今日のできごと


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2020/4/2(木)

 

あとで...

1.洗足の意味を、弟子たちは始めさっぱり理解できずにいた

 イエス・キリストが、弟子たちの足を洗っておられた時
 そこにいた弟子たちは、なんでイエスがそんなことをするのか
 まったく理解できていませんでした。

 その時にイエスが答えられた言葉は、こういう言葉です。
 「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、
  後で、分かるようになる」

 後でわかるから、今わからなくても大丈夫というのです。
 イエスは、その時その場で説明していませんでした。
 弟子たちの疑問を、疑問のまま、そのままにされているのです。

2.今でもそういうことがある

 今でもそういうことが、ままあるのです。
 何でこんなことが起こるのだろう?
 なぜこうなっていくのだろう?

 私たちの疑問を、疑問のまま、そのままにされることもあるのです。
 その日その時には、神は説明をされずにそのままにされるのです。
 そして、後でわかるのです。

3.行動の裏側にある隠された意図に後で気づく

 たとえば、講演会で「それは電車が道路の上を走らないのと同じです」と語ったとします。
 すると、そのメッセージを聞いていたある方が、講演会の後で
 「先生、飛鳥山公園に桜を見にドライブに行きましょう」と誘ってくるわけです。

 「何でわざわざ遠くの、北区王子の飛鳥山公園なのかなあ?」と不思議に思います。
 その時には、講師には彼の意図がわからないのです。
 けれども、本郷通りと明治通りの交差点付近に来るとハッと気づくわけです。

 その路上にはレールが敷かれており、やがてそこを都電が走ってきます。
 「あっ都電!そうか、都電は道路の上を走るんだ!」とわかり、
 彼がなぜ飛鳥山公園に、自分を連れてきたのかその意図を理解するのです。

 「電車が道路の上を走らない」と言ってしまったが、都電があったと失言に気づきます。
 「なんで飛鳥山公園?」と、始めはわからなくても、
 後になって、わかるのです。後で「あっ!都電」とわかるのです。

 講師を連れて行った人は、言葉ではなく実際に目にしてもらうことによって、
 その講師の語ったことの間違いを、教えてくれようとしたのです。
 (※これは架空のたとえ話であって、実話ではありません)

むすび.その時わからなくても後でわかるということもある

 そのように、後になって神が教えて下さることもあるのです。
 グッドタイミングな時や、私たちの準備が整った時、
 更には、私たちが成長した時にはじめて理解させていただけることもあるのです。

 【今日の聖書】
 イエスは答えて、
 「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、
  後で、分かるようになる」と言われた。
 ヨハネによる福音書 13章7節


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