説教全文

2020年9月27日(日) 聖霊降臨後第十七主日

聖書箇所 説教全文

説教全文

「後になって思い直す」

マタイの福音書 20章23-32節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなた方の上にありますように。アーメン。

 本日の説教はマタイの福音書21章23節から32節まで、説教題は「後になって思い直す」です。先週に引き続き、本日の聖書箇所も天の御国に入る方法を教えております。先週の聖書箇所では、1デナリで例えられている「神の義」というパスポートを、自分宛に送られたものとして受け取ることが教えられました。
 本日はこのパスポートを実際に用いて天の御国に入る方法を学びます。どこの国に入国する場合でも、まずパスポートコントロールを通過しなければなりません。つまり入国審査を受けなければなりません。そしてこの入国審査に合格すれば、目的とする国に入ることができます。天の御国に入国する場合も、入国審査を受けなければならないのは、同じです。そこで本日は、天の御国の入国審査を通過する方法に付いて学びます。
 さて本日のテキストは、イエス様がエルサレム神殿の境内で、人々に教えておられた時の出来事です。この時期はいつかと言いますと、本日の聖書箇所の前に書いてある21章1節から11節を見ますと、イエス様がロバの子に乗ってエルサレムに入城される記事があります。そうするとこれは、受難週の時期であることが分かります。ですから本日の聖書箇所は、イエス様がもう間もなく十字架に掛かろうとする数日前の出来事であって、その貴重な時間を割いて、神殿の境内で人々に教えておられた時に起こった出来事であったことが分かります。イエス様の教えを聞いた人々の中には、過ぎ越しの祭りに参加するために、ユダヤ国内の各地から上ってきた人々の他にも、ローマ帝国各地から上ってきた、信仰深い多くの巡礼者たちも居たことでしょう。
 このイエス様が多くの巡礼者たちに教えておられる様子は、直ちに、ユダヤ人の政治と司法の最高議会サンヒドリンの議員達である、祭司長達や民の長老達に報告されました。それで祭司長達や民の長老達は、宮で教えておられるイエス様の所に駆け付けて来ました。しかし、すぐには教えを止めませんでした。何しろ宮の境内は、巡礼者達で溢れ、下手に手を出すと、巡礼者達の反発を買う恐れがあったからです。イエス様が権威ある者のように教えておられたので、巡礼者達は皆、イエス様のお話に熱心に耳を傾けていました。祭司長達や民の長老達は、イエス様のお話が一区切りつくのを待つより他ありませんでした。
 祭司長達や民の長老達は、最高議会サンヒドリンの規則として、自分たちの許可を得ないで、神殿境内で人々に教えることを禁止していました。それでイエス様に尋ねました。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」この言い方は、あたかもこのように言っているようでした。「私たちはあなたに教える権威を授けた覚えはない。誰があなたに教える権威を授けたのですか。」しかしマタイの福音書9章8節を見ますと、群衆でさえもこのイエス様の権威がどこから来たものか、知っていました。「群衆はそれを見て恐ろしくなり、このような権威を人にお与えになった神をあがめた。」と書いてあります。サンヒドリンの議員たちは、このように、民が言っていることを聞いていましたので、イエス様の権威は父なる神様が授けたものであるということを知っていたのです。知っていながら、イエス様に尋ねました。それは何とかこのイエス様の言葉尻を捉えて、イエス様を罪ある者として捕らえるためでした。こうしてイエス様とサンヒドリン議員達との間に、バチバチと火花が散り始めました。

 しかしイエス様は神様です。サンヒドリン議員の弱点を知っておられました。それは真摯な信仰を持つ群衆を恐れていたことです。そこでイエス様は余裕を持って答えられました。「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。」そしてサンヒドリンの議員たちに出された質問がこれでした。「ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか、それとも人からですか。」このイエス様の質問は、洗礼者ヨハネの権威も、御自分の権威もどこから来たのか分かろうとしない意固地で不信仰な宗教指導者たちに対する痛烈な批判でした。あたかもこのように言っていました。「あなた方イスラエルの主教指導者達よ。あなた方は、洗礼者ヨハネの権威がどこから来たのか分からず、また私の権威もどこから来たのか分からずに、よく宗教指導者の立場に立っていますね。悔い改めることを拒んで、ヨハネの洗礼を受けようとしないあなたがたに、どうして霊的なことが分かりますか。あなた方の信仰は、ここに集まってきた巡礼者以下ではないですか。」
 サンヒドリンの議員たちは、どの様に答えたら良いものかと、はたと困り、仲間内で相談し合いました。25節と26節に彼らの相談した言葉が書いてあります。「もし天からと言えば、それならなぜヨハネを信じなかったのかと言うだろう。だが、もし人から出たと言えば、群衆が怖い。彼らはみなヨハネを預言者と思っているのだから。」信仰深い巡礼者たちの前で、何とか宗教指導者としてのメンツを保とう、とうろたえているサンヒドリンの議員たちの様子が伝わって来ます。サンヒドリンの議員たちは、答えるのに窮し、「分かりません。」と言って降参するしか道が有りませんでした。それでイエス様も、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」と言われ、言葉でサンヒドリン議員達の首根っこを押さえ付けてしまわれたのです。

 今度はイエス様が攻める番です。イエス様は言われました。28節~31節です。「ところで、あなたがたはどう思いますか。ある人に息子が二人いた。その人は兄のところに来て、『子よ、今日、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。その人は弟のところに来て、同じように言った。弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたでしょうか。」イエス様は余裕しゃくしゃくですね。イエス様が出した問題は、非常に具体的で、答えが一つしかない誰でもわかる簡単な問題です。それでサンヒドリン議員らは、このイエス様の問が自分達の心の内側を追及しているお話しとも気付かずに、導かれるまま、異口同音に答えてしまいました。「兄です。」サンヒドリン議員等は、イエス様の思惑にはまり込んでしまったのです。

 このイエス様が出された問題の要は「後になって思い直し」という兄の心の変化を表現している言葉です。兄は父に対して「行きたくありません。」と冷たく断ってしまいましたが、子としての義務を怠ったと感じたのでしょう。それで「後になって思い直し」ぶどう園に行って働きました。しかし、弟は、「行きます。」と言っておきながら、行かなかったので、父に対して嘘をついただけでなく、子としての義務を怠ってしまうという二重の過ちを犯してしまったのです。そして思い直すことをしませんでした。ですから「兄です。」と答えたサンヒドリン議員等の答えは正解でした。
 彼らの正しい答えに対して、イエスは彼らに言われました。「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。」サンヒドリンの議員らは、このイエス様の解き明かしを聞いて、三重にびっくりしました。第一に、この単純なお話が、「自分達の心の内を映す例え話であった」という、思いもよらない事実です。第二に、あの罪深いと見下げていた取税人達や遊女達が「自分等よりも先に神の国に入る」という信じがたい話です。第三に、自分たちは、取税人達や遊女達がヨハネの義の道を信じた様子を見ても、「後になって思い直して信じなかったので、神の国に入ることができない」と宣告されたことです。サンヒドリンの議員たちは「兄です。」と答えたことによって、自分たちは嘘つきであり、父なる神様の期待を裏切った「弟」である、即ち不信仰者であると、自分達で自分達を断罪してしまったのです。
 この兄の心の変化を表す「後になって思い直す」という言葉は、「悔い改める」という言葉ほど強くありませんが、ほぼ同じ意味です。つまり、父に対して「行きたくありません。」と冷たく突っぱねたのを後悔して「思い直し」、そしてその心の内を「ぶどう園に行く」という行いで表現したのです。取税人や遊女たちは、悪い行いをしていたのに、洗礼者ヨハネの説教を聞いて、思い直し、ヨハネの持ってきた義の道を信じ、ヨハネから洗礼を受けました。そして神の国、天の御国に凱旋したのです。イエス様はこのことをサンヒドリンの議員たちに指摘しました。
 先週お話ししましたが、イエス様が2000年前に十字架に掛かられたことにより、古今東西の全ての人に、「神の義」というパスポートが発行されました。このパスポートの有効期限は各自の寿命です。各自は死ぬ前に「思い直し」てイエス・キリストを信じ、洗礼を受けることが求められています。死ぬ前に、今までの人生を思い直し、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けるなら、罪の汚れが清められ、このパスポートに、「入国許可」のハンコがバンと押され、天の御国のパスポートコントロールを通過できるのです。イエス・キリストの代わりに、仏陀や神武天皇や信仰宗教の教祖を信じても何の甲斐もありません。彼らは神様でもなく、人間の罪のために十字架に掛かったわけでもありません。また洗礼を受けることにより、罪深い古い自分が死に、罪赦(ゆる)された新しい自分が生まれるという体験をします。本人は生まれ変わるという意識がなくとも、「御父と、御子と、聖霊の御名によって」という、神様の命じた言葉と共に頭に水をかぶる洗礼は、その人の罪を浄め、天の御国に入るにふさわしい人に変えるのです。ちょうど罪深い取税人や遊女たちが、悔い改め、ヨハネの洗礼を受けて、天の御国に入る者とされたのと同じです。

 このように全ての人は、人生のある時期、たとえ死ぬ直前になってしまったとしても、自分の一生を振り返って、思い直すことが求められています。そして思い直したら、キリストの十字架によって、あなたの罪が赦(ゆる)されていることを知らせる、「神の義」パスポートを開きましょう。そしてイエス・キリストを信じて、キリスト教会で洗礼を受けるのです。そうすれば、あなたの「神の義」パスポートに「入国許可」の印が押されます。こうして、あなたは天の御国のパスポートコントロール、即ち入国審査を通過できるのです。このパスポートは生きている間も使用できます。この世と天の御国の間を何度でも行き来できるのです。これは丁度この世に居ながら天の御国に入っているのと同じ状態です。ですから、あなたはこの世に在っても、神様から守られているという素晴らしい人生を送ることができるのです。そして人生の最後にはイエス様が迎えに来てくださり、天の御国に導いてくださいます。この様に最後まで恵まれた、安全安心の人生を歩ませていただきましょう。そして、既にこの「神の義」パスポートに「入国許可」の印が押されている方は、まだ「神の義」パスポートを入手していない方に、「あなたにも、天の御国へ入国するために必要な、『神の義』というパスポートが発行されているのですよ。是非とも手に取ってください。」とお勧めしましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。


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