今日のできごと


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2021/10/29(金)

 

わたしたちがまだ罪人であったとき

 イエス・キリストの、十字架の血潮による赦しは
 私たちが罪を悔い改めてから、流されたのではありません。
 私たちがまだ、罪を罪とも思っていなかった時に流されたのです。

 キリストの、十字架の血潮による罪のゆるしは
 私たちが罪人であった時に、すでに提供されていたのです。
 そして、私たちが自分の罪に気づき、イエス・キリストの

 十字架の血潮による赦しを受け入れた時、
 そのゆるしは、私たちのものとなってゆるされたのです。
 とするならば、私たちも隣人の罪をゆるすとき

 彼が謝ってきたらゆるそう、というのではなく
 彼がたとえ謝ってこなくても、私は彼をゆるします
 というものである必要があります。

 相手の状態によらず、自分はゆるしますという態度でいること
 これこそ、イエス・キリストの十字架のゆるしの姿勢なのです。
 その人の罪を容認するのではなく、その人の罪をゆるすのです。

 それは明らかに私に対する悪だけれども、
 私は、それを彼がしなかったことにしますと決断するのです。
 キリストが、まだ悔い改めていない人々のために、

 十字架にかかって、血潮を流してくださったように。

 【今日の聖書】
 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
 キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
 神はわたしたちに対する愛を示されました。
 ローマの信徒への手紙 5章8節


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