神に召されたときの身分のままで
1.割礼痕を消さなくても良い
パウロが伝道していた当時、コリントの教会には
ユダヤ人で救われた信徒と、異邦人で救われた信徒の両方がいました。
ユダヤ人は割礼を受けていましたし、異邦人は受けていませんでした。
それらの人々に対して、パウロは、
割礼を受けているユダヤ人に対しては、
「割礼の跡を無くそうとしてはいけません。」と語り
割礼を受けていない異邦人に対しては、
「割礼を受けようとしてはいけません。」と語っています。
割礼を受けている者が召されたのなら、
割礼の跡を無くそうとしてはいけません。
割礼を受けていない者が召されたのなら、
割礼を受けようとしてはいけません。
コリントの信徒への手紙一 7章18節
2.救いに割礼は不要だが、既に受けてしまっていても大丈夫
救いと割礼は無関係です。イエス・キリストを信じれば、だれもが救われます。
ですからユダヤ人にとって、以前は絶対に受けなければならなかった割礼は
イエス・キリストの到来によって、もはや不要になっています。
ただ、割礼が不要になったからと言って、
「既に受けてしまった割礼の跡を、なくそうとする必要はないですよ」
と、パウロは語っています。「そのままでいいのです」と語るのです。
一方異邦人に対しても、「割礼を受けなければ神の民になれない」という定めは
イエス・キリストの到来によって終わりを遂げたのだから、
「割礼など受ける必要はないのです」と語るのです。
3.問題は心の中でイエス・キリストを信じているかどうか
人それぞれに、国籍や生まれ育った環境、過去の体験・経験は違っています。
そういう中から、同じイエス・キリストを信じるようにされたのです。
同じ信仰を持ったからと言って、外側を他の人と合わせる必要はありません。
問題は、心の内側なのです。
心でイエスを信じて義とされ救われるのですから、心の内側が重要なのです。
外側を表面的に変える必要は、まったくないのです。
割礼の跡をなくして、異邦人のように見せかけたり、
割礼を受けて、ユダヤ人の仲間になったように見せかける必要はないのです。
そのままでいいのです。みんな同じようになる必要はないのです。
むすび.信じたその時の身分のままで、大丈夫
救いは、現在置かれている境遇や状態、家族構成や家柄、
国籍や財産、地位や名誉などとは一切無関係です。
過去の経験・境遇とも無関係です。
信じたその時の身分のままで、大丈夫なのです。
国籍を変える必要も、家を出る必要も、
職業
※を変える必要もないのです。
問題は「心の中でイエス・キリストを信じているかどうか」だからです。
【今日の聖書】
おのおの主から分け与えられた分に応じ、
それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。
これは、すべての教会でわたしが命じていることです。
コリントの信徒への手紙一 7章17節
※
明らかに神の目に喜ばれない職業だった場合は、この限りではありません。