今日のできごと


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2020/7/7(火)

 

信仰の父アブラハム

1.アブラハムに与えられた神の約束

 アブラハムは神によって、義とされた人物でした。
 アブラハムに神は、子孫繁栄の約束の言葉を与えられます。

 主は彼を外に連れ出して言われた。
 「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」
 そして言われた。
 「あなたの子孫はこのようになる。」
 創世記 15章5節

2.とても実現するとは考えられない状況下での約束

 この神の約束は、どういう状況下で語られた言葉だったでしょうか?
 夫婦の間に子供が長い年月生まれず、妻サラの出産の可能性がなくなった
 そんな状況下で語られた約束なのです。

 まさかそんなことがあるはずがない、あり得ない、不可能だ
 という状況下で語られているのです。
 ところがアブラハムはそれを、まるで幼子のように素直に信じているのです。

 アブラムは主を信じた。
 主はそれを彼の義と認められた。
 創世記 15章6節

 新約聖書中には、パウロがこの時のアブラハムの信仰を引用して
 人々に語ったことが、記されています。

 聖書には何と書いてありますか。
 「アブラハムは神を信じた。
  それが、彼の義と認められた」とあります。
 ローマの信徒への手紙 4章3節

3.信仰を持つことは義とされることにつながっていた

 アブラハムは、何をして義と認められたのでしょうか?
 どんな良いことをしたから、「あなたは正しい人物だ」と神に認められたのでしょうか?
 それはただ「信仰」をもっただけだったのです。

 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、
 誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。
 ローマの信徒への手紙 4章2節

 神に正しいとされるのに、善い行いなど必要ないのです。
 逆に言えば、どんなに自分で善い行いと思う行いをした所で
 神の前に正しいとされることは、ないのです。

 義とされるのはただ、信仰だけなのです。
 神の一方的な恵みを、信じて頂くだけなのです。
 行動の報酬としてではなく、一方的なめぐみとして受け取ればよいのです。

むすび.アブラハム同様、私たちも信じると義とされる

 アブラハムは「信仰の父」と呼ばれています。
 イスラエル民族の始まりは、アブラハムですから、
 血のつながりから言えば、イスラエルの父ですが

 アブラハムの信仰にならうものは、
 アブラハムを、信仰の父とすることになるので
 アブラハムの「信仰による子孫」ということに、なるわけです。

 従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。
 恵みによって、アブラハムのすべての子孫、
 つまり、単に律法に頼る者だけでなく、
 彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。
 彼はわたしたちすべての父です。
 ローマの信徒への手紙 4章16節

 主イエスを信じる者は、アブラハムの信仰を受け継ぐ
 霊的な子孫となるのです。

 【今日の聖書】
 更にまた、彼は割礼を受けた者の父、
 すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、
 わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた
 信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。
 ローマの信徒への手紙 4章12節


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