聖書箇所

2020年4月5日(日) 棕櫚(しゅろ)の主日

聖書箇所 説教全文


ヨハネの福音書 11章20-43節

 20 さて、祭りで礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシア人が何人かいた。21 この人たちは、ガリラヤのベツサイダ出身のピリポのところに来て、「お願いします。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポは行って、イエスに話した。23 すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。24 まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」

 27 「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。28 父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」29 そばに立っていてそれを聞いた群衆は、「雷が鳴ったのだ」と言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話しかけたのだ」と言った。30 イエスは答えられた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためです。31 今、この世に対するさばきが行われ、今、この世を支配する者が追い出されます。32 わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」33 これは、ご自分がどのような死に方で死ぬことになるかを示して、言われたのである。34 そこで、群衆はイエスに答えた。「私たちは律法によって、キリストはいつまでも生きると聞きましたが、あなたはどうして、人の子は上げられなければならないと言われるのですか。その人の子とはだれですか。」35 そこで、イエスは彼らに言われた。「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません。36 自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」

 イエスは、これらのことを話すと、立ち去って彼らから身を隠された。37 イエスがこれほど多くのしるしを彼らの目の前で行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。38 それは、預言者イザヤのことばが成就するためであった。彼はこう言っている。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。」39 イザヤはまた次のように言っているので、彼らは信じることができなかったのである。40 「主は彼らの目を見えないようにされた。また、彼らの心を頑なにされた。彼らがその目で見ることも、心で理解することも、立ち返ることもないように。そして、わたしが彼らを癒やすこともないように。」41 イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであり、イエスについて語ったのである。42 しかし、それにもかかわらず、議員たちの中にもイエスを信じた者が多くいた。ただ、会堂から追放されないように、パリサイ人たちを気にして、告白しなかった。43 彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したのである。

(新改訳 2017)

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