発音の類似性
"If you were a vehicle, what kind of vehicle are you?"
「もしあなたが乗り物だったとすると、あなたはどんな乗り物ですか?」
"I am a bicycle."
「わたしは自転車です。」
"Why? What is the reason?"
「なぜ?理由は?」
"Two tired. (Too tired.) "
「2つのタイヤ付きです。(とても疲れています。)」
"Oh! You are too tired!"
「あなたは、とても疲れているのですね!」
日本語にするとまったく意味が通じませんが、
英語では、"Two tired."と "Too tired."の発音が似ているため、
"Two tired."を"Too tired."にかけているのだなと、意味が通じるのです。
預言者アモスに対して主なる神は、このような
発音が似た言葉をもって、語っておられます。
内容は非常に恐ろしい預言ですが、そこに発音の類似性が利用されています。
主なる神は、アモスに「一籠の夏の果物(カイツ)」を見させられます。
この「夏の果物」が、カイツと言う言葉です。
カイツ

夏の果物
そして主なる神は、アモスに
「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。」と語られるのです。
この「最後」が、ケーツと言う言葉です。
ケーツ

最後
カイツとケーツは、間にヨド

があるかないかの違いだけで、
よく似た単語に、なっています。
1.神は堕落したイスラエルの民に最後が来たと語られた
堕落して神に立ち帰らなかったイスラエルに対して、神は
「もはや、見過ごしにすることはできない。」と語られるのです。
そして「最後」が来たと、宣言されるのです。
「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「一籠の夏の果物です。」
主はわたしに言われた。
「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。
アモス書 8章2節
神を侮り、神を無視し、災いを与えても神に帰らなかった民に対して神は、
恐ろしい終わりが来ると、語られているのです。
苦悩に満ちた日が来ると、警告がなされているのです。
2.その前に主を求めて生きるように促されている
苦悩に満ちた最後の日が来るから、その前に主を求めよと語られているのです。
神は「主を求めよ、そして生きよ」と言われています。
まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。
アモス書 5章4節
繰り返し語られています。
主を求めよ、そして生きよ。
さもないと主は火のように
ヨセフの家に襲いかかり
火が燃え盛っても
ベテルのためにその火を消す者はない。
アモス書 5章6節
そんな堕落した状況の中であっても、主を求めて生きよと語られたのです。
3.非常に重い罪の中にいた人々に対しても救いの道が提供されていた
アモスの時代のイスラエルの人々の罪は、非常に重いものでした。
お前たちの咎がどれほど多いか
その罪がどれほど重いか、わたしは知っている。
お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り
町の門で貧しい者の訴えを退けている。
アモス書 5章12節
けれども、そんなにも大きな罪の中にいる民に対して、
彼らを裁くその前に、主なる神は悔い改めを促され
彼らが主なる神に立ち返って生きられるように、その道を提供されているのです。
むすび.どんなに大きな罪の中にいたとしても悔い改めれば助かる
私たちは、神を侮ってはなりません。
罪の中にいたままでは、その最後は恐ろしい滅びです。
すぐに悔い改めて、神に立ち返るのです。
今どんな罪の中にあろうとも、すぐにその罪から離れ
悔い改めて、神に立ち返るのです。
こんなに大きな重い罪の中にいるから、「もうだめだ」と思ってはならないのです。
神のゆるしは、限りなく大きいのです。
今までの罪がいかに大きかったとしても、今悔い改めて神に立ち返れば良いのです。
主なる神は、真実に悔い改め神に立ち返るものを赦して受け入れて下さるのです。
そして罪を悔い改めたなら、二度と繰り返さないことです。
一番ダメなことは、「もうこんな私の罪はゆるされない」とあきらめてしまうことです。
こんな大きな罪はゆるされないから、悔い改めても無駄だと思ってはならないのです。
イエス・キリストの十字架のゆるしは、完全なのです。
どんなに大きな罪をも、信じて悔い改めるならゆるされるのです。
神のゆるしの大きさを信じましょう。
二番目にダメなことは、
「どうせゆるされるんだから、罪を犯し続けていてもいいじゃないか」
と思ってしまうことです。
神は故意の罪に対しては、厳しく裁かれるお方です。
アナニアとサフィラのことを、思い起こしましょう。
罪のゆるしは大きいですが、故意に罪を犯し続けることは非常に恐ろしいことです。
とにかく悔い改めることです。
故意の罪を犯してしまった時でも、悔い改めて
その罪から離れてゆくのです。
【今日の聖書】
主なる神はこのようにわたしに示された。
見よ、一籠の夏の果物(カイツ)があった。
主は言われた。
「アモスよ、何が見えるか。」
わたしは答えた。
「一籠の夏の果物です。」
主はわたしに言われた。
「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。
もはや、見過ごしにすることはできない。
その日には、必ず
宮殿の歌い女は泣きわめくと
主なる神は言われる。
しかばねはおびただしく
至るところに投げ捨てられる。
声を出すな。」
アモス書 8章1〜3節