説教全文

2021年5月23日(日) 聖霊降臨祭

聖書箇所 説教全文

説教全文

「真理の御霊がイエスについて証しする」

ヨハネの福音書15章26-27、16章4b-15節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。

 今から約二千年前、私たちの主の復活祭から数えて50日目であるユダヤの国の五旬節の祭りの日に、エルサレムの町の中に留まっていたイエス様の弟子たちの上に、聖霊が降臨されるという大事件が起こりました。なぜこの出来事のことを大事件だというのかといいますと、この聖霊降臨日を境にして、この世が「終わりの日」、即ち終末の世に入ったからです。いつか聖霊が降臨することはユダヤの国で活躍した預言者ヨエルによって紀元前9世紀に預言されていました。本日の第二日課の聖書箇所である使徒の働き2章17節と18節には、ヨエルの預言がこの様に書いてあります。「『神は言われる。終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。」
 イエス様の時代まで、聖霊が与えられたのは、神様の御言葉を取り次ぐ預言者達や、イスラエルの民を導く指導者たち等の、ごく限られた人たちだけでした。それが約二千年前の五旬節の祭りの日を境に、「全ての人に聖霊が注がれる」こととなりました。「全ての人に」と言っても、何の制限もなく、全ての人達に注がれるのではなく、イエス・キリストを信じて、洗礼を受けた全ての人達に対して、ということです。テトスの手紙3章5節から7節にこのように書いてあります。「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みを抱く相続人となるためでした。」この様なわけですから、洗礼を受けてクリスチャンとなられた方々は、ご自分の上に豊かに注がれた聖霊によって導かれていることを自覚してください。この聖霊の注ぎは、クリスチャンである皆様お一人お一人が、自分の力ではなく、自分の上に注がれた聖霊の力によって、宣教の業を行うためなのです。ですから私たちは祈りつつ聖霊の力によって、御言葉を宣べ伝えましょう。 

 さて、この歴史的大事件である聖霊降臨の様子は、先ほどお読みしました使徒の働き2章1節から4節に書いてあります。「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」この聖霊降臨の特徴は三つにまとめられます。
 一番目の特徴は、激しい風のように聖霊が大音響を立てて、天から下ってきたことです。「私は聖霊ですよ。預言者ヨエルの預言の通り、来ましたよ。」とご自分の到来をエルサレム中に知らしめました。風と息と霊は、ヘブル語で「ルーアハ」、ギリシャ語で「プニューマ」と言います。風と息は空気です。コロナ・ウィルス感染症にかかって呼吸ができなくなると人間は死んで行きます。つまりその人から人間の本体である「霊」去って行ったと言うことができます。この「霊」は人間には生まれつき与えられていますが、神の霊である「聖霊」はそうではありません。イエス・キリストを信じて、洗礼を受けた全ての人達に対して注がれるのです。
 二番目の特徴は、聖霊が「炎のような舌」の姿をして、一人一人の上に留まったことです。多分一人一人の頭の上に留まったのでしょう。「炎」は「浄め」の意味を持っています。私が子供の頃、指先にとげを指した時、母が縫い針の先をマッチの火であぶって消毒し、その縫い針を使って指に刺さったとげの周りの皮膚を広げて、とげを抜いてくれました。母はマッチの火で針を消毒し、とげを抜きましたが、今回聖霊の場合は、炎の姿をして、私たちの心に刺さった「罪というとげ」を抜いて浄めるために来てくださいました。
 三番目の特徴は、「皆が聖霊に満たされて、み霊が語らせるままに、他国の色々な言葉で話し始めた」ことです。「皆」というのはイエス様の弟子たちのことです。これはもうびっくりですね。ここからわかることは、聖霊がその上に留まった弟子たちが、心も体も聖霊に占拠されて、聖霊の語らせるままに、それも他国の言葉で話し始めたことです。今まで習ったこともない他国の言葉で、それも神様の大きな御業を語り始めたのです。多分弟子たちの多くは、自分が何を話しているのかを全く理解していなかったかもしれません。
 この三番目の特徴が示しているのは、本日の説教箇所であるヨハネの福音書15章26節でイエス様が言われている、聖霊が「助け主」であるということです。「その助け主が、わたしについて証ししてくださいます。」とイエス様は言われます。ですから私たちが私たちの友人や知人にイエス様の事を伝える時、どう言ったら良いのか悩まないことです。何をどのように話すのか悩むのではなく、まず助け主に助けを祈り求めることです。「聖霊様。これから友人にイエス様の事を証しますから、どうぞ私の口を用いて語ってください。」または短く「聖霊様。助けてください。」と祈るのです。この様に一言短く祈るだけで良いのです。聖霊は助け主ですが、頼まれもしないことを先走って助けるようなおせっかいなことはなさいませんが、私たちが助けを求めるならば話は違います。聖霊は助け主ですから私たちを助けたいのです。ですからまず助け主に助けてくださるように祈ることです。私たちが助けを求めさえすれば、「助け主」は働いてくださり、それも神様ですから完璧に働いてくださり、全てのことを働かせて、益としてくださるのです。
 しかし私たちに助け主が付いているからと言って、私たちが聖書の御言葉を知っていなければ、助け主が働こうにも働くことができない事もまた確かです。主役はあくまでも私たちであって、助け主は脇役なのです。この弟子たちに聖霊降臨が起こった時、弟子たちがイエス様の奇跡を見たり、イエス様のお話を聞いたりしたことを、人々に証しさせるために、助け主は弟子たちに働いて、イエス様がなさったことを正確に思い出させてくださいました。預言者時代に書かれた旧約聖書も、弟子たちによって書かれた新約聖書も助け主である聖霊の導きによって、書かれました。ですから私たちは聖書を信頼できるのです。使徒パウロもテモテへの第二の手紙3章16節でこのように教えています。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」そういう訳で、私たちに求められていることは、聖書に親しむことです。まず1日に何章読み進めるのか決めて、旧約聖書から新約聖書まで、繰り返して通読することです。新約聖書には旧約聖書のお話が結構引用されていますから、繰り返して読むことによって、聖書全体が何を教えようとしているのかが見えてきます。また聖書を読む時に、まず行わなければならないことは、「神様、これからあなたの御言葉を読みますから、よく理解できるように導いて下さい。」と祈ることです。神様にお願いするなら、神様は二つ返事で、願う人を良き理解へと導いて下さいます。
 ところで聖書は何について書かれているのでしょうか。ヨハネの福音書16章8節を見てください。そこにはこのように書いてあります。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」この御言葉から聖書には、天地創造からこの世の終わりのことまで書かれていますが、その中心となる主題は人間の「罪と義と裁き」であることが分かります。このことを教えてくださるのが、「その方」と呼ばれる、本日の主役である聖霊です。この聖霊は世の人々の、「罪について、義について、裁きについての理解が誤っていることを明らかにされる」と、イエス様は言われます。ですから、聖書を何回読んでも、罪と義と裁きについて、正しく理解していなければ、聖書読みの聖書知らずとなってしまいます。
 9節でイエス様は「罪についてというのは、彼らが私を信じないからです。」と言われました。彼等とはユダヤ人の指導者たちのことで、サンヘドリンと呼ばれるユダヤ人の政治と司法の最高議会の議員たちのことです。このサンヘドリンの議員たちが教えていることは、モーセの律法を神様の言葉として信じて、信仰によって守ることではなく、行為によって守る事でした。そこでユダヤ人は律法を細分化し、律法の一つ一つを行為によって守ろうとしたのです。神様に対する信仰は二の次、三の次だったのです。イエス様はこれを正そうとして来られたと言っても過言ではありません。
 そもそもモーセ五書の最初の創世記のテーマは、神様が蛇を用いて、最初の人間のカップルであるアダムとエバに、禁断の木の実を食べさせて罪を犯させ、その罪を世代に渡って遺伝する原罪とされたことでした。その原罪の解決方法として神様は蛇に言われました。創世記3章15節です。「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」お前の子孫とは悪魔の事で、女の子孫とは聖霊によって処女マリアに宿った神の子イエス・キリストです。父なる神様は悪魔を用いてご自分の御子イエス・キリストを十字架に掛けて殺し、キリストが自分の罪のために身代わりとなって死んで下さったことを信じる人の原罪を赦(ゆる)す事にされたのです。このことを使徒パウロはローマ人への手紙3章23節と24節で教えています。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖(あがな)いを通して、価なしに義と認められるからです。」
 次にイエス様はヨハネの福音書16章10節で言われました「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。」この御言葉の解釈は難しいですね。私はこのように解釈しました。「イエス様が地上におられる間は、不信仰者は人間イエスを見てしまい、なかなかイエス様を神様と信じることができません。しかし聖霊に導かれた弟子たちの宣教活動によって、天の父なる神様の許に昇って行かれたイエス様を神様と信じるならば、その信じることがその人の罪を赦し、義なる人とする」ということです。
 そしてイエス様はヨハネの福音書16章11節で言われました。「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」この世を支配する者とは、皆様ご存知の通り悪魔です。先ほど創世記3章15節で父なる神様が預言されたように、女の子孫であるイエス・キリストが十字架に掛かって死なれたことによって原罪が赦され、蛇の子孫である悪魔が人間に犯させる罪も一緒に赦されることになってしまったのです。これは相対的に悪魔の力がもはや失せてしまったことを表しています。つまりこの世の支配者である悪魔は既に裁かれてしまったのです。

 聖霊降臨祭の本日弟子たちに下った聖霊は、ヨハネの福音書16章7節では「助け主」と呼ばれました。しかし、13節を見ますと、聖霊は「真理の御霊」と呼ばれています。なぜでしょうか、それは聖霊が弟子たちを「助けて」「全ての真理に導いて下さる」からです。この「全ての真理」とは何でしょうか。イエス様はヨハネの福音書14章6節で言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」この御言葉から、イエス様御自身が「真理」であることが分かります。またヨハネの福音書17章17節を見ますともう一つの真理が書いてあります。「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。」イエス様は、父なる神様の言葉が真理であると言っています。この「父なる神様の言葉」とは誰のことでしょうか。ヨハネの福音書1章1節を見ますと、この様に書いてあります。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」この「ことば」とはヨハネの福音書1章14節を見ますと、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と書かれており、その「ことば」とは、イエス・キリストであることが分かります。以上まとめますと、イエス様自体が真理であり、イエス様が言われる全ての言葉が真理と言うことになります。
 このイエス様が言われる言葉を真理の御霊が聞き、聞いたそのままを弟子たちに伝えるので、ヨハネの福音書16章14節に書いてあるように、真理の御霊はイエス様の栄光を表すことになります。この様な意味で真理の御霊は、始めから終りまで、イエス様の声を伝えるための管、すなわち伝声管の役割に徹しているということが分かります。伝声管と言っても、イエス様と弟子たちの間に声を伝えるパイプが有るわけではありません。真理の御霊は弟子たちの頭の中に宿って、天の上におられるイエス様の言葉を聞き取り、そのまま弟子たちに伝えるのです。ですから「真理の御霊」は「真理であるイエス様」の「真理の言葉」をそのまま弟子たちに伝えてくださる忠実な神様となります。
 こう言う訳で、本日の聖書箇所の15章26節でイエス様が言われたように、真理の御霊は、イエス様について正確な情報を弟子たちに伝えてくださるので、弟子たちはイエス様がどのようなお方なのかを正しく理解できるようになるのです。そして真理の御霊は弟子たちの内に宿り、弟子たちを助けて真理であるイエス様を証しするように導いて下さいます。この真理の御霊を通して送られてくる正しい知識によって、弟子たちの一人ペテロは、聖霊降臨の日、集まって来たユダヤ人たちに対して説教し、使徒の働き2章41節に書いてあるように、一日で三千人程の人々を信仰に導きました。それだけでなく、真理の御霊を通して送られてくるイエス様の言葉を新約聖書の形でまとめさせたのも真理の御霊の働きと言うことができます。この真理の御霊の働きにより、キリスト教はローマ帝国中に広まり、多くの人々を信仰に導き、多くの教会が建てられていきました。

 このように、イエス様の復活後50日経った五旬節の日の朝、聖霊降臨が起こり、弟子たちに真理の御霊が宿りました。この弟子たちに宿った真理の御霊はイエス様から聞いた情報をそのまま弟子達に伝えて、まず真理の御霊が弟子たちにイエス様の証しをしたのです。弟子たちはその真理の御霊の証しを受けて、以前自分たちがイエス様から教えていただいたことを正確に思い出すことができました。それで今度は、その真理の御霊の証しを受けた弟子たちは、真理の御霊に導かれて、人々にイエス様の証しをしたのです。以前に聞いたイエス様のお話と少しも違わない真理の御霊の証しを聞いて、弟子たちは力を得て、大胆に人々に語ることができました。根拠のある正しい証しは人の心を揺すぶるものです。聖霊降臨の日、大風が吹く大音声に導かれて集まって来た大勢の人々に向かってペテロが説教し、その日だけで三千人程の人達がイエス様に対する信仰を持ち、その場で洗礼を受けました。真理の御霊が弟子たちを通してイエス様について証ししたからです。私たちもイエス様の言葉である聖書に親しみ、真理の御霊を求め、イエス様の証しをさせていただきましょう。私たちが求めるなら、イエス様は喜んで真理の御霊を送ってくださいます。私たちも、この真理の御霊をいただいてイエス様を証しし、御霊の働きによってイエス様を信じる人を多く起こしていただき、この多くの日本人の兄弟姉妹と共に天の御国に凱旋させていただきましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。

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