喉元過ぎれば熱さを忘れる
士師記の内容は、まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。
罪を犯した結果、敵が攻めてきて散々な目にあって
そこで初めて悔い改めて、神の助けを与えられて平安を得る、
しかしほとぼりがさめるとまたしても、罪を犯してしまい
またまた敵に攻められる。そこでまた悔い改めて神に叫び求め
神の助けを頂く、というこの繰り返しなのです。
何が言えるでしょうか?
人間は、忘れやすいということです。
罪を犯すとどういうことになるのか?
それを実際に体験していたにもかかわらず、その時のことを忘れてしまい
同じ過ちを繰り返してしまったイスラエルの民の様に
私たちも、忘れやすいのです。喉元過ぎれば熱さを忘れるのです。
これは忘れてはならないことなのです。
そして常に罪から離れていなければならないのです。
喉元過ぎても熱さを忘れない、ということが必要なのです。
【今日の聖書】
主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、
略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。
彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。
出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、
主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。
彼らは苦境に立たされた。
主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。
しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、
他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。
彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、
同じように歩もうとはしなかった。
主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、
その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、
それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、
主が哀れに思われたからである。
その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、
他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、
その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。
士師記 2章14〜19節