今日のできごと


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2022/9/11(日)

 

共に走りぬく

1.自分がランナーである自覚を持とう

 クリスチャンひとりひとりが、主に選ばれたランナーである。
 自分がランナーとして選ばれていることを自覚するからこそ
 『共に走り抜く』ことができる。

2.ランナーとして不必要なことに気づく

 ランナーとして不必要な「すべての重荷や絡みつく罪」をかなぐり捨てること。
 全力で捨てる。

3.ランナーとして必要なことに気づく

 自分の経験が、共に走り抜くことを邪魔をする時がある。
 自分の経験ではなく、イエスを見つめながら走る。
 ペトロのために「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」

 と言われた主が、私のためにも祈って支えて下さる。
 ペトロはこの後、イエスの弟子だったにもかかわらず
 十字架というイエスの一番ピンチだった時に、イエスなんて知らないと言ってしまった。

 そういうことがわかっていても、イエスはペトロの信仰が無くならないように祈っている。
 そのイエスが私のためにも、祈って下さっている。
 私にとって最も必要なのは、イエス・キリスト。

むすび.

 いつも走ってばかりではないかもしれない。
 時には歩くことも、倒れることもあるかもしれない。
   けれども、倒れた時にイエスは起き上がらせて下さり再び走り出させて下さる。

 私たちは、イエスを見つめながら
 重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて
 共に走って行こう!

 【今日の聖書】
 こういうわけで、
 わたしたちもまた、
 このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、
 すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、
 自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。
 このイエスは、
 御自身の前にある喜びを捨て、
 恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、
 神の玉座の右にお座りになったのです。
 ヘブライ人への手紙 12章1〜2節


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