日本基督教団 富士吉田教会

ようこそいらっしゃいませ。日本基督(キリスト)教団富士吉田教会は、山梨県富士吉田市にあるプロテスタントの教会です。

礼拝説教

説教本文・(時に要約)を掲載しています。音声配信もあります。

2016年6月26日 「人の子が来る」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書24:29~31

今日は、ホーリネスの弾圧記念礼拝です。1942年(昭和17年)6月26日、日本基督教団第六部(前日本聖教会)、第九部(前きよめ教会)および東洋宣教会清め教会の96名が検挙されたのでした。教会は閉ざされました。それは、宗教団体として認められなくなったということで、当局から日本基督教団に対して、これらの教会の解散命令が出されました。牧師は囚われ、教会は宗教団体として認められなくなってしまったということで、信徒の人々は長い長い、礼拝のできない日々を暮らすことになったのです。
なぜ、ホーリネス教会が狙われることになったのか、いろいろなことが考えられます。けれども、今年の弾圧記念礼拝では、ホーリネス教会では、どんなことが教えられていたのか、考えてみたいのです。
ホーリネスの中心的な指導者に、中田重治という人がいました。この人が、ホーリネスの教えとして講義したのが、「四重の福音」よっつ重なる福音です。どんな福音かと言いますと、新生(新しく生まれる)、聖化(聖なる者に変化する)、神癒(神の癒し)、再臨(再び臨む)の4つです。これらは、洗礼、信仰告白、聖餐、終油(カトリックの聖礼典の一つ)との関連が強いです。今日は、そのうちの再臨について、考えてみたいと思うのです。
再臨というのは、イエス様がもう一度、この地上に降りて来ることです。何をしに来るのでしょうか。再び、十字架に掛る必要はありません。すべての国の民が集められ、裁かれるというのです。
主イエスは、羊飼いが羊とヤギを分けるように、すべての国の民をご自分の右側と左側に選り分けると言うのです。そして、右側に居る人々には、こう言います。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時から、お前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ、喉が渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ。」という訳です。
ここで、主イエスは天の玉座に座る王なのです。しかし、牢屋に入り、裸で、病に掛り、さらに食べる者に事欠き、喉が渇いて水をくださいと哀願するような、そんな王っているでしょうか?昔、獄につながれると言えば、人間扱いされない、ひどい所でした。鞭打たれ、拷問に掛けられ、息絶え絶えで、身の毛もよだつような場所に鎖つながれている、そんな人が王でしょうか。この選ばれた人々が、「主よ、いつ私たちじは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、…」というのも、当然のことです。しかし、それに対して王は、「はっきり言っておく、わたしの兄弟である者持っても小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
世間の誰からも親切にされず、本人も人間としての尊厳を失いかけ、希望を失くしているような、そんな人々に対して、手を差し伸べ、兄弟として助けたことは、あなたの主人である私にしたことなのだ。」王は、言うのです。
一方で、左側に居る人たちに対してはこうです。「…」彼らの答えは、「主よ、いつ私たちは『あなたが』飢えたり、…」この人たちも、まさか、あの時の惨めな姿をしたあの人を、王だとなんて、思わなかったのです。けれども、この人たちは、永遠の罰を受ける。そして、正しい人たちは、永遠の命に与るという訳です。
今のたとえ話は、25章に書かれている者ですが、終末に関するたとえ話は、7つあります。そして、紹介したたとえ話だと、靴屋のマルチンの話のように、貧しいものに親切にすることが、神に良しとされるという話しでした。けれども、他には、金儲けの話もあります。どうも、神様からいただいた賜物についての話のようです。ともし火を絶やさないように気をつけなさいと、注意するたとえ話もあります。十人の乙女のうち、5人は賢く、5人は愚かだった、愚かな乙女たちは、油の用意をしていなかったので、花婿の到着に間に合わなかったということです。
これらのたとえの前に、目を覚ましていなさいと言う、イエスの言葉があります。要するに、イエス様は、いつやって来られるか、分かりません。気を付けて、待っていなさい。こう言うことです。気を緩めてしまうと、愚かな乙女になってしまう。せっかくイエス様がやって来た時には、油がなくて、出迎えられないということです。油、信仰のともし火を燃やし続ける油です。
ペンテコステが起こった頃、イエス様の弟子たちは、イエス様は、すぐに戻って来ると考えていたのだそうです。イエス様は、天の国へ行って、弟子たちが天で憩う場所を用意して、また戻って来る。イエス様が、このような場所を確保するのに、時間が掛る訳がない。だから、直ぐに戻って来ると考えていたのです。
けれども、戻って来ない。だからと言って、もう来ないんだ、と愚かな乙女たちのように、信仰を失うなかれ。いつ主は来られるか分からない。来られたら、直ぐに、人々を羊とヤギのように右と左に分けるんだよ、そして、その分ける根拠は、あなたの気が緩んで、たった一回、誰かを見殺しにした、そのことを言うかもしれない。あるいは、イエス様がいつ来るかわからないから、自分の賜物を生かすこともしないで、楽しくおかしく暮らそう…。そんなことをしていたら、ある日、主人が帰って来て、「この訳に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」ということになる。だから、気を付けていなさいと。
私たちにとって、このイエス様のやって来る時は、端的にいつだ、と考えるでしょうか。それは、神秘に隠されている問題で、人間が「何年何月何日です」ということは、できない問題です。19世紀、アメリカでは、実際、「何年何月何日に、イエス様が再臨します。」と預言した教会もありました。もちろん、そんなことはありませんでした。聖書に、「その日、その時はいつか、誰も知らない。』とイエス様が言ったと、ちゃんと書いてあるのですから、人間の方で、その日付を知ることはできないのです。
むしろ、私たちの中では、それは個人的な終末のことでしょう、つまりは自分が死ぬ時のことでしょう、と考える人も多いでしょう。その通り、死んだ後、どうなるかはやはり同じく私たちには神秘なのですが、すくなくとも、終末のラッパが鳴るときまで眠りに着く、そして肉体をとって甦るとパウロは書いています。つまり、眠りから覚めると、イエス様が来てくださっているということです。そして、目覚めたらすぐに、裁きです。眠りに着くときまで、私たちは目を覚まし続け、信仰を持ち続けることが求められているのです。
再臨のことは、聖書に書かれていることなのですが、多分、あまり切迫感を持って語られることはなかったのだと思うのです。それを、切迫感を持って考えていたのは、イギリスのピューリタンの人々でした。主がやって来る。いつやって来るか分からない。主が来られた時に、自堕落な生活をしていたり、たまたま、お酒を飲んで酔っ払っていたら、どうするか?
主が来られる時まで、目を覚ましていよう。信仰を失っていたり、自堕落な生活をして待っていると言えるのか。健康的な生活をし、目を覚まして待っていよう。再臨の時、つまりそれは多くの人にとって、個人的な終末で終わるのかもしれません。主に会うまで、健康に前向きに生活しよう。それは、生きている限り、食べる者、飲む物に気を付け、みなりをただし、健康な生活を送るということです。
それと同時に、どうでしょう、いつか、主イエスにお目に掛れるとしたら?世界中のどこにいても、選ばれた人は、呼び集められると言われました。先ほどのピューリタンの人々が、アメリカに渡りました。アメリカの開拓地にそれぞれ入植していきます。それは、広大な大地で、人の力は乏しく、生活の苦労は想像もできません。隣の家まで何キロもあるとか、遠い市場にたまに出かけて行く、そこで乏しい生活物資をほんの少し買って帰る、人々に会い、話しをし、そしてまた奥地に帰って行く。
そんな場所で、最初のリバイバルが起こりました。こんなところに、こんな生活をしている私たちさえ、選ばれた民なんだ。再臨の時、自分を迎えに天使がやって来るんだ。天使とは、神の使い、聖霊ですから、。人々は、喜びに震えたというのです。
再臨の予兆というものがあります。戦争や、天変地異や、病気や、偽預言者たちが現れる。そして、迫害です。そんなことが起こった後に、ま逆の、イエス様が再臨する、ちょっと信じられない気がします。けれども、これも、聖書が語っていることなのです。
考えてみると、そんな前兆が起こっても、果たして、本当にその後にイエス様がやって来るのか、それは戦争とか、大震災とか、災害とか、たくさんの人が亡くなるような事態の時には、分からない訳です。けれども、そんな耐えられないようなことが沢山起こった先に、イエス様が再臨なさる。そう考えると私たちは、どんなことでも耐えられるのではないでしょうか。
東日本大震災の時のことです。東京でも、スーパーの食品売り場が品薄になりました。それは、しばらく続きました。まず、おにぎり、パン、水といった、調理しなくてもいい食品が無くなりました。納豆、ヨーグルトと言った食品は、生産ラインが暫く止まってしまい、入荷が遅れました。ライフラインが復旧してからは、米とか、乾麺とか、です。こんなものが、といったものが、すっからかんにないのです。
アメリカのジャーナリストが取材に来ました。どうして無くなるんですか、と店の人に尋ねました。店の人の話だと、充分な量の商品は入荷しているのだそうです。しかし、毎日、開店から1時間も経たないうちに、待ち構えていたように買っていく人たちがいて、こうなってしまうのだ、と言いました。もしも、我先に買い物をしていないと、食品が手に入らない状況なら、私は競争に負けて死んでいく方かと、その時に思いました。しかし実際のところ、物資は豊かに供給されていたのでした。普通に考えられれば、買いあさる状況ではなかったのです。けれども、朝、開店と同時に来てしまう人たちがいる。彼らの心の中には、ある種の重たい絶望のようなものがどっかと腰を据えてしまっていて、手元にとにかく商品をかき集めておかなければいられない状況なのではないか。そんな状況を心に抱えている人たちがたくさんいました。
こんな時に、私たちは、試されていると思います。主の祈りで、「試みに合わせず」と祈っているけれど、試みはやって来るのです。けれども、わたしたちが祈っているように、主なる神は「悪より救ってくださる」。
本当に、世の終わりが来たら、どうなるんでしょう?さっぱりわからないことなので、わたしたちは、再臨のことは、なかなか、考える機会がありません。けれども、大震災とか、洪水とか、竜巻とか、尋常でないことは、時々起ります。1945年8月15日に終わった戦争は、15年戦争とか、言いました。1941年12月8日にアメリカに対して攻撃する前に、中国と延々と戦争をしていたからです。そんなふうに、長いこと、続く「予兆」もあります。この間の東日本大震災で私が経験したどころの話ではありません。そんな長い、苦しい状況の中でも、「最後まで耐え忍ぶ人は救われる」のです。
中田重治は、四重の福音の中で、主イエスが再臨されるのは、完成の時、つまり福音が世界中に述べ伝えられた時だと言っています。主の祈りの「み名(な)を崇(あが)めさせたまえ。み国(くに)をきたらせたまえ。みこころの天(てん)になる如(ごと)く地(ち)にもなさせたまえ。」ここまでが、かなうのが、終わりの時だというのです。
私たちの、さまざまな、なぜですか、という疑問がすべての主の前で解かれる、試みに会わせず、悪より救い出してくださる、主に出会う時です。
さまざまな予兆の後に、いわゆる時代が変わることもあります。たとえば、先ほどの太平洋戦争が終わったあと、検挙されていたホーリネスの牧師たちは出獄し、教会は再開され、もう一度自由に礼拝ができるようになりました。明治憲法の中では、条件付きだった信教の自由は、取り上げられることのない永久の当然の権利として、国民に与えられました。ユダヤ教の終末思想には、いろいろな意味があって、このような時代が全然変わることもまた、終末、世の終わりと言いました。最後まで耐え忍ぶ人は、救われる。わたしたちの歴史は、このような意味では、世の終わりを既に何度も、経験してきています。私たちの生きて行く中で、終末の「予兆」は時々来るし、時には本当に時代の終わりが来ることもあるでしょう。主イエスはいつお出でになるか分かりません。いつか、主イエスにお会いする時に、「忠実な良い僕だ。よくやった」そんなふうに言われることができるでしょうか。せめて、油は絶やさずに持っていて、信仰のともし火は、燃え尽きることなく、持っていたい、そして、喜びの中で、最後の福音として、復活の主にお会いしたい。そのように願います。
お祈りします。主なる神様。復活の主イエスにまみえる希望の中に、わたしたちを生かしてください。主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン

2016年6月19日 「キリストにおいて一つ」 今村あづさ伝道師
ガラテア3:26~28

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もない。あなた方は皆、キリスト・イエスに置いて一つだからです。」
パウロは、ガラテア地方の教会の、ユダヤ人ではない人々に呼び掛けています。どの教会に宛てた手紙なのか、また、その教会はどこにあったのか、よく分かっていません。けれども、パウロが伝道旅行の途中で、身体が弱くなったことがきっかけで、福音伝道した教会でした。ガラテア地方は、今のトルコの中部の地域です。険しい山々が続く地域です。苦労をしたとはパウロの手紙には一言も書いてありません。当時は歩いて移動しなければなりませんでした。いろいろ、大変な思いをしたことでしょう。その中で、病気が元になって伝道が行われた。人間の計画ではない、神のご計画によって、福音伝道がなされたのです。
パウロには、がっかりしたことがありました。というよりも、腹が立って仕方がないのです。なぜならば、教会の人々が、イエス・キリストに対する信仰のみに立つのではなく、律法を守らなければならないと、考えるようになったからです。
パウロは、手紙の前半でペトロを批判します。パウロにとって、ペトロを批判するということは、大変なことだったはずです。ペトロは、主イエスが十字架に掛けられる前から、主イエスに従って来ました。主イエスが十字架に掛けられた後に復活した際に、復活に主イエスに出会います。そして、ペンテコステの出来事では、真っ先に聖霊を受けた者の一人です。
一方で、パウロ自身は、十字架の前に主イエスにお会いしていません。それどころか、キリスト教会が出来始めた時、彼はそれを迫害する側に回っていたのでした。彼は、パリサイ派のユダヤ人として育てられ、復活の主イエスに出会うまで、そのことを誇りに思いこそすれ、疑問に感じることはなかったのです。エルサレム教会の柱となっている人に、ペーペーが物申すのです。
パウロは、復活の主イエスに出会い、主と告白する者となりました。ユダヤ地方ではなくて、ギリシア語を話す社会の中で生活していたために、彼は異邦人のための使徒となりました。
ファリサイ派のユダヤ人として生まれ育った人間として、彼は律法に則った生活をしてきた人間です。そのことが、神の民としての生活だと、信じてきたのです。…イエス・キリストに出会うまでは。
復活のイエス・キリストに出会ってパウロは、全面的に変えられてしまいました。自分がこれまで拠り所としていた旧約聖書の律法を守る生活は、神の救いを得るためには、何の意味もない。どこまでも罪人である自分に、神がみ顔を向け、救いの希望に生きる者としてくださった。律法は、救われるための条件ではありません。律法を守っている限り、人は罪に留まります。救いは、イエス・キリストの出来事によって、神ご自身から来る。律法は、そのことの感謝のゆえに、自発的に守るものとなったのです。
26節で、あなた方は皆、神の子なのです、とパウロは述べています。パウロは、ここまで、「わたしたちは」と言い続けてきました。ところが、ここで「あなたがたは」と書いています。手紙をしたためているパウロの目に、ガラテアの教会の人々の一人一人の顔が浮かびます。誰もが、異邦人なのです。その人々が皆、神の子である。一人の例外もなく!パウロに敵対するエルサレム教会の人々は、割礼を受けなければ救われない、と教えたことでしょう。本家本元のエルサレム教会から、偉い人がやって来て、割礼を受けなさい、というのです。彼らの中には、エルサレム教会の教えに従って割礼を受けたものも、まだ受けずにいたものもいたでしょう。しかし、割礼を受けている者だけが救われるのではない。今、すでに、すべての人が救われている。洗礼を受けているからです。洗礼を受けていれば、割礼を受けなくても、救われるのです。神の子なのです。
26節は、いろいろに訳されています。「キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」という、わたしたちの聖書の言う意味は、わたしたちの信仰は、キリスト・イエスと私たちの個人的な心のつながりによって、神を信仰するのだ、このような信仰によって私たちは、父なる神と繋がれて、神の子とされるのだ、ということでしょう。ここで、個人的な心のつながり、とは、どんなものでしょうか。私たちが、主イエスを心から愛しているからでしょうか。パウロは3章の始めで、「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきりと示されたではないか。」と述べています。パウロにとって、十字架の主イエスはまざまざと目の前に示された存在でした。私たちは、自分たちもまた、主イエスをパウロのように目にはっきりと浮かぶまで、「愛さなければならない」ということなのでしょうか。
そうではないのです。パウロが目の前で見ている十字架のキリストは、死の苦しみを苦しみつつ、パウロを愛するキリストの姿だったのです。誰も耐えることなど出来そうもない苦しみを、あなたを愛している!、その一点で耐えているキリストの姿だったのです。
私たちは、どこまでも神の御前に立てない人間です。しかし、わたしたちは、わたしたちをここまで愛してくださった主イエスの愛によってのみ、神の子としての身分を得ているのです。
新共同訳は、「信仰によって」と「キリスト・イエスに結ばれて」の間に読点「、」が打ってあります。そのため、誰に対する信仰なのか、分かりづらいところもありますが、口語訳では「キリスト・イエスにある信仰によって」、新改訳でも「キリスト・イエスに対する信仰によって」 としており、信仰はキリスト・イエスに対する信仰であることがはっきり分かります。
英語版だと、「キリスト・イエスへの信仰を通じて」としているものが多いです。この場合は、主イエスが信仰の通路となっているという感じです。キリストに依り頼んで、わたしたちは神の子とさせていただくのです。
「結ばれて」と書いてあるから、手を結んでいるようなイメージで、いつでも手を離せるんだ、と考えてはいけません。主イエスはぶどうの木、私たちはその枝。木に枝が接木されているのです。木につながる枝は木と一体となり、木の根から養分をいただいて育って行きます。主イエスがわたしたちにつながっている腕とは反対の腕は、父なる神につながっています。だから、主イエスにつながる者は、神に確実につながる者となるのです。
27節では、わたしたちはキリストを着ているのだと言います。それは、神の目が、わたしたちをキリストと見て下さる、ということでしょう。もちろん、神は私たちの罪の存在が見えているのです。けれどもキリストが、罪のわたしたちをかばって、神の裁きの前に立ちはだかって下さるから、見逃してくださるということではないでしょうか。
洗礼は、信仰者としての生活の第一歩に過ぎなかったというのが、実感とするところです。実際の姿は、本当に罪深い存在だった。そのようなわたしたちは少しずつキリストに似たものとされていく。けれども、洗礼を受けた途端に、罪深い私たちが、恵みによってキリストを着せて戴くのだと、パウロは言います。そのような資格はどこにもないのだけれど、洗礼によって恵みを受けるのだということです。
28節でパウロは、もう、ユダヤ人もギリシア人も区別はないんだ、奴隷も自由人の区別もない、男も女もいない、と言います。それは、誰もがキリスト・イエスに結ばれているというこの一点に於いてです。苦しみの極みの十字架の苦しみを耐え忍ぶほど、神が愛してくださる、この一点で、わたしたちは何の区別もない、キリストにおいて一つなのです。
ペトロが戻ろうとした旧約聖書の律法は、人々を区別するものでした。律法において主なる神は、「聖なる者となれ」と、ご自分が選ばれた民に向かって呼び掛けています。ガラテアの信徒への手紙の2章で、パウロはペトロを非難したと書いています。それは、ペトロが異邦人キリスト者と、食事を共にしなくなったからです。
食事を共にしないというのは、律法の教えなのですが、そこには汚れの意識があります。ユダヤ人は、異邦人を汚れている者として交際していなかったのです。汚れているとは、罪人だということです。これが、聖書はすべての者を罪の支配下に閉じ込めたという22節のパウロの言葉につながっています。割礼に代表される律法の支配下にある限り、洗礼は無意味になってしまいます。
パウロの時代、人々は、さまざまな違い、区別の中で暮らしていました。ユダヤ人であるか、ギリシア人であるか。奴隷か、自由人か。男か女か。教会の中にも、そのような区別を持ち込もうとする人々がいました。しかし、パウロは、律法ではない、血筋ではない、キリストを信じるかどうか、キリストに結ばれているかどうか、この一点しかない。この一点で、わたしたちはどのような区別もないのだ、とわたしたちに訴えています。
わたしたちが暮らしているこの社会は、もちろん、パウロとは時代も場所も隔てています。このままでは、わたしたちの問題ではありません。しかし、わたしたちは、同様の問題を抱えているのではないでしょうか。その時に、省みなければならないのは、自分自身がペトロが捨てられなかったような、それもキリストとは何の関係もない、さまざまな心の枠組みにとらわれていないだろうか、ということです。
教会は、キリスト・イエスに結ばれて神の子となっている人々の集まりです。この一点で、私たちは一致しています。私たちは、一人一人が主イエスにつながっているという一点で、互いに祈り合い、愛し合うことができるのだ。「ああ、もの分かりの悪い、ガラテアの人たち!」とパウロは書いていますが、わたしたちも同じ言葉を突き付けられているのです。
さて、今日の聖書箇所は、6月24日の日本基督教団創立記念日を覚えて選んだ箇所です。今月は、先週が年間聖句、来週は弾圧記念礼拝ということで、行事に合わせて聖書箇所を選びました。しかしながら、ホーリネスの教会が戦争中に被ったさまざまなことを考えると、日本基督教団という教会に対して、複雑な思いを抱いている人も多いでしょう。私自身も、どのようなことを皆さんにお話ししたらいいのか、考えることも多かったのです。
富士吉田教会もこの世の教会であり、日本基督教団も教会です。これらは聖霊なる神が地上に作られたものです。地上に造られたものである以上、天の教会とは異なり、不完全です。理想の教会というのは、神のご計画の中にありますが、わたしたちの教会は、その理想の教会になるように、努力している最中の、まだ理想の教会にはなっていない発展途上の教会だということです。そうして、理想の教会ができた時、それが終わりの時、完成の時だということなのでしょう。
さて、日本基督教団の成立事情を見て見ると、これまでとは全く異なる景色が見えてきます。
昭和16年、1941年6月24日に創立総会を持った日本基督教団は、プロテスタント諸教派が合同して設立された宗教団体です。その2年前に公布された宗教団体法では、キリスト教各派が認可されるには、教会数50以上、信徒数5000人以上という条件がありました。この条件を満たすことのできる教派は、23教派の内、7教派しかなかったということです。一つ一つが別々に宗教団体になるのは、無理でした。7教派は独立してもよかったはずですが、大同団結して、小教派を救う道を選んだということが言えます。
今から考えると、理解しがたい時代ですが、当時は社会主義国ソ連がロシアに成立していました。世界中に、政府が経済を統制する計画経済、統制経済が拡がっていました。要するに、靴下だのバターだのに至るまで、どの程度生産するかを政府が計画し、その通りに生産するという社会です。政府の意向が早く通達できるように、政府は自分たちの意向が伝わりやすくするために産業報国会を組織し、各産業、教育、文化、宗教に至るまで、団体を作らせ、一つにまとめ、トップに政府の意向を知らせれば、末端まで直ぐに通達が繁栄するような社会を作り上げようとしました。宗教団体法は、こんな政府の意向を実現するための法律でした。
小さな宗派、教派を守ろうと組織された日本基督教団だったはずですが、実際にはうまくいきませんでした。ホーリネス教団が弾圧されたのは、結局のところ、日本のプロテスタント・キリスト教を守ろうとした中ではうまくいかなかったということでしょう。
戦後になり、宗教団体法は廃止されて宗教法人法になり、政府が一つ一つの教団の大きさや設立について口を出すことはなくなり、日本国憲法ができて、宗教の自由は保証されました。けれども、日本基督教団が理想の教会になったか、というと、そんなことはありませんでした。うんざりするようなことが、次から次から起こります。
今日は、ガラテアの信徒への手紙の中で、教会の中に考え方の違いがあったことを読んで来ました。多分、ガラテア教会の信徒としては、そんな中で右往左往していたはずです。どうしたらよいのか、ペトロかパウロか?それは日本基督教団の問題で右往左往する、わたしたちの現代の状況と変わりません。
しかしながら多分、わたしたちが今日、み言葉として読んでいきたいのは、あなた方は皆、キリスト・イエスにおいて一つだということです。それは、信仰に依り、キリスト・イエスに結ばれて神の子であるということです。私たち一人一人のために、キリストがあのお苦しみを受けて下さったということ、いずれの例外もなく、その尊い命を投げ出して贖ってくださった、神の子であるということです。その一点において、わたしたちは一つ、お互いに何の違いもありません。尊い主イエスのお命によって贖われた一人一人なのだ、この一点で私たちは、お互いに祈り合い、愛し合うことができます。教会に集う人々は、さまざまです。けれども、この一点で、わたしたちは、交わることができ、祈ることができるのだと思うのです。
1年半前には、全く知らなかった教会に、赴任して1年以上が経ちました。み言葉に奉仕する牧師、伝道師は、誰もそうだと思います。ある教会に赴任することを示された時、教職は、「祈り、み心だと信じて」赴任すると言うと思います。実際、祈るしかないのですが、祈る先に、ご自分の命を投げ出し、贖ってくださったお方がいらっしゃいます。そのお方により頼み、そのお方に命をいただいて生かされることを切望する人々がその先に待っているのです。牧師は、ある種の冒険主義というか、英雄主義のようなもので志願する者だ、と考えている一般信徒が多いように思います。しかし、年数を重ねた牧師の話では、自分がなにも出来ないのだ、という自覚をしなければいけないと言います。み言葉が備えられることを祈りつつ、奉仕していくだけなのです。
日本基督教団があり、その中で私たちは出会いました。そのことに、感謝したいと思います。
お祈りします。主なる神様、富士吉田教会が建てられ、わたしたちがここに集められ、礼拝が捧げられていることに感謝します。私たちの教会を覚え、祈り支えてくださっている信仰の兄弟姉妹がいることを感謝します。キリストに結ばれて一つとなっている兄弟姉妹のために、わたしたちも祈る者としてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

2016年6月12日 「枯れることのない命の水」 今村あづさ伝道師
ヨハネ福音書4:14

今日は、日本基督教団では、「子どもの日(花の日)」という行事の日です。昨日、野澤さんだったと思いますが、「今頃は、花がいっぱい咲いていて、いいですよね。」とおっしゃっている方がいました。そのとおり、アメリカのメソジスト教会が6月の第2週を花の日としたのは、今頃が一年で一番、花がたくさん咲く時期だからだそうです。
ただ、子どもの日とするのは、花がたくさん咲くのとは関係がないらしく、この時期に子どもたち向けの教会礼拝を行ったことによるとのことです。
日本の子どもの日と発想が異なるな、と思うのは、子どもの日とは、子どもが社会に対して奉仕する日であることです。わたしが子どもの時には、教会学校で花束を交番、消防署、病院などに持って行ったものです。以前いた教会では、教会学校のこどもたちが、教会の高齢者に花束をプレゼントする日でした。花束を持って行くのは、やはり一番、花が多い時期だからでしょう。
そういったわけで、今年度から使い始めた教会学校の「教師の友」では、先週は花瓶を、今週はお花をその花瓶に活けましょう、という分級プログラムになっていて、富士吉田教会でも花の日の行事をやってみた訳です。

今年は、今日の聖書箇所、ヨハネによる福音書4章14節を年間聖句として選ばせていただきました。昨年度は、今年の元旦礼拝に年度聖句を取り上げました。新年が年度の初めだとこれでもいいのですが、実際には残り3カ月というところでした。皆さんとの思いの共有をするには短すぎました。今回も、少し遅いのですが、思いを新たにして、今年度を共に走り続けたいと思っています。
主イエスの与えて下さる決して渇かない水。この尽きることのない命の水を、わたしたちは教会を通じて汲み出したい。教会の礼拝、み言葉の説教、聖礼典を通して、命の糧を汲みだせる限り汲み出し、それによって豊かに育まれて生き、またもっともっと生かされようと願います。主イエスが十字架の贖いによってわたしたちに与えて下さる命の水を、もっともっと味わいつくそう。一言で言えば、このように考えて、この箇所を選びました。
イエスとサマリアの女の箇所は、昨年度も読みました。マタイ福音書冒頭の主イエスの家系図に書かれている人々を確認しながら、旧約聖書を読んでいきました。その中で、北イスラエル王国がアッシリア帝国によって滅ぼされたことを見ました。
北王国が滅ぼされると、王族や貴族、職人など主だった人々はアッシリアによって捕囚に遭い、広いアッシリア帝国のあちこちに移住させられました。代わりに、異民族もまた、帝国のあちこちから北王国の地に移住させられてきました。主なる神を知らない人々が増え、国の指導者たちは失われて、異民族との間の結婚も進みました。
このような異民族との混血は、申命記などの律法を学んでいくと、主なる神によって退けられるべきこととされていることが分かります。南王国ユダの人々は、かつて北王国だった地域のこのような現状を見て、主なる神から離れてしまったと、軽蔑するようになりました。
わたしたちは神殿というと、まずエルサレム神殿を思い浮かべますが、サマリアの人々は、エルサレム神殿で礼拝することはできなくなりました。他の民族の血の混じった人々、穢れた人々だとユダヤ人によって考えら、退けられるようになっていたからです。
もちろん、サマリアの悲しむべき状況は、初めからそうだったわけではありません。モーセに率いられて、イスラエルの人々がカナンの地に入った時、その中心となったのは、このサマリア地方の人々でした。この地域は、マナセやエフライムといった、ヨセフ族の人々の入植した地域でした。
ヨセフの活躍については、創世記の37章~最後の50章まで、延々と書かれています。イスラエル十二部族の父であるヤコブが、息子たちと共にエジプトに下ったのは、エジプトでファラオの代理人として、総理大臣とも言うべき地位についていたヨセフの勧めによってでした。ヨセフ族は、カナンの地のもっとも豊かな中心部に入植します。南のユダ族の領地は乾燥しており、農業に適した場所はわずかです。しかしヨセフ族の入植した地域は、カナンの地の中でも穀倉地と呼ばれる地域なのです。
統一王朝のソロモン王が亡くなり、王国が南北に分裂しても、経済的に豊かだったのは、実は北王国イスラエルでした。アッシリア帝国によって滅ぼされるまで、道徳的な退廃を指摘されることはあっても、経済的・文化的には南王国ユダを凌ぐ存在だったのです。
イエス様は、このようにかつては栄え、今は見捨てられ軽蔑されていたサマリアの地に入り、ご自分を通して救いに入るようにと、人々を導きます。神ご自身が救いのみ手を差し伸べ、ご自分の民として回復されようとしているのです。
ご自分の民として回復しようと、手を差し伸べたサマリアの人々とはどんな人たちだったでしょうか。主イエスは、よりによって、サマリア人の間でも忌み嫌われているのであろう、罪の女に話し掛け、救おうとされています。
このサマリアの女が、人々に忌み嫌われているのだろう、ということは、昼の12時頃にこの女性が水汲みにやってきたことで示されているということです。というのは、昼の12時と言えば日は高く頭上にあり、パレスチナの地で野外で過ごすには暑すぎる時間だからだそうです。だから、普通の人なら、朝の早い時間に水を汲み、夕方涼しくなってからもう一度、水を汲みに来るものなのだそうです。
水汲みの時間についてばかりでなく、16節以下の会話を見ると、この女性があまり結婚生活には成功していなかったことが伺えます。5人の夫、そして今は事実婚、ということになると、あまり芳しくない評判の女性だと言うことが伺えます。ただ、昨年も話をしたと思いますが、ある特定の女性というのではなく、アッシリア帝国以後、さまざまな帝国に翻弄されて来たサマリア地域の歴史そのものを、象徴的にこの女性で表しているということも言えると思います。
サマリアの女性との間の会話は、「水を飲ませて下さい」というイエスからの呼び掛けで始まります。ヤコブの井戸の水を飲ませて下さい、と主イエスは仰ったのです。
5節で、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルという町にイエスが来られたことが書かれています。旧約聖書ではシケムと呼ばれていました。この地は、特にヤコブから受け取った、ヨセフの土地でした。後に、カナンの地に入ったヨセフ族は、この地にヤコブの遺骨を埋葬しています。由緒正しい場所です。さらに、ヤコブの井戸は、もともと、ヤコブのお父さんのイサクが掘ったとされている井戸です。シカルはゲリジム山のふもとにあり、ゲリジム山も主なる神を礼拝する場所でした。井戸があり、墓があり、礼拝する場所があるこの地は、エジプトに出発する前のイスラエルの一族の家のあった場所です。ヤコブの家を長男として相続したのは、ヤコブの愛妻ラケルの長男、ヨセフだったのです。
カナンの地は、神の恵みの印としてイスラエルに与えられた土地です。そこに掘られたヤコブの井戸から汲みあげられる水は、主なる神から選ばれたという、イスラエル人が受け取った、旧約聖書の恵みそのものでしょう。つまり、旧約聖書の信仰の伝統から命を汲む、というのが、ヤコブの井戸から水を汲むということの意味だろうと思います。
この井戸は、恵みの象徴といっても、いろいろ問題があります。11節でサマリアの女が、「あなたは汲む物をお持ちでないし、井戸は深いのです。」という言葉が、そのことを説明しています。「汲む物がないと、汲めない」直接、水源に手を差し伸べることはできないというのです。何らかの道具によって、間接的にしか、手に入れることができないのです。そして、「井戸は深い」。水は、人々から遥か離れた所にあるということです。
旧約聖書の時代は、霊は王や預言者、祭司といった一握りの人々を通してしか、与えられませんでした。神の霊に、直接、普通の人々が触れることはできなかったのです。しかも、イスラエルの人々は罪によって裁かれ、救いから外れていると言われていました。救いは、さらに遠くにあったのです。ヤコブの井戸を大事にしていたということは、そのような中でも、サマリアの人々は、主なる神からかつていただいた恵みを信じ、その恵みに希望をつないで、生きていたということなのでしょう。しかし、その人々を代表するのが、サマリアの女です。かつての栄光のヨセフ族としての誇りや面影は失われ、罪の中に生活してきた惨めな存在として、描かれています。
今はこんな、惨めな姿だけれど、わたしたちに神はかつて、み顔を向けてくださった。そのような事実を抱きしめて生きているサマリアの人々に、イエスは永遠の水を差し出そうとしています。キリストは、いつかやって来る、そして私たちは救われる、と祈り続けていた人々に、主イエスご自身が近付いて来てくださり、その救いの時は今だ、とおっしゃってくださっているのです。
ヤコブの井戸の水は、地下12メートルも下にありましたが、イエス様の与えて下さる水は、地上に溢れてきます。この預言は、エゼキエル書にあります。自分ですくって飲める水です。それどころか、地上に溢れだし、足がつかないほど深い水の流れになるということです。溢れてくる水に私たちは溺れるほどです。そして、流れによって遠くに流される代わりに、神様の身許に連れて行かれる。それが、主イエスの下さる水です。
主イエスの与える水とは、洗礼を受けたものが受ける、聖霊のことです。主イエスを通して私たちが聖霊を受けるのは、主イエスの十字架の贖いと復活の御業によってです。この方を通して、わたしたちに聖霊が与えられます。聖霊によって、わたしたちは永遠の命に至ることができます。永遠の命とは、神ご自身のことです。このお方を信じることによって、わたしたちは神にまみえる約束を与えられているのです。
旧約聖書の時代は、預言者たちを通じてしか、神に触れることができませんでした。主イエスは、ご自分を通じて、直接神に通じることができると仰っています。ヨハネ福音書の7章では、主イエスは仮庵の祭りの時に、エルサレム神殿で、「渇いている者は、だれでもわたしの所に来て飲みなさい」、と呼び掛けます。エルサレム神殿ではなく、わたしの所に来なさいと、主イエスは仰っています。
主イエスを通じて、聖霊が注がれるようになるのは、十字架の御業を通じてです。19章の34節では、十字架で亡くなられた主の脇腹を槍で刺したら、直ぐに水と血とが流れたという証言が上げられています。このことは、十字架の御業を成し遂げた主は、既に人々に生きる水を与える体に変えられていたということを意味しています。
終末の時、わたしたちは、神と顔と顔を合わせる約束ができています。神の思いは私たちの思いとなり、わたしたちの愁いもまた、神の愁いとして受け取っていただける。「どうしてなんですか」と、今、聞いても仕方ないような、答えのない疑問も、神の前で答えがいただけるでしょう。その時、わたしたちの前に開かれない扉はなく、すべての疑問の答えが、明らかにされるのです。
教会は、聖霊の宮です。神の国が、地上で始まっているところです。主イエスを通して与えられる命の水は、キリストの体である教会から湧き出るものです。わたしたちは、汲めども尽きぬ、命の水を好きなだけ、汲むことが許されています。その命の水は、わたしたちの終末、神のもとに上げられる準備をする物であり、また天上で開かれる神を前にした宴会を、地上で前味として味わうものでもあります。
聖霊を汲む、中心となるのは、礼拝です。み言葉の説教によって、また聖餐によって、わたしたちは尽きぬことのない聖霊をいただくのです。礼拝で私たちは、賛美の歌を捧げ、感謝の献金をし、祈りまた奉仕をします。もっともっと豊かに聖霊を注いでください、そのようにお願いすることもまた、わたしたちに赦されていることです。
木曜日に行われている聖研祈祷会、午前中に行われている祈祷会では、ヨシュア記を共に読んでいます。先週は17章であった訳ですが、ここはマナセ族の領地割り当てについてでした。マナセ族に属する一人の人に、息子がありませんでした。当時は基本的に、土地を相続できるのは男子のみでした。そこで娘たちは、「わたしたちにも領地を下さい」と、声を上げます。中村昌子さんが、「声を上げていいんですね」、と感想を言いました。
そこで、気づきました。神様に対して「もっとください」、と言葉を上げることは、ヨシュア記の他の箇所でもあるのですが、男も女も、その願いは聞き遂げられています。ずうずうしいと、退けられることはありません。なぜでしょうか。神の前に選ばれた民だからです。マタイによる福音書の6章25節~34節で、主イエスは「あなた方は鳥よりも価値あるものではないか」「思い悩むな…あなた方の天の父は、これらのものがみなあなた方に必要なことをご存じである」と言っています。これは、人間が動物や植物よりも優れたものだ、と言っている訳ではありません。私たちが、神によって選ばれ、愛されているからです。
わたしたちは、神の国に迎えられることを約束されています。その約束の証しが、聖霊の注ぎなのです。
さらに主イエスは、「わたしが与える水は、その人のうちで泉となる」と仰っています。自分自身が生かされるだけではなく、他の人にも、永遠の命を告げ知らせることができるようになるということでしょう。しかしその時に、気を付けなければいけないことがあります。「この水を飲む者は」と最初に主が仰っていることです。聖霊をいただかない者から、水は湧き出ないのです。主イエスが下さる水を飲まなければ、自分の中から永遠の命に至る水がわき出ることはありません。恵みをいただくためには、理解するだけでは足りません。恵みを受け、味わい尽す必要があるのだということです。そこで、教会の礼拝に出なければ、恵みをいただくことも出来ず、その恵みを手渡すべき人々に手渡すことはできません。もちろん、心からの賛美、祈り、献金は、わたしたちの神の恵みへの応答です。神の恵みを受け取り、味わい、喜んでこそ、いただいた命の水は、わたしたちの内で泉となって生き続けるのです。
主イエスの与えて下さる決して枯れることのない水。この尽きることのない命の水を、受け、味わい尽しましょう。教会の礼拝に参加し、礼拝を喜び、心からの賛美を捧げましょう。教会の礼拝、み言葉の説教、聖礼典を通して、命の糧を汲みだせる限り汲み出し、それによって豊かに育まれて生き、またもっともっと生かされようと願います。主イエスが十字架の贖いによってわたしたちに与えて下さる命の水を、もっともっと味わいつくしましょう。
お祈りします。
天の父なる神様。主イエス・キリストをわたしたちにくださり、わたしたちに永遠の命に生きる希望を与えてくださってありがとうございます。私たちがますます主にあって豊かにされ、喜びつつあなたに祈ることができますように。主イエス・キリストのお名前を通してお祈りします。アーメン

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