なぜ他人の罪が赦せないか
1.1万タラントンの巨大さがわかっていない
私たちが、「あの人の罪はどうしても赦せない」と思ってしまう時
その時私たちの心には、大きな問題が生じています。
それは、イエスが語られた「一万タラントンの借金を帳消しにしてもらった家来」と同じなのです。
ところが、この家来は外に出て、
自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、
捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
マタイによる福音書 18章28節
自分が、1万タラントン(6000億円)の借金を返せなくて免除されたのに
自分に対する100デナリ(100万円)の借金を、赦せないと言っているのと同じなのです。
単位を1万分の一にすると、6000万円赦されたのに100円を赦せないということになります。
赦せない時の心の問題は、ここにあります。
自分が極めて大きな罪を赦されているのに、人の小さな罪を赦そうとしていないという点です。
自分自身の赦された罪の大きさが、まるでわかっていないというということなのです。
2.目の中の丸太に気づいていない
自分の罪の大きさがわかっていないことを、イエスは「目の中のゴミ」にたとえています。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
マタイによる福音書 7章3節
「他人の目の中にあるおが屑は見える」のに
「自分の目の中の丸太に気づいていない」というのです。
他人の目のおが屑に腹を立てる前に、自分の目の中の丸太を取ることをすべきだというのです。
3.自分自身の罪を正しく認識して悔い改める
自分の目の中の丸太に、「気付くこと」から始めなさいということです。
「私にこんなことを言った、私はこんなことをされた」と言って隣人の罪のことを言う前に、
自分自身の罪を正しく認識して、神の前に悔い改める事から始めるのです。
そうすると、「あの人の罪はどうしても赦せない」と思っていたその人の罪よりも
もっと大きな、比べられないほどの大きな罪を持っている自分が
どれ程「赦すことのできない人間であるか」が、わかってきます。
「あの人の罪はどうしても赦せない」と思っていたあの人よりも
「もっともっとどうしても赦せない」ような罪を持っている自分が、見えてくるのです。
「あの人よりも自分はさらにさらに赦すことのできない人間なんだ」とわかるのです。
むすび.自分の罪は悔い改め、他人の罪は赦す
隣人を赦さないというのは、大変大きな問題です。
借金免除のイエスの話の結末は、次のようになっています。
そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。
あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、
わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。
マタイによる福音書 18章34〜35節
もし心から兄弟をゆるさないならば、天の父なる神もまた、
私たちに対して、「獄吏に引きわたす」ようなことをなさるということになります。
大変な事です。神の元ではなく、獄吏の元に行くことになってしまうというのです。
ここまででわかるように、私たちにとって必要なことは
「自分の罪は悔い改め、他人の罪は赦す」ということなのです。
イエス・キリストの十字架上の言葉を、いつも思い起こしていましょう。
【今日の聖書】
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
ルカによる福音書 23章34節(口語訳聖書)