途方に暮れても
私たちは、途方にくれても行きづまることはありません。
そのことによって自分に死ぬことができ、
そこにキリストのいのちが、明らかに示されるからです。
途方に暮れて行き詰ったように見える時、
そこに、イエス・キリストの素晴らしさが
私たちの身によって、現わされていきます。
「あのパウロたちを、フィリピの牢獄の中で用いて
獄吏とその家族を救いへと導かれた神は素晴らしい!」
という具合に、パウロの苦しみを通して
パウロの素晴らしさではなく、神の素晴らしさが示されたのです。
途方に暮れるような状況こそ、自分に死ぬチャンスであり
同時に、神の栄光が表されるチャンスでもあるのです。
【今日の聖書】
私たちは、四方八方から苦しめられますが、
窮することはありません。
途方にくれていますが、
行きづまることはありません。
迫害されていますが、
見捨てられることはありません。
倒されますが、滅びません。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、
それは、イエスのいのちが私たちの身において
明らかに示されるためです。
コリントの信徒への手紙二 4章8〜10節