今日のできごと


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2020/5/18(月)

 

愛は自分の利益を求めない

1.愛は自分の利益を求めない

 コリントの信徒への手紙1には、愛についてその内容が列挙されています。
 全部で15項目が、列挙されています。
 そのうちの7番目が、「自分の利益を求めない」です。

 自分の利益を求めず、
 コリントの信徒への手紙一 13章5節(抜粋)

自身を求める
ウー ゼーテイ  タ ヘアウテース
not
ウー

否定【小辞】

 〜ない 断言的否定 無条件の否定的断定
 肯定の可能性がまったくない場合の否定
求める
ゼーテイ

【基本形】
求める
ゼーテオウ

求める【動詞】

【三人称・単数・現在・直説法・能動態】
 「彼女は、求めます」
  主語の「愛」が女性名詞ゆえ「彼」でなく「彼女」

 @さがす,捜し求める,尋ね求める,
  尋ねて捜す,尋ね出す,(命を)ねらう,追求する.
 A(しようと)努める,(得ようと)求める,欲しがる,
  願望する,〜しよう(したいと).
 B要求する,請求する,求める
the


【基本形】
the

@ the【冠詞】

 【対格(〜を)・中性名詞の冠詞・複数】
 (複数形で対格の中性名詞の前に付く場合にtaに変化)

A them【指示代名詞】

 【対格(〜を)・中性指示代名詞・複数】
  それらを
自身
ヘアウテース


【基本形】
自身
ヘアウトゥ

彼女自身の【再帰代名詞】

 【属格(〜の)・女性名詞・三人称・単数】
 彼女自身の

 @本来は三人称,彼自身,彼女自身,それ自身
 A一,二人称に代用する場合もある
引用:織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版

 以上の内容から、この文を語順通りに英訳すると
 自身を求める
 「She does not seek the herself's」となり、直訳すると
 「彼女は彼女自身のものを求めない」となります。

 この場合の主語の「彼女(She)」は、女性名詞の「愛(アガペー)」ですから、
 「愛は自分自身のものを求めない」という意味になってくるでしょう。
 言い換えれば、次のようになるでしょう。

 「愛は自分自身のものを求めず、隣人のためになるものを求める」

2.英語の訳

 この箇所の英訳は、以下の通りです。
 @ Love does not seek its own,  (New King James Version)
   ヘアウテース(彼女自身の)を "its own"と訳しています。
   和訳「愛はそれ自身を求めません。」

 A It is not self-seeking, (New International Version)
   ゼーテイ タ ヘアウテースを "self-seeking"と訳しています。
   和訳「愛は利己主義ではありません。」

 B Charity seeketh not her own, (King James Version)
   ヘアウテース(彼女自身の)を、原語通りに "her own"と訳しています。
   和訳「愛は彼女自身を捜し求めません。」

 C  Love is not selfish (Today's English Version)
   ゼーテイ タ ヘアウテースを "selfish"と訳しています。
   和訳「愛は利己的ではありません。」

3.愛は利己主義の反対

 日本語の聖書の訳では、「愛は自分の利益を求めない」というように
 「利益」という単語を用いているのですが、ギリシア語には直接的には
 「利益」という意味の単語は、用いられていません。

 英訳の場合も、「自分の利益」という意味合いの単語を用いずに
 「自分自身」とか「自己中心」という言葉を用いて、訳しています。
 簡単に要約すると、「愛は自己中心ではない」ということになります。

 「自己中心でない」とするなら、愛はどういうことになるでしょうか?
 「愛は、自分のことよりも他人のことを考える」となるでしょう。
 「自分自身のように隣人を愛すること」は、「自分と同じように」というより

 「まるで自分が隣人かのように、隣人を愛する」ということになってきます。
 もしも自分が隣人であったら、元々の自分はどこかへ吹っ飛ぶのです。
 「自分のことはさておき、隣人のことを愛する」ということになってきます。

むすび.イエス・キリストの愛こそ自己中心の正反対

 イエス・キリストの示された愛が、この愛です。
 「自分が十字架で死なねばならなくても、全人類に永遠の命を与える」
 という愛でした。「私も生きて、あなたも生きる」ではなかったのです。

 「あなたが生きるために私が死ぬ」というものだったのです。
 「自分も十字架にかからずに生き延びて、なおかつ全人類も永遠の命を持つ」
 というのではなく、「自分が十字架で死んで、人が永遠に生きる」だったのです。

 「自分よりも、隣人」だったのです。
 私たちに求められている愛も、この愛です。
 そして神はそのように愛せるように、私たちを変えて下さるのです。

 【今日の聖書】
 わたしがあなたがたを愛したように、
 互いに愛し合いなさい。
 これがわたしの掟である。
 友のために自分の命を捨てること、
 これ以上に大きな愛はない。
 ヨハネによる福音書 15章12〜13節


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