日本基督教団 富士吉田教会

ようこそいらっしゃいませ。日本基督(キリスト)教団富士吉田教会は、山梨県富士吉田市にあるプロテスタントの教会です。

礼拝説教

説教本文・(時に要約)を掲載しています。音声配信もあります。

2017年10月15日 「福音」 今村あづさ伝道師
ローマの信徒への手紙1章16~17節

1517年10月31日、北ドイツのヴィッテンベルグと言う大学の教会堂の入り口に、「95カ条の掲題」が貼り出されました。これが問題となって、ルターの宗教改革が始まりました。今年2017年は、ルターが95カ条の掲題を貼り出してから丁度、500年目に当たるので、さまざまな記念の行事が執り行われています。富士吉田教会では、来週と再来週は外部から牧師の先生がいらっしゃって説教と聖餐式をすることとなっていますので、2週間早い今日、ルターを取り上げることにしました。
ルター派の教会は、ドイツを中心として北欧まで拡がることになり、そのほか、プロテスタント教会は、オランダ、スイス、イングランド、スコットランドと言った国々に拡がって行きました。さらには、アメリカ大陸に移民が押し寄せると、それぞれの信仰によって、さまざまな教派の教会が立てられて行くこととなります。
けれどもそれは同時に、最初は一つの教会であったものが、仲たがいして分かれて行く歴史でもあります。カトリック・ローマ教会から英国国教会が分離し、英国国教会からメソジスト教会が分離し、メソジスト教会からホーリネス運動が出て来る、といった具合です。
数百年前に仲たがいして別れてしまったけれど、和解することはできないのだろうか。和解と一致のための話し合いが始まっています。ルーテル教会とカトリック・ローマ教会について言えば、カトリック・ローマ教会はルターを異端として断罪しました。しかし、今日お話しする義認の教理に関して言えば、和解が成立しています。
2000年に、カトリック教会とルーテル教会は、「義認の教理に関する共同宣言」と言うものを出しました。これによって、カトリック教会は、ルーテル教会の断罪を解いたのです。つまり、ルターの義認の教理は、なんら異端的な考えではないことを確認したのでした。また、ルター教会も、カトリック教会への断罪を解いたのでした。
今日は、この問題となった、ルターの義認の教理について、見て行きたいと思います。
今日の聖書箇所で17節、「福音には、神の義が啓示されている」「それは、最初から最後まで、信仰によって実現される。」この箇所を読むと、皆さんは、どのように感じますか。イエス・キリストの十字架の出来事は、神様によるものであった。神様が、ご自分が死んでも、わたしたちを生かすということである。それは、ご自分をいけにえにして、わたしたちの罪を赦すということである。イエス・キリストを信じることを通して、神さまの憐れみによって、わたしたちは神さまの前に正しい人間として生きることができる。それは、わたしたちが本当は正しい人間ではないのに、イエス様がわたしたちの側に立ってくださって、わたしたちのために弁護し続けてくださっている。
こんな神様のわたしたちの救いのご計画を思い起こす時、恵みに対する感謝があふれてきます。私たちは、神様と共に生きることができる。それは、わたしたちがさまざまなこの世の苦しみや悲しみ、わけのわからないことに囲まれている中で、確かに生きることを許されているということですから。
しかしながら、23歳で司祭として叙階をうけたルターは、神様を愛することができなかったどころか、憎んでいたのでした。ルターにとって神さまとは、誰に対してもえこひいきをしない公平な裁きをする方でした。そしてその裁きは、裁かれる人の思いではなく、行為の結果で裁くのだと考えていたのです。
裁きには、基準が必要です。律法や法律では、もちろん、ルターは裁かれるようなことは何もやっていません。けれども、ローマの信徒への手紙の1章の先を読むと、さまざまな悪徳が列挙されています。その基準は法律ではなくて、道徳でしょう。そして、ルターは、模範はキリストだと考えたのでした。キリストこそ、神様の義を具体的に示した方だ!
さあ、イエス・キリストが模範だとすると、しかもその行いによって裁かれるのだとすると、果たして、わたしたちは、合格点をもらえる人はどのくらいいるでしょうか。だれも、合格点はもらえそうもありません。ルターは、自分も合格しないだろう、と考えました。もちろん、ルターは、立派な修道士でした。自分を鞭叩いて、苦行をしたとか、伝えられています。しかし、自分の行動では、自分を救うことはできませんでした。
最後の審判の時にイエス様は、もう一度やってきます。その時に、わたしたちは、キリストのみ顔を初めて、見ることになります。それは、わたしたちにとってはあこがれであり、望みです。しかし、ルターにとって、終わりの日にやって来る審判者キリストは、恐ろしい、閻魔様のような存在でした。そのみ顔から逃れたい。ルターはそのように願っていました。けれども、逃れることはできなかった。どうして、可哀そうな人間を、こんなに追い詰めるのか。そんなふうにルターは苦しんでいたのです。
さて、どうしてルターは、こんな風に考えてしまったのでしょうか。実は、カトリック・ローマ教会では、もともと古代に、わたしたちは自分では義と認められることはないけれど、神様からの賜物によって、義と認められるのだと考えられていたのです。信仰さえも、神様のくださる賜物だと。ところが、ルターがこの考え方を学ぶことはなかったようなのです。どうして、学ぶことはなかったのでしょうか。ここで暫く、歴史の話になります。
ルターの生まれ育ったところは、北ドイツの地域です。ベルリンのある地域ですから、今はドイツの首都のあるところです。けれども、気候は寒冷で、乾燥が厳しい地域です。ローマ教会の中心のローマからは、遠く離れていました。
カトリック・ローマ教会が置かれた教会は、西ヨーロッパ全体に及びます。中心はローマ教会で、各地方には司教座と言って、司教の居る大きな教会が置かれています。地方の小さな教会は、司教ではなくて、司祭とか、司祭さえいない教会もありました。そして、カトリック・ローマ教会は、上下関係の厳しい教会です。教会のお金は、上に厚く、下に薄い構造です。ローマ教会がどのくらいのお金を集めていたのか、ちょっとわかりません。しかし、司教座の司教については、数億円レベルの年収があったようです。彼らは、封建領主でもありました。一方で、地方の教会の司祭と言うと、今のパートの年収くらいしかありません。これは、教育レベルの違いでもありました。司教以上になる人は、大学から神学校へ進むのですが、地方の教会の助祭、ということになると、あまりラテン語も出来ない人もいたらしいのです。遠いところから何年もの間、留学するのは大変でしたし、聖書をまともに読むことも出来ない聖職者に高い俸給を払おうとする司教はいないのです。
地方の藩(領邦国家)の殿様で名君と言われる人々は、領民の教育レベルを上げ、生活を向上させたいと、いろいろ努力をしました。ルターの教えていたヴィッテンベルグ大学も、そのような殿様によって、1502年に設立されたばかりでした。
この大学では、当時、常識と考えられていた中世の考え方を教えていました。中世の教会では、告解によって自分の罪を告白(例えば、隣の奥さんを好きになってしまいました、とか)し、司祭の指示する罪の償い(教会の草むしりとか、主の祈りを百回唱えるとか)を行って、赦しを受けるという制度がありました。(罪の内容と償いの内容が見合っているかどうか、分かりません。例です。)人々は、誕生と共に洗礼を受け、天に召されるまでの間、罪の告白と償い、赦しを受けながら教会生活を送っていたのです。これが、「義認の形相因は、魂の内部の創造された恵みの習性である」と言う神学に裏打ちされていたのです。
罪の償いは、本人ではなくて、他人が代わって償うことも出来ました。ですから、お金のある人は、家来に金を与えて、教会の草むしりを自分の代わりにやってもらう、と言うことが行われていたのです。ある人が亡くなると、罪の償いをすべて終えていたかどうか、が問題になりました。罪の償いが終わっていなければ、天国に入る前に、煉獄と言うところで罪の償いをしなければならないと考えられました。日本の法事のような考え方です。免罪符は、煉獄で苦しんでいる罪の償いの期間を短縮することができると、販売されていたのです。
ルターは、煉獄の考え方も、免罪符の考え方も、批判をしていました。ヴィッテンベルグ大学では、この伝統的な神学と並んで、流行の神学を取り入れて行きます。それには、このような理由があったのではないでしょうか。
伝統的な考え方は、聖化が行われていなければ、救われないと考えていたようです。それでは、流行の考え方は、どんなふうに考えていたのでしょうか。それが、先ほどの公平な裁きをする神様と言う考え方だったのです。誰にもえこひいきをしない。その人を愛しているか、憎んでいるかにはよらない。その人がお金持ちだからとか貧乏人だからとかに影響されない。人となりが好きかどうか、好ましいかどうかではなくて、厳格に行いのみで裁く、と言うのです。
この考え方は、神聖ローマ帝国の法律の持つ考え方でした。ルターは、雷に打たれた時に、「命を助けてください、そうしたら修道院に入ります!」と祈り、命が助かったので、修道院に入って神学を勉強しました。この事件が起こった時、ルターは法学校の学生でした。彼は法律を勉強していたのです。ローマの法律の持っている考え方、「正義とは、その人の受け取る権利を持っている物を受け取ることである」と言う原則が、神学にも影響していました。神学的には、「人間が神さまの要求するところを満たせば、人間は神さまに義とされる権利を持つ。」と言うものでした。
さて、では聖書の神様は、このような方なのでしょうか。神様の義、正しさ、をどう考えたらいいのでしょうか。
旧約聖書の神様は、もちろん、公正な裁きをされる方です。けれども、同時に、より頼む人々の幸福を回復するために、積極的に介入をされる方でもありました。神さまの義、正義は、同時に神さまの救いをも意味するものなのです。
木曜日の聖研祈祷会では、旧約聖書のサムエル記上を、御一緒に読んでいます。サムエル記の前の前の士師記を読むと、神様はイスラエルの人々が他の神々を礼拝して神様を忘れると、他民族を使って懲らしめのためにイスラエルの人々を苦しめます。イスラエルの人々が神さまに立ち返り、悔い改めて神さまに助けを求めると、サムソンのような士師を送って、異民族の攻撃を撃退する。士師記はこんな構造を持っています。軍事的な介入、救援もまた、神の義の表れなのです。つまり、神の義、正義とは、救いをもたらす義、であります。
伝統的な考え方に批判的だったルターは、最近の流行の考え方に飛びつきました。けれども再臨流行の考え方の教える神の姿が、我慢できなくなっていきました。神は、厳格に行いのみで裁く、と言うけれど、この行いとは何だろうか。ルターはそれは、神様に対する謙遜の気持ちを持つことだ、と考えました。しかし、その謙遜の気持ちは、自分が持つように努力することによって、持つものなのだろうか。そうではない、それは無理だ。神様に対して謙遜な気持ちを持つこと、神様のなさることは、自分にとってよいことをなさっているのだ、と受け入れる謙遜な気持ちさえも、それは神様がくださるものなのではないのか。自分から神様を愛することができると思うことは、愚かな考えだ。神さまによって受け入れられることは、最初から最後まで、神様の側からのプレゼントなのだ。ルターは最後に、このような考えに、たどり着いたのでした。

さて、最初に、ルーテル教会とカトリック教会の義認論について、2000年に共同宣言が行われて、ルターの義認論は、異端ではありません。と認められました、と話をしました。実は、「神さまによって受け入れられることは、最初から最後まで、神様の側からのプレゼントなのだ。」というルターの結論は、アウグスティヌスと言う人が、ルターより1000年も前に、言っていたことでした。カトリック教会の正統な考え方だったのです。それなのに、どうして、ルターはこの考え方を知らなかったのでしょうか。もっと歴史のある大学へ行っていたら、勉強できただろう、と言う人もいます。ルターが迷ったことは、この時代のキリスト教が、歪められていたことを意味するのではないでしょうか。
けれども、これによって、宗教改革は、一つの流れができました。それは、古代の時代のキリスト教に戻れ、と言うことです。わたしたちの礼拝も、使徒信条を告白しています。この信仰告白を、古すぎて意味がないと考えるのではなくて、そこにわたしたちを生かす神さまへの信仰が告白されていることをわたしたちは信じて、告白をしているのです。
お祈りします。
天の父なる神様。今日は、ルターの思い煩いから、あなたの救いをもたらす義について、教えられました。すべてを備えてくださるあなたの恵みに感謝します。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

2017年10月8日 「天の国の秘密」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書13章10節~17節
2017年10月1日 「種を撒く」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書13章1節~9節

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