それなら...
1.人生はいつかは終わる
私たちの生涯は、やがて終わります。
人間で生まれた以上、120年を超えては生きられません。
90歳を超えれば、長生きと言われます。
しかしある程度年をとると、10年20年はあっという間です。
若いうちは1年が長く感じられますが、年をとると短く感じられます。
15年しか生きていない中での1年は、人生の15分の1になりますが、
60年生きてきた中での1年は、人生の60分の1にしかならないのです。
すなわち、1年の人生に占める割合が
どんどん小さくなっていくのです。
2.詩編に見る人生のわずかなことに対する言及
詩編にはそのような人生を、むなしいもの、
影のように移ろうようなものと、記されています。
財産を蓄えても、結局他の人に渡ってしまうんだというのです。
御覧ください、与えられたこの生涯は
僅か、手の幅ほどのもの。
御前には、この人生も無に等しいのです。
ああ、人は確かに立っているようでも
すべて空しいもの。
ああ、人はただ影のように移ろうもの。
ああ、人は空しくあくせくし
だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
詩編 39編6〜7節
3.短い人生をどう生きるべきか?→神に望みを置く!
それなら、短く影のように移ろいゆく人生を、
どうやって生きて行けば、よいのでしょうか?
何に望みをかけたら、よいのでしょうか?
主よ、それなら
何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。
詩編 39編8節
神に望みを置いて、神を待ち望むことです。
神の内には、素晴らしいものが満ち溢れています。
それを私たちに豊かに与えて下さるのです。
4.神を待ち望むとどうなるか?
そんな神を待ち望むのなら、何が起こるでしょう。
私たちに必要なものが次から次へと与えられて、
私たちが愛の人に変えられ、喜びの人に変えられ、
感謝する人に変えられ、平安な人に変えられ、理想像に近づいていくのです。
そして神がそういう私を、大きく用いて下さるのです。
神の働きに、なくてはならない1人として大きく用いられるのです。
むすび.神に望みを置く素晴らしい人生を歩む
そうなってくると、虚しいと思えた人生が逆転します。
人生が、実はとてつもなく重要で価値あるものであることに気づくのです。
神の働きを進める、有意義で最も素晴らしい人生を生きているんだと認識できるのです。
それは、「生きててよかった」というレベルではなく、
「生きていなければ、いけないんだ!」
「人生は、こんなに素晴らしかったんだ!」というレベルにまでなっていくことでしょう。
そうです。神が与えて下さった人生は
神に望みを置いて、神を求め、神とともに歩むなら
この上ない祝福に満ちた、最高に幸せな人生になっていくのです。
【今日の聖書】
主よ、それなら
何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。
詩編 39編8節