今日のできごと


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2025/1/16(木)

 

旧約聖書はなぜ戦いの記事ばかりなのか?

 旧約聖書の特徴はいろいろありますが、その中の一つに
 「戦いの記事が多い」ということがあります。
 実際に、人と人が戦って殺し合い多くの人が死んでいるのです。

 現代のクリスチャンは、そんな「人と人が殺し合うような戦い」をしませんので
 「そういうむごたらしい記事は、読まなくても良いのではないか?」
 と、感じるかもしれません。

 旧約聖書の時代は、実際に自分たちを殺しに異国の民がやって来るわけで
 そこで命がけの戦いを、戦わざるを得なかったわけです。
 奪い破壊し殺しにやって来る人々に立ち向かわなければ、滅んでしまったからです。

 しかし今の時代は、そのような世界ではありません。
 一応表面上は、殺し合いの戦争は避けようという世界になっています。
 平和の重要性が共通認識され、平和裏に解決しようとしています。

 ではなぜそのような世界に生きる私たちが、旧約聖書の戦いの記事を
 読まなければ、ならないのでしょうか?
 「今の私たちも霊的戦いの只中にある」からです。

 私たちも現在、血肉の戦いではなく霊的戦いの真っただ中に置かれているのです。
 目に見えない戦いを、私たちはこの瞬間戦っているのです。
 その戦いに勝利するために、旧約聖書の戦いを適用するのです。

 ゴリアトを倒したダビデの戦い方を、私たちも適用し
 目に見える状況で判断することなく、その背後におられる神に目を向け
 力強い神が共にいて戦ってくださることを信じて、戦い勝利するのです。

 今日も私たちには、誘惑の火の矢が飛んできているのです。
 「怒れ!憎め!ゆるすな!金や物を欲しがれ!盗め!偽れ!欲望のまま生きよ!」
 これらの火の矢を、信仰という大盾をもって弾き返し続けるのです。

 一番の戦いは「神などいない!神は守ってくれない!神に信頼するな!」
 という、神を否定する不信仰との戦いです。
 この目に見えない領域における霊の戦いを、私たちは信仰をもって戦い抜いて行くのです。

 旧約聖書の戦いの記事を読むことも、とても大切な事なのです。

 【今日の聖書】
 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、
 支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
 エフェソの信徒への手紙 6章12節


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