凍てつく車
夜半に雨が降り、明け方に気温がぐっと下がって
車に付いた雨が、しっかり凍ったようです。
早朝に車を出そうとしたところ、ドアも屋根もフロントもすべてが凍りついていました。
ドアを開けると、氷のはがれる「バリッ」という音がしていました。
昨日に引き続き、スクレーパーでフロントガラスの氷を取り除き
何とか視界を確保して、車を出しました。(解氷剤が空になったため時間がかかりました)
けれども早朝の寒さが嘘のように、日中は暖かくなって
外は一変して、春の陽気になりました。
桜も満開に近づき、すっかり春の景色になってきています。
風が強かったので、宍道湖は結構波が強かったですが
陽の光を反射して、きれいに輝いていました。
宍道湖は、四季を通じてきれいで穏やかな湖です。
明け方凍っていたのが嘘のような、日中の暖かさでした。
今日の祈祷会は、コリントの信徒への手紙1の4章1〜6節を
読んで祈りました。
1.パウロは、私には何もやましいところはないと語った
自分には何もやましいところはないが、
それでわたしが義とされているわけではありません。
わたしを裁くのは主なのです。
コリントの信徒への手紙一 4章4節
コリント教会には、パウロ派、アポロ派、ケファ派などの分派があって
互いに反目しあっていたようです。
派閥を作ると、違う派を批判したり裁いたりするようになるのが常です。
パウロは、コリント教会のアポロ派の人達から裁かれていたようなのです。
わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、
人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。
わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。
コリントの信徒への手紙一 4章3節
裁かれるような状況下において、「自分には何もやましいところはない」と
明確に弁明しています。
そして、主がすべてご存知なのだと語っているのです。
2.パウロは、主がすべてをご存知だと語った
主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、
人の心の企てをも明らかにされます。
コリントの信徒への手紙一 4章5節(抜粋)
「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、
人の心の企てをも明らかにされます。」と語っています。
神は私たちの心の中の奥底まで、すべてご存知なのです。
パウロは、コリント教会のある人々から裁かれていたようですが、
それに動じることなく、主がご存知だという信仰に固く立っていたのです。
それは、十字架上のイエス・キリストの姿に通じる所があります。
「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、
正しくお裁きになる方にお任せになりました。
ペトロの手紙一 2章22〜23節
3.パウロは、主が裁いて下さるから裁いてはいけないと語った
パウロが主張するのは、人を裁いてはならないということです。
ですから、主が来られるまでは、
先走って何も裁いてはいけません。
コリントの信徒への手紙一 4章5節(前半)
主が最終的に裁かれるのですから、人は裁く必要がないのです。
「ですから、主が来られるまでは、
先走って何も裁いてはいけません。」と語るのです。
派閥を作って、自分たちだけが正しいかのように
他の派閥の人物を裁くようなことがあっては、ならないのです。
そもそも、派閥を作ること自体がおかしいことなのです。
兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、
このように述べてきました。
それは、あなたがたがわたしたちの例から、
「書かれているもの以上に出ない」ことを学ぶためであり、
だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、
高ぶることがないようにするためです。
コリントの信徒への手紙一 4章6節
むすび.人を裁かず、人に裁かれても動じず、正しく裁かれる主に信頼する
@ある人だけを特別に持ち上げて、分け隔てをしたりしてはならないこと
A特定の指導者だけに従うような、派閥を作る姿勢であってはならないこと
B派閥を作って、自分たちだけが正しいかのように考えて、
他の人たちを、裁いたり見下げたりしてはならないこと、
を、聖書から教えられました。
そのようなことがもしも、教会の中で起きてしまい、
人に非難され、悪者扱いされて裁かれるようなことがあったとしても、
主はすべてをご存知であるので、
C裁かれても、決してあわてたり動じたりする必要のないこと、
Dまた逆に、隣人に対して先走って何も裁いてはならないこと
も、教えられました。どんなことがあったとしてもパウロのように、
「自分には何もやましいところはない」という生き方をすることこそが、
主に用いられる秘訣であることも、同時に教えられました。
とにかく、人がどう評価しようと、
故意の罪から、自分自身がいかに離れて歩むかということが大事なのです。
神によって聖とされた私たちは、それを保って歩んでいくのです。
人の評価というのは、しばしば誤ってしまうものです。
主が共にいて下さり、すべてをしっかりとご覧になって評価して下さるのです。
人の評価に基準を置かず、主の評価に基準をおいて生きていきましょう。
最後に正しく評価されるのです。
「そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」と書いてあります。
【今日の聖書】
ですから、主が来られるまでは、
先走って何も裁いてはいけません。
主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、
人の心の企てをも明らかにされます。
そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。
コリントの信徒への手紙一 4章5節