聖書を教えることに専念する
1.12使徒たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念した
教会内で、やもめの配給について苦情が出た時に
使徒たちが弟子たち全員に対して提案した言葉は、次のようなものでした。
そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、
食事の世話をするのは好ましくない。
それで、兄弟たち、あなたがたの中から、
“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
彼らにその仕事を任せよう。
わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
使徒言行録 6章2〜4節
使徒以外から配給担当者を選任して、彼らにその仕事を任せて
使徒たちは「祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」
ということでした。
この箇所から、祈りと御言葉の奉仕というのは
「専念することが必要な働き」であるということが、わかります。
配給もやりながら、祈りと御言葉の奉仕も行なう事は不可能だったのです。
祈りと御言葉の奉仕は、配給の仕事と両立することはできないものだったのです。
配給の仕事の空いた時間に、片手間で祈りと御言葉の奉仕ができるわけでも
またその逆でも、なかったのです。
2.パウロは、御言葉を語ることに専念した
パウロは一時期、コリントにおいてテント造りの仕事をしながら
安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていました。
その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人と
その妻プリスキラに出会った。
クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと
命令したので、最近イタリアから来たのである。
パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、
彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。
その職業はテント造りであった。
使徒言行録 18章1〜3節
けれども、シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、
パウロは御言葉を語ることに専念し、
ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証ししたのです。
パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、
パウロは御言葉を語ることに専念し、
ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
使徒言行録 18章4〜5節
やはりこの時も、仕事をしながらでなく
他の仕事をしないで、御言葉を語ることに専念することができたからこそ
ユダヤ人に対して「メシアはイエスである」と力強く証しできたのです。
パウロが、御言葉を語ることに専念できたことは
とても良いことだったことが、わかります。
御言葉を語る働きは、専念する必要性のある程力のいるものだったのです。
3.テモテは、聖書の朗読と勧めと教えに専念するよう命じられた
パウロは、エフェソにいたテモテに手紙を送って
いろいろな命令を与え、励ましを与えています。
わたしの子テモテ、あなたについて以前預言されたことに従って、
この命令を与えます。その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい、
テモテへの手紙一 1章18節
その手紙の中でパウロは、テモテに対して
「聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」と語っています。
わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
テモテへの手紙一 4章13節
何かの仕事をやりながら、その空いた時間で
「聖書の朗読と勧めと教え」をするのでなく、専念しなさいと命じているのです。
「聖書の朗読と勧めと教え」は、専念する必要がある程大切な働きだったと言えるのです。
「わたしが行くときまで」と条件付きですから、パウロが到着したら
パウロがそれをやってくれることになったのでしょうが、
それまでは、テモテが専念して行なう必要があったのです。
むすび.聖書の教えに専念する
もし使徒たちやパウロやテモテが、祈りと御言葉を語ることに専念せずに
配給の仕事をしながら、テントを作りながら、他の作業をやりながら
その仕事の合間に片手間で、御言葉を語っていたとしたらどうだったでしょうか?
神との深い交わりの時間を持てず、神の御心を悟るに至らず
神の言葉を十分に語り伝えることが、できなかったことでしょう。
彼らが片手間にではなく、人生を献げて専念して祈り御言葉を語ったことによって
福音は各地に広がり、宣教が進んでいったことは間違いありません。
今後の私たちの福音宣教が、多くの実を結ぶかどうかは、
「いかに現在福音宣教に携わっている人々が、御言葉を語ることに専念できるか」
ということにかかっていると言っても、過言ではないのです。
使徒たちに「配給の仕事」をさせてしまっては、ならなかったのです。
パウロに「テント作りの仕事」を続けさせては、ならなかったのです。
テモテに「聖書の朗読と勧めと教え」以外の仕事をさせては、ならなかったのです。
現在の福音宣教者たちにも、このことは当てはまることでしょう。
片手間にではなく、仕事の合間にでもなく、宣教に専念することが必要なのです。
福音宣教というのは、それ程重要で「重い仕事」なのです。
【今日の聖書】
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。
とがめ、戒め、励ましなさい。
忍耐強く、十分に教えるのです。
テモテへの手紙二 4章2節