一番恥とすることが記録され残った
1.ユダが娼婦と勘違いしタマルと関係をもったことが記録されて残った
アブラハムのひ孫にあたるユダにとって、最も隠したかったことは
タマルとの関係です。娼婦だと思って関係をもったことを、隠したかったのです。
ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。
ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。
彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。
創世記 38章15〜16節
ユダはタマルのことを、てっきり娼婦だと思って関係を持ってしまいます。
あとでその娼婦を探すのですが、見つからなかったのでユダは諦めます。
物笑いの種になるのを、避けたかったからです。
ユダは言った。
「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。
さもないと、我々が物笑いの種になるから。
とにかく、わたしは子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」
創世記 38章23節
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ブズ |
軽蔑
物笑いの種(新共同訳)笑いぐさ(新改訳)恥(口語訳)
けれどもこの経緯は、創世記38章にしっかりと記録されて残り
新約聖書の、マタイによる福音書1章にも、
「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ」と記録されることになったのです。
ユダはタマルによってペレツとゼラを、
マタイによる福音書 1章3節(抜粋)
2.ダビデがヘト人ウリヤの妻バト・シェバと姦通したことが記録されて残った
ダビデも、ヘト人ウリヤの妻バト・シェバと姦通してしまい
ヘト人ウリヤを戦場で殺させ、バト・シェバを妻に迎えてしまいます。
ダビデの人生の中での、最大の汚点です。
それが、旧約聖書のサムエル記下11章以降に記されています。
そしてそのバト・シェバによって、ソロモンが生まれてきます。
そのことが、新約聖書のマタイによる福音書の1章にも記されているのです。
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
マタイによる福音書 1章6節(抜粋)
ダビデにとって、一番人に知られたくないような罪の一部始終が、
事細かく詳細に、聖書の記事として残ることになってしまったのです。
そしてそれは、新約聖書にも記されてしまっているのです。
3.罪を犯してしまった事実が消えることはない
ここから明確になるのは、罪を犯した事実というのは消えることがないということです。
一度犯してしまった罪は、もうどうやっても消すことができません。
ユダの場合もダビデの場合も、その時代で彼らの罪の事実が消え去ったのではないのです。
21世紀の日本においても、彼らの最も恥ずかしかったであろう罪の記録を読むことができるのです。
そして、彼らの罪の事実を知ることができるのです。もし聖書を持っていれば、世界中の誰もができます。
時間と共に薄れゆくものでもなければ、地理的に離れれば薄れるものでもないのです。
事実そういうことが起こったと、はっきりと歴史に残ることになるのです。
天地が滅び去るまで、その事実は消えることがありません。
いや天地が滅び去っても、その事実は消えることがないのです。
むすび.罪の事実は消えないが罪のゆるしが与えられている
一度罪を犯してしまったら、それは残ります。
罪を犯してしまった人が、いくら隠そうとしたところで、それがなかったことにはできません。
逆に時を経ても、それが残っていくのです。
アダムとエバが、「善悪の知識の木」の実を食べてしまった事実も同じです。
なかったことにはならなかったのです。罪を犯した事実を、消すことはできないのです。
それゆえ、今の時代に至るまで生まれてくる人間は皆罪人として生まれてくるのです。
たった一度、エデンで「善悪の知識の木」の実を食べてしまった結果です。
アダムやユダやダビデだけではありません。私たちも同じです。
私たちが犯してしまった罪の事実は、消えません。残るのです。
けれども罪を犯した事実は残りますが、そのさばきはイエス・キリストが身代わりに
十字架で受けて下さいました。私が犯した罪の裁きを、イエスが身代わりに受けて下さったのです。
罪を犯してしまった事実は消えませんが、その罪のゆるしが与えられているのです。
イエス・キリストを信じる時に、ゆるしが自分のものになります。
イエス・キリストが私の罪をゆるしてくださったことを、信じるだけでよいのです。
他に何もいりません。一方的な神からの「恵み」なのです。
【今日の聖書】
ユダはタマルによってペレツとゼラを、
ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、
ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、
ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
エッサイはダビデ王をもうけた。
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
マタイによる福音書 1章3〜6節