自分の十字架を担う
十字架というのは、死刑の道具であり方法です。
決して、きれいで美しいものではありません。
むごたらしい死刑が、十字架刑なのです。
イエス・キリストは、その十字架にかけられて死なれました。
すべての人の罪をその身に背負い、身代わりの刑罰を
十字架上で、受けられたのです。
そして文字通り、キリストは十字架上で死なれました。
私たちも十字架を担って生きるように、キリストから命じられています。
十字架は、死を意味します。
「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。」
十字架が死を意味するとするなら、この言葉はどういうことになるでしょうか?
自分に死んで、キリストに従うということになるのです。
自分の十字架を担うというのは、自分に死んで
自分のしたいこと、好きなことをやらずに
たとえしたくないこと、嫌いなことであっても
それが神の御心であるなら、それを喜んで行って生きるということになります。
そうやって、キリストに従って生きていくように命じられているのです。
自分に死んではいますが、やがて永遠の命を得るようになるのです。
【今日の聖書】
また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、
わたしにふさわしくない。
自分の命を得ようとする者は、それを失い、
わたしのために命を失う者は、
かえってそれを得るのである。」
マタイによる福音書 10章38〜39節