愛は高ぶらない
1.愛は高ぶらない
コリントの信徒への手紙1には、愛についてその内容が列挙されています。
全部で15項目が、列挙されています。
そのうちの5番目が、「高ぶらない」です。
愛は...高ぶらない。
コリントの信徒への手紙一 13章4節(抜粋)
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フーシオウ |
高ぶる【動詞】
(能動態)吹いてふくらます,慢心させる,高ぶらせる
(受動態)慢心する,高ぶる,のぼせ上がる
引用:織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版
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2.「高ぶる」は「ふいご」を語源に持つ言葉
この「高ぶる(受動態)」、「高ぶらせる(能動態)」という言葉は
「吹いてふくらます」,「慢心させる」という意味を持った言葉で、
「ふいご」と言う言葉を、語源に持っている言葉です。
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フーサ |
ふいご
引用:織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版
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風を送り込むための道具が、ふいごです。
「ふいごを吹いて、ふくらます」という意味が
この「高ぶる」と言う言葉に、含まれているのです。
3.本来は小さかったものが風船のように膨らむ
イメージとしては、ゴム風船のような感じでしょうか?
元々は親指ほどの大きさしかないのに、空気を吹き込んで膨らますと
顔の大きさぐらいにまで、膨らむのです。
本当はそんな大きさではないのに、小さな小さな風船なのに
中に空気が入っただけで、元の大きさの何倍の大きさにも
膨らんでしまうのです。
それと同じように、本当はそんなに立派でもなければ
強くも、賢くも、偉くもないのに、あたかも誰よりも立派で
誰よりも強くて、誰よりも賢くて、誰よりも偉いかのように振る舞ってしまう
そんなイメージになるでしょうか?
ここで言う「高ぶる」というのは、そんな風船のイメージのような言葉のようです。
自分を膨らませて大きく見せている、そんなイメージです。
むすび.ありのままの自分で大丈夫
どうして風船のように、自分を膨らませたくなるのでしょうか?
自分のありのままの姿に、自信が持てないからです。
ありのままの姿がしぼみ切った風船では、誰からも相手にされないと思うからです。
確かにしぼんだ風船より、膨らんだ風船の方が人目をひきます。
幼い子どもたちは、しぼんだ風船ではなく膨らんだ風船で遊ぶのです。
それと同じように、自分も膨らんでいないとだめだと思い込んでしまうのです。
神のみ前に、そんなことはまったくありません。
自分を風船のように膨らまさなくても、そのままでありのままで
神に限りなく、愛されているのです。
確かに罪人であって弱いですが、キリストの血潮でゆるされたのです。
罪から離れ、神に従えば回復するのです。
ありのままで充分なのです。そのままで良いのです。
無理やり自分で膨らまさなくても、神の聖霊の風が吹き込まれて
本来の自分にはなかった愛や力や知恵や喜びが、自分の中に吹き込まれるのです。
本来の自分にはなかった神からの賜物で、大きくさせていただけるのです。
【今日の聖書】
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛を示されました。
ローマの信徒への手紙 5章8節