正しいことを語ってはののしられた
パウロはキリストの福音を、各地で宣べ伝えています。
正しい福音を、正しく、力強く語っているのです。
けれどもその直後に、激しくののしられています。
迫害を受けています。ある時は、石を投げつけられて死んだようになっています。
まるで極悪人に対してするようなことを、され続けているのです。
正しく福音を語れば語るほど、そのようにされているのです。
正しいことをしているのに、何でこんな目に会わせられなければならないのか!
と言いたくなるようなことの連続が、パウロの伝道生涯だったのです。
本気で真剣に宣教していったからこそ、それが起きていったのです。
もしパウロが妥協して、当たり障りのないことを語っていたとしたら
決して迫害など、されなかったことでしょう。
人の顔色を伺って語るべきことを語っていなければ、迫害も何も起きなかったのです。
正しいことを力一杯、全身全霊込めて語っていたからこそ、苦しみを受けたのです。
正しいことをしたのに、迫害された、苦しめられた、ひどいことを言われた、
ということがあるかもしれません。まさにそれは、パウロと同じなのです。
【今日の聖書】
しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、
口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。
使徒言行録 13章45節