☆証☆ 

NCに参加して

富山医科薬科大学医学部5年 田島ジェシー

 

俺は2年生のときにNCに参加した。大学に入って、KGK を知って1年と少したった時のことだ。大学に入るまで KGK の存在も知らなかったし、大して KGK のことを理解していない時期だ。リーダー訓練会にも参加できず、初めて全国レベルで KGK の働きを実感できるすばらしい機会だと思い参加した。もともと人見知りする性格で、しかもグループのリーダーになるとは…少々緊張の面持ちで NC に出発。案の定 500 人という大人数で、しかも北陸からは 8 人という小人数で知り合いが少ない状態の中、初日は正直にひいてしまった…。でも同じ信仰を持つ、大学の中で同じ理念を持つ KGK のクリスチャンたち…、きっと最終日には帰りたくないと思うほどの良い出会いを神様が与えてくださるんじゃないかと期待して臨んだ。

『キリストのからだ‐その広さ、長さ、深さ‐』、キリストのからだ、それは教会を表すもので、このコリントの手紙の箇所は良く知っている。でもこの講演から学んだものは全くもって新鮮だった。今思えば、出会いだったり、交わりだったり、そういった学びとは異なるところに NC の意義を感じていた自分がいたように感じる。 NC での御言葉の学びはこのような俺のスタンスを木っ端微塵にしてくれた…。そう、グループタイムやグループの聖研の交わりも御言葉の分かち合いがあってこそだったと思う。Tコリント 12 章の学びの中で俺が一番印象に残ったのは、 22 節の箇所。「それどころか、からだの中で比較的弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」「賜物」という言葉は、イメージとしては「神様が与えてくださった秀でた部分」っていう感じだったけど、この聖書箇所を読むと弱い部分も神様からの恵みなんだなぁと思う。神様は俺という存在全部を賜物として使ってくださることを知ることが出来たと思う。そしてもう 1 つ、渡辺信夫先生の特別講演。教会の戦争責任をクリスチャンの立場から語ってくださった。この学びは俺にとっては本当に初めての学びで、今まで全く意識したことのないものだった。ちょうどアメリカがイラクに宣戦布告しようという時期だったから、富山に帰った後も、ニュースを見ながら一人戦争責任について考え込むことが増えた。そして最終日の前の晩のグループタイムでは涙ながらに各々が証し、祈りの課題をあげ、みんなで手をつないで祈った。今でもリアルにその映像を思い出すことができる。初日俺が期待していたこと以上に神様は祝福してくださった。最終日は帰る時、何かものさびしい思いがした…けど NC での学び、交わりの喜びの余韻とばかりに帰りの電車の中ではみんなで賛美をしていた。

NC に行くかどうか考えているみなさん、こんなつまらない文章を読んでも行きたくなる気持ちなんて出ないと思うけど、言葉では、文章では説明できない、 NC に行って初めて得られる喜びがあると思うので、ぜひぜひ期待を持って NC に参加してください!! 2006 年の NC も神様が理解を超えた大きな業をなしてくださるように期待し、お祈りいたします。 2003NC に感謝!

 

†KGK† -National Conference 2006!!-


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