今日のできごと


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2020/5/19(火)

 

愛はいらだたない(怒らない)

1.愛はいらだたない

 コリントの信徒への手紙1には、愛についてその内容が列挙されています。
 全部で15項目が、列挙されています。
 そのうちの8番目が、「いらだたない」です。

 いらだたず、
 コリントの信徒への手紙一 13章5節(抜粋)

 この言葉は「いらだたせる」という言葉の、受動態になっています。
いらだたせる
パロクノウ

いらだたせる【動詞】

(人を刺激・挑発して)怒りを発させる,
 憤りを起こさせる,挑発する,いらだたせる.

 この言葉は、「パラ」+「オクノウ」に分解できます。
 「パラ」は、強意を示す接頭辞で、
 「オクノウ」は、「怒らせる」という動詞です。
強意
パラ

<強意を表す接頭辞>【接頭辞】

より〜 大いに
強意
オクノウ

怒らせる【動詞】


 ですから、単に「いらだたせる」というのではなく
 「より強くいらだたせる」という意味になります。
 この「いらだたせる」(パロクノウ)の受動態が、今回の「いらだたない」になります。
いらだたせる
パロクネタイ

いらだたせる【動詞】の受動態

(人から刺激・挑発されて)怒りを発せられる,
 憤りを起こさせられる,挑発される,
 いらだたせられる.

引用:織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版

 受動態の意味としては、「挑発されて、いらだたせられる」という意味になります。

2.愛は挑発に乗らない

 一般的に、何かをされるとそれに反応して同じことをしてしまう傾向にあります。
 怒りの口調で攻撃されたら、同じように怒りながら答えてしまい、
 あざけられたり、ののしられたりすれば、同じようにあざけりののしってしまい、

 怒鳴られれば、怒鳴り返してしまい、
 殴られたら、殴り返し、
 つかみかかってこられたら、それに応戦してけんかになってしまうのです。

 けれども、愛はそうではないのです。
 いかに怒りの口調で攻撃されても、同じように怒ったりせず、
 いかにあざけられたり、ののしられたりしたとしても、あざけったりののしったりもせず、

 怒鳴られても、怒鳴り返すことをせず、
 殴られても、殴り返さず、
 つかみかかってこられても、それに応戦しないのです。

3.キリストはののしられてもののしりかえさなかった

 イエス・キリストは、まさにこの愛を実践されていた方でした。

 「この方は、罪を犯したことがなく、
  その口には偽りがなかった。」
 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、
 正しくお裁きになる方にお任せになりました。
  ペトロの手紙一 2章22〜23節

 イエス・キリストは、いかに人々からののしられても、ののしり返さず、
 鞭打たれ、あざけられ、十字架で苦しめられても、
 誰一人として、脅すようなことをされなかったのです。

むすび.私たちも挑発されてもそれに応じて怒らない

 イエス・キリストのこの姿こそ、私たちの模範です。
 私たちも同じようにしなさいと、キリストが模範を残されたのです。

 あなたがたが召されたのはこのためです。
 というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、
 その足跡に続くようにと、
 模範を残されたからです。
 ペトロの手紙一 2章21節

 私たちもキリストのこの姿にならい、聖霊の力を受けて
 人から刺激されたり、挑発されたりしても
 怒りを発したり、憤りを起こしたり、いらだたないでいるべきなのです。

 自分の力ではできませんが、
 神の力を頂くと、できるようになります。

 【今日の聖書】
 悪をもって悪に、
 侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。
 かえって祝福を祈りなさい。
 祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
 ペトロの手紙一 3章9節


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