パウロはダマスコから逃げた
パウロ(元の名はサウロ)は、ダマスコで
イエス・キリストを信じて、洗礼を受けました。
その後、ダマスコでイエスがメシアであることを論証していきます。
パウロはそもそも、ダマスコにいるイエスを信じる者たちを
捕えて、エルサレムへ連行する目的でやってきていました。
にもかかわらず、全く逆に今度はイエスこそ救い主だと論証し始めたわけです。
てっきり、パウロはイエスを信じる者たちを捕縛すると思っていたユダヤ人たちは
うろたえるわけです。「何だパウロは寝返ったのか!」
「イエスを信じる者たちを、捕縛するために来たのではなかったのか!」
しかし、サウロはますます力を得て、
イエスがメシアであることを論証し、
ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
使徒言行録 9章22節
そのためユダヤ人たちは、今度はそのパウロを殺そうとします。
かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、
使徒言行録 9章23節
パウロはユダヤ人たちから、命を狙われるようになったのです。
それは、パウロがダマスコに着いてからかなりの日数が経過してからのことでした。
その後パウロは、自分を殺そうとしているというその陰謀を知るのです。
この陰謀はサウロの知るところとなった。
しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、
昼も夜も町の門で見張っていた。
使徒言行録 9章24節
昼夜を問わず、パウロが来ないか門で見張られていたので、
パウロは門からダマスコの町を出ることが、できなくなります。
そのため門からではなく、城壁をつり降ろされて逃げたのです。
そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、
籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。
使徒言行録 9章25節
こうしてパウロは無事ダマスコを脱出して、エルサレムへと向かったわけです。
サウロはエルサレムに着き、
弟子の仲間に加わろうとしたが、
皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。
使徒言行録 9章26節
パウロは、ダマスコから逃げました。
なぜ、逃げずに戦わなかったのか?
なぜ正々堂々と、そこで自分を殺そうとする者たちと向かい合わなかったのか?
もし逃げていなければ、多勢に無勢で、
ステファノのように、殉教していたことでしょう。
逃げなければ助からず、異邦人伝道という使命を果たせなかったのです。
自分に危害を加えようとする者から逃げるという例は、聖書に沢山出てきます。
臆病だから逃げた、逃げるなんておかしい、命を懸けてでも戦うべきだった
などと言われるかもしれませんが、逃げることは悪いことではなかったのです。
ある場合は、その場にとどまらず、相手と争い戦わず
単純に逃げることも、必要になってきます。
パウロはこの時逃げたからこそ、その後の大きな働きに用いられていくのです。
【今日の聖書】
かなりの日数がたって、
ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、
この陰謀はサウロの知るところとなった。
しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、
昼も夜も町の門で見張っていた。
そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、
籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。
使徒言行録 9章23〜25節