☆証☆ 

NC2003 を通して

関西学院大学3年 野田耕

NC2003 に参加したのは私が高校 3 年生、つまり大学 0 年生の時であった。進学は決定していたがまだまだ人格面でも、クリスチャンとしても非常に未熟で、新しく始まる大学での世界を思い浮かべては遊興に期待を寄せるばかりの日々を過ごし、一方、教会では一部の同世代の人に嫌悪感と苛立ちを覚えていた。私は毎週教会に来る為に朝早く起きて礼拝を捧げているのに、何故彼らは礼拝が終わった後にやって来るのか。何故そんなにやる気が無いのか。クリスチャンのくせに絶対に間違っている、この教会には必要ない、と。

そんな私が NC に参加した。そこには今までに見た事が無いくらいのたくさんのクリスチャンがいた。満員電車の中で周りの人全てがクリスチャンのような、何とも言えない緊張感と安堵感があったが、 0 年生で参加なので多少不安も覚えた。この人たち全員と仲良くなれるかなぁ。そんな事も考えたりした。しかしそれはとても心の狭い私の考えであったので、もし私の許容以上の人が現れればまた嫌悪感を抱き、許せなかったに違いない。その環境下で神様は数々の素晴しい出会いを与えてくれた。今でも一人一人覚えているくらい印象的な彼らの言葉や考え、神様に対する姿勢、熱心さ、真っ直ぐさを目の当たりにした。自分の小ささが恥ずかしくなった。私は何を今まで信仰していたのか。一体何の為に自分はクリスチャンだと自称し、愛すべき隣人を蹴落とし、悲しませてきたのか。十年以上に渡って歩んできた教会生活は全くの無駄だったのか。全く的外れな生き方をしていた自分こそ、愚かで非難されるべき者であると気付かされた。また、メッセージを通して NC2003 のテーマである「あなた方はキリストの体であって、ひとりひとりは各器官なのです。」の意味がとても身に沁みた。教会に集められている人は皆一つの家族でありそれぞれは多様性を持ち、弱いところがあれば互いに労わり合い、苦しみも喜びも共有する。これこそクリスチャンとしてあるべき姿である。つまりは居なくていい人など存在しないのだ。その事がやっと分かった。

NC から帰ってまた通常の日々に戻ると、教会での私の口癖はしばらく、「キリストの各器官やからなぁ〜」であった。全ての人を愛する事が出来たらこの上ないのだが、それは出来なかったので良く思わない人の為にも祈れるようになった。今遣わされている場所にも神様の計画によって色んな人がいて、その人と関係を築き上げていく。もし NC に参加していなかったら相変わらず人を非難して自分から一線を引いて、自分だけの価値観しか認めない多様性に乏しい小さな世界を構築し、今のように KGK や学内聖研、またはその他多くの場において豊かな関係を結ぶ事など出来なかっただろう。大学入学前に立てていた大学での目標は、たくさん遊んでこの世的に充実した楽しい生活を送るという何とも退廃的なものであったが、実際今は KGK 、バイト、勉強など等の都合で忙しい日々を送っている。しかし何より多くの愛すべき友人に囲まれ、神様を仰ぎつつ生きていけるという事に心から感謝である。そのきっかけとなった NC 無しに今の私は語れないと言っても過言ではない。

来年の春、 NC はまたやって来る。きっと神様はまた今回の NC でも準備委員を通して想像もつかない計画を用意しておられるに違いない。貪欲に祝福を求めていこうではないか。

 

†KGK† -National Conference 2006!!-


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