神の愛は極めて忍耐強くどこまでも赦す愛
1.神は極めて忍耐強い愛の方
神は、愛のお方です。
神は人を、「愛するために」お造りになられました。
人を愛し人に愛されるように、神は人を造られたのです。
そしてその神の愛は、極めて忍耐強い愛です。
どこまでも、我慢してくださる愛なのです。
極めてひどい罪を犯し続けてきた人をも、優しく迎え入れて下さるのです。
イエスと共に十字架につけられた犯罪人の一人は、十字架の上でイエスに
自分自身の救われることを、願い求めました。
その人をイエスは、その時その場所で完全に赦されているのです。
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、
わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
ルカによる福音書 23章42〜43節
十字架に架けられるほどの犯罪人を、彼が悔い改めた時に瞬間的に赦されているのです。
2.神は悔い改める人の罪をどこまでも赦される
神の前にへりくだり悔い改める時、キリストの十字架の血潮によって
神はその罪をすべて、完全に赦して下さるのです。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
ローマの信徒への手紙 5章9節
自分自身の罪深さに圧倒されてしまう時、神の愛はそこに注がれています。
「自分はこんなにも罪深い存在だったのか」と認めざるを得ない時
そこに、キリストの十字架の血潮による赦しがあるのです。
信じられないような愛で、私たちは神に愛されているのです。
「わたしは、もうこれ以上生きていく資格などない罪人です」と思ったとしても
神はその罪を、イエス・キリストの十字架の血潮によって赦し
もう一度、立ち上がらせて下さいます。
どんな罪からも、回復があるのです。
その回復をもたらしてくれるのが、イエス・キリストの十字架の血なのです。
3.裏切ったペトロを愛され赦された
3度も「イエスなんて知らない」と宣言してしまったペトロを、神は赦されました。
食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、
「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」
と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
ヨハネによる福音書 21章15節
「おまえにはもう弟子の資格などない。私もおまえを知らない」と言われても仕方がないような
あの時のペトロを完全に赦し、「わたしの小羊を飼いなさい」と語られ
後にペトロを、教会の指導者として用いておられるのです。
人間の常識とはかけ離れた、信じられないような愛がそこに表れているのです。
自分の罪深さに気づいた時、その時が神の愛を知るチャンスなのです。
悔い改めるなら、必ず神は赦してくださいます。
むすび.神の愛は極めて忍耐強くどこまでも赦す愛
神の愛は、極めて忍耐強くどこまでも赦す愛です。
もう自分は神から愛されることなどできない、ということは絶対にありません。
真実に悔い改める時、神は完全に赦して下さるのです。
すごい本当にすごい信じられないような愛で、私たちは愛されているのです。
神の愛を知ると、私たちは圧倒されるほかないのです。
「こんなにもひどい罪も、神は赦して下さるのか!」と驚くほかないのです。
自分の罪深さに気付く事、それはまたその罪を赦して下さる
神の愛の深さ大きさに、気付く事でもあるのです。
神の愛の深さを知る一番の方法は、自分自身の罪深さを知ることにあります。
【今日の聖書】
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
ヨハネの手紙一 1章9節