今日のできごと


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2020/5/16(土)

 

愛は礼儀に反しない

1.愛は礼儀に反しない

 コリントの信徒への手紙1には、愛についてその内容が列挙されています。
 全部で15項目が、列挙されています。
 そのうちの6番目が、「礼儀に反しない」です。

 礼を失せず、
 コリントの信徒への手紙一 13章5節(抜粋)

礼儀に反する
アスケーモネオウ

礼儀に反する(ことをする)【動詞】

無作法をする
見苦しい行為をする
体裁の悪いことになる
引用:織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版

2.「礼儀に反する」は「無作法な」の動詞形

 動詞の「礼儀に反する」(アスケーモネオウ)は、
 形容詞「無作法な」(アスケーモウン)の動詞形になっています。
無作法な
アスケーモウン

無作法な【形容詞】

無作法な、不体裁な、みっともない
見苦しい

 この「無作法な」という形容詞(アスケーモウン)は、
 「外形・外観・態度」という意味の名詞(スケーマ)が、
 「否定接頭辞」(ア)によって、打ち消されている言葉になります。
否定接頭辞

否定接頭辞

接頭辞として否定,
共通,強意などの意味を付加する

 否定接頭辞「α」は、英語の「un」のように
 後に続く語を、否定します。
 「α」の後には、「外形」という言葉(スケーマ)が続いています。
外形
スケーマ

外形【名詞】

形,外形,外貌,有様,外観
態度,挙動
すべて外に現われた形をいう

 「外形」(スケーマ)という言葉は、「形状」「様式」「外形」などを示し
 「内的」でなく「外的」で、「本質的」でなくその反対の「偶有的」という意味の言葉です。
 事物の内側にある、「固定した不変の実質」ではなく「移り行く外形」を示します。

 外側に出ている、表面的なもののことを指すようです。
 ですからこれに否定がつくと、外側の形が「悪い」
 「見栄えがしない」「みっともない」「見苦しい」となります。

 相手に対する自分の態度が「見苦しい」、
 すなわち、「無作法」ということになって
 「礼儀正しくない」「礼を失している」ということになるわけです。

3.相手を軽視するから礼を失する

 それでは、なぜ礼儀に反してしまうのでしょうか?
 礼儀に反してしまうのは、どんな時でしょうか?
 それは、相手を軽んじている時です。

 尊敬する人に対しては、礼儀正しくします。
 尊敬していないから、礼儀に反してしまうのです。
 「親しき仲にも礼儀あり」ということわざがあるということは

 「親しくなるほど、礼儀から遠ざかる傾向がある」ことを示しています。
 親しい関係になると、相手の弱いところや悪いところもよく見えてきて
 相手を軽く見てしまう傾向にあるわけです。

 はじめに抱いていた尊敬の念が、徐々に薄れて行ってしまうのです。
 自分の中で相手が、尊敬すべき対象ではなくなっていくのです。
 相手を尊敬すべき対象と見ていないと、礼儀に反してしまうのです。

むすび.相手を神に造られた尊い存在として見る

 私たちは隣人を見るとき、その人を「神の形に似せて造られた人」と見るべきです。
 その人を、「神がお造りになられた尊い人物」と見るべきです。
 そしてその人を、「神によって限りなく愛されている人物」と捉えるべきなのです。

 「隣人が、神によって創られた最高傑作品」であると、認識するなら、
 当然「礼儀正しく対応すべきだ」と、気が付くはずです。
 「神に愛されているその人を、私も愛そう」となるのです。

 礼儀に反することは、なくなっていくのです。
 失礼なことをされると、とても嫌な思いになります。
 ですから、自分がして欲しくないことは隣人に対しても、しないのです。

 【今日の聖書】
 第二も、これと同じように重要である。
 『隣人を自分のように愛しなさい。』
 マタイによる福音書 22章39節


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