることです。そして4番目は、非常に謙遜で温和な心の持主であることです。

 この様な性質を持つマリアさんに天使ガブリエルが現れて受胎告知をするのですが、昔からいろいろな画家が絵を描いています。私が今まで見て来た「受胎告知」の絵の中で、一番印象に残っているのは、レオナルド・ダ・ビンチの描いた絵です。右側にマリアさんが椅子に座っていて、聖書と思われる書物を読んでいる所に、背中に一対の羽を背負った御使いガブリエルが訪れて、床に右膝を付き、右手の人差し指と中指の二本をマリアさんの方に差し出して、上目遣いにマリアさんを見つめ、「見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」と告げていると思われる場面です。マリアさんは右手を聖書と思われる本の上に置き、左手を肩まで上げて、「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と、あたかも宣誓していると思われるしぐさを取っています。この様に読み取ることのできる、このレオナルド・ダ・ビンチの描いた「受胎告知」の絵は、マリアさんと御使いガブリエルの心の動きをとてもよく表現していると思います。

 この場面の中で一つ不思議なことは、御使いガブリエルの突然の訪問に対してマリアさんが少しも取り乱していないことです。御使いの出現に少しも恐れていないのです。このマリアさんへの訪問の半年前に、御使いガブリエルは神殿で香を焚いていた祭司ザカリヤに現れています。ルカの福音書1章11節です。「すると、主の使いが彼に現れて、香の祭壇の右に立った。」次の12節を見ますと、「これを見たザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われた。」と書いてあります。
 また旧約聖書の士師記13章には怪力のサムソンの両親であるマノアという名前の夫とその妻が登場します。主の使いがマノアの妻に現れ、彼女にこのように言います。士師記13章3節です。「見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。」この御使いの言葉を聞いたマノアの妻は、夫の所に言ってこの様に言います。士師記13章6節です。「神の人が私のところに来られました。その姿は神の使いのようで、たいへん恐ろしいものでした。」この妻の言葉から、妻は心の中ではガタガタ震えていたようですが、外面的には、祭司ザカリヤの様には取り乱していなかったようです。マリアさんとこのマノアの妻の二人の例だけで結論を出すのは早いのかもしれませんが、残念ながら、概して男性よりも女性の方が、肝が据わっているように見えます。
 さてルカの福音書1章26節と27節を見ますと、御使いガブリエルは祭司ザカリヤに現れた後、六ヶ月目にガリラヤのナザレという町の一人の処女の所に遣わされたことが記されています。この処女はダビデの家系のヨセフの許嫁(いいなずけ)で、マリアという名前でした。
 ガブリエルはマリアさんの家に入ってくると、マリアさんにこのように挨拶しています。1章28節です。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」この挨拶に対してマリアさんの反応が29節に書いてあります。「しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。」先程もお話ししましたが、御使いの突然の訪問に対して、マリアさんはザカリヤさんと比べると、全く取り乱してはいません。御使いが祭司ザカリヤさんに現れた時は、挨拶抜きで、それも神殿の中で、突然現れたので、恐怖に襲われたとも理解できます。一方、マリアさんの場合は、挨拶が有ったので、別段驚かなかったとも解釈できます。そしてその御使いの姿は、マノアの奥さんに現れたような大変恐ろしい姿ではなく、普通の人間の姿をしていたとも考えられます。私たちは御使いとか天使とかというと、背中に羽が生えている姿を想像しますが、聖書に書かれているマリアさんの様子からは、マリアさんの関心がその姿よりも用件の方にあったように見受けられますので、天使ガブリエルは普通の人間の姿で現れたのかも知れませんね。しかし用件の重大さから、その身なりは普通の身なりではなかったと思われます。多分この世の衣類を着た身なりではなく、神々しい身なりであったと思われます。ですからその御使いの身なりからも、マリアさんの関心は、御使いの姿よりも、挨拶の言葉の方に向いたのでしょう。マリアさんはこの御使いの挨拶と服装から、御使いが重要な要件で来たことを悟りましたが、どうして私の所に来られたのかしら、といぶかしがっていた節が有ります。

 マリアさんが挨拶の言葉に戸惑っている様子を察知した御使いは、言いました。30節から33節です。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
 この御使いの言う30節の「恐れることはありません。」という言葉は、「マリアさんは全ての事から守られているので、恐れることは無い」という意味です。なぜ全ての事から守られているのでしょうか。御使いは言います。「あなたは神から恵みを受けたのです。」「恵み」とは罪の赦(ゆる)しのことです。罪が赦されている人は神様から守られています。この神様の守りとは、例えば、現在世界中を騒がせている目に見えない新型コロナ・ウィルス感染症からの守りでもあり、それも完全な守りを意味します。つまりマリアさんは、全能の神様の完全な守りの中に入れていただいている、という意味です。
 31節の「見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。」とは、マリアさんが、いと高き方の子、即ち神様の子供を産み、その子を「イエス」と名付ける、ということです。したがってマリアさんはイエスと名づけられる神の子の母親となるのです。そしてこのイエスと名付けられる男の子は信仰の対象となり、このイエス様を信じる人は、全て罪が赦され、まことのクリスチャン、まことのイスラエル人とみなされ、この世に在っては教会に導かれ、寿命が尽きた時には天国に導かれ、イエス・キリストを王様と仰ぐ王国の一員となるという意味です。
 「彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」とは、霊的なイスラエル民族、すなわちクリスチャンの群れを意味します。というのは、ヤコブの家とは、普通は血で繋がっている血縁のイスラエル民族を意味しますが、ここでは霊的なイスラエル民族を意味しているからです。

 この御使いの説明に対してマリアさんは質問しました。34節です。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」Good question 良い質問ですね。問題の核心を突いている質問は、Good question と言われます。これがマリアさんの第2番目の、理性的に考える能力であり、第3番目の、理由を十分に聞き出す落ち着いた能力です。私がアメリカの神学校で学んでいた時、神学生が教授によく質問していました。時々、間の抜けた質問する人が居て、教授からBad question 悪い質問、とたしなめられていました。
 人間の常識では、女性だけでは子を産むことができません。男性とセックスしなければ子供はできません。それでマリアさんは、「自分は男性とセックスしたことが無いから、それは無理でしょう。」と聞いたのです。当然です。そこで御使いは説明しました。35節です。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」この御使いの説明は、人間の考えをはるかに超えている、驚くべきものでした。マリアさんから生まれる子供は、神と人間の混血児ではなく、純粋に「聖なる者」「神の子」であると言うのです。即ち、聖霊がマリアさんの胎に入り、いと高き方の力がマリアさんを覆う時、マリアさんは受胎し、神の子がマリアさんの胎の中で、成長し始めるのです。この時、マリアさんの卵子に聖霊という精子が入るのではありません。神様によって「神の受精卵」がマリアさんの胎に入り、マリアさんの胎の中で成長するのです。ですから、マリアさんは言うなれば代理母ということになります。
 マリアさんはこの御使いガブリエルの説明で満足したでしょうか。ちょっと難しすぎたようです。私たちもそうですね。それで御使いガブリエルは言いました。36節です。「 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは何もありません。」この言葉で御使いは、この様に言いました。「全能なお方である神にとって、不可能なことは何もありません。あなたの親戚のエリザベツさんが良い例です。不妊の女性だろうと、高齢の女性だろうと、不妊で高齢の女性だろうと、その胎に子供を宿らせることを含め、神にとって不可能なことが有りますか、無いでしょう。あなたがた人間には不可能でも、神様には全てが可能なのです。」この理路整然とした優しい殺し文句には、マリアさんも納得です。

 十分納得したマリアさんは御使いガブリエルに言いました。38節です。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」このマリアさんの言葉からマリアさんが、御使いの説明に十分納得し、この重大な任務の担い手として、身分の低い、卑しいはしために目を止めて、選んでくださった光栄に、深く感謝したのです。そして「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と述べて、その任務を心から引き受けることに同意しました。この同意の言葉から、マリアさんは「非常に謙遜で温和な心を持つ女性である」ことがわかります。このマリアさんの態度から、謙遜であるということがいかに大事な性質であるかが良く分かります。謙遜でなければ神様から用いてもらえません。しかし謙遜であれば、神様は喜んで用いてくださることが分かります。
 このマリアさんの同意の言葉を受け取った御使いガブリエルは、喜んでマリアさんから離れ、天に帰って行きました。そしてこのマリアさんから、間もなくイエス様が誕生されようとしています。

 このように、マリアさんは自分のことをへりくだって「私は主のはしためです。」と御使いガブリエルに言って、神の子を産む代理母の任務を引き受けました。神様はマリアさんが、神様を恐れる信仰深い女性であることをご存知だったので、御使いガブリエルを遣わしました。神様を深く恐れる信仰が、芯の強いしっかりした心を持たせ、物事を理性的に考えさせ、落ち着いた雰囲気を与え、謙遜心を培っている、ということができます。ですから、私たちも神様を恐れ、信仰深くならせていただきましょう。そうすれば、謙遜で信仰深いマリアさんを神様が用いたように、私たちをも神様は用いてくださるようになります。そして神様からミッション(任務)が示されたら「私は主のしもべです。」また、「私は主のはしためです。」と言って、喜んで任務に就かせていただきましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。

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