☆証☆ 

◇散らされるために◇ 

千葉大学4年 吉村安彦  

先輩に誘われるまま、なんとなくKGKの交わりに加わっていた自分にとって、2003年春に参加したNC(全国集会)は本当に大きな衝撃だった。当時、自分の通う大学にはそれなりの規模をもった聖研グループがあった。手狭ながらも部室はあったし、聖研も週に2回やっていた。けれども自分はバイトや他の用事を優先させ、聖研には他に予定がなければ参加するといった程度の意識しか持っていなかった。NCに参加したのも他に予定がなかったからで、特別なにかを期待していたワケではなかった。

NCには全国から500名近いクリスチャン学生が集まった。出身や教派はバラバラで、それぞれが置かれている状況もさまざまだった。にもかかわらず、共に主を見上げて賛美し、はじめて出会った仲間とお互いのために祈り合った感動は、今でも忘れることが出来ない。とりわけグループでの交わりを通して教えられたことは多い。

「宗教って聞くとすぐに胡散臭そうな目で見る人も確かにおるけど、お前が信じてるんやったらキリスト教も悪くなさそうやなって興味示してくれる友達も結構おるで。」

生き方を通してキリストをあかしするということがどういうことなのか、ストレートな表現で生き生きと語ってくれたグループリーダーとの出会いは、それ以降、自分のKGK運動の原点となっている。(ちなみに千葉生まれ千葉育ちの自分が、時々似非関西弁をしゃべる本当の理由はここにあるのだが恥ずかしいので内緒) クリスチャンとは名乗りつつも、周りのノンクリスチャンとまったく変わらない生活をしてきた自分。福音を知りつつも、友人関係が崩れてしまうことを恐れて積極的には伝えてこなかった自分。そんな自分にとって、それほど歳の変わらない同世代の仲間が、力強くキリストをあかししている姿は大きなチャレンジとなった。

また、学内に聖研グループがないため、真剣に祈り求めている子もいた。彼女と一緒に祈る中で、ただ受身でなんとなく学内聖研に関わっていた自分自身の姿勢が問い直され、なんのために聖研をやっているのか、あまり考えたことがなかったことにも気づかされた。同じ学内で一緒に聖研できる仲間がいることが、どれほど感謝なことなのか知ったのもこの時だった。本当に限られた時間だったにも関わらず、こんなにも多くのことを教えられた4泊5日。自分にとってNCはそんな忘れられない体験だった。

来年の春、再びNCがやってくる。全国から自分たちキリスト者学生が集まるのはなんのためか。それは単に盛り上がるためでもなければ、クリスチャンの友人を増やすためでもない。確かにあれだけの人数のクリスチャンが集まって賛美する様子には圧倒されるし、いろんな地区の人と出会う貴重な機会でもある。けれども自分たちが集まる最大の理由は「散らされるため」ではないだろうか。NCを通して受けた恵みを、それぞれが遣わされている宣教地=学校で還元していく。それこそがキリスト者学生が集まる理由であろう。弟子たちもイエス様の傍に集められ、そして全世界へと散らされていった。自分たちを集めてくださるのは、同じ主である。期待して祈っていきたい。

†KGK† -National Conference 2006!!-


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