中国教区早天祈祷会
昨日は、中国教区の早天祈祷日でした。
先月は、給仕役の長に「忘れ去られたヨセフ」について
聖書を読んで、祈りました。
昨日は、獄中で「火で練り清められたヨセフ」について
見ていきました。
ヨセフは、冤罪で牢につながれることになりました。
あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。
奴隷として売られたヨセフ。
主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ
首に鉄の枷をはめることを許された
主の仰せが彼を火で練り清め
御言葉が実現するときまで。
詩編 105編17〜19節
ヨセフが獄中で過ごした期間というのは、実は神によって
火で練り清められる期間となったのだということが、わかります。
単に苦しんだのではなく、苦しみの中で練り清められていったのです。
この苦しみの中での、練り清められる期間があったからこそ
ヨセフは後に、大いに用いられることになったのです。
もしこの期間がなかったとしたら、ヨセフは練り清められることもなく
エジプトで、王の次の位に就かせられることもなかったのです。
そして、父ヤコブはじめ同族を飢饉から救うこともできなかったのです。
ヨセフにとって、投獄された期間というのは、
実は、なくてはならない重要な期間だったのです。
苦しみに会ったことは、ヨセフにとって幸いなことだったのです。
神は、意味なくヨセフを苦しみに会わせられたのではなかったのです。
【今日の聖書】
主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ
首に鉄の枷をはめることを許された
主の仰せが彼を火で練り清め
御言葉が実現するときまで。
詩編 105編18〜19節