悪魔の誘惑の特徴5「大丈夫だよ」
「決して死ぬことはない。
創世記 3章4節(後半)
5.悪魔は、食べても大丈夫だと思わせてきた
5.1 神の言葉だけを聞いていた時は「大丈夫ではない」と思っていたはず
神が「食べてはいけない」と言われた、その言葉だけを聞いていた時には、
人は、「その実を食べても大丈夫だ」とは、思ってもいなかったことでしょう。
神の言葉だけを聞いていた時、人には何の疑問も生じていなかったはずです。
「食べてはいけない」と言われたから、そう言われた通りに行動していたはずです。
人は、悪魔の言葉を聞いてはじめて「食べてみたい」という気持ちになっています。
ということは、神の言葉だけを聞いていた時は、人は安全だったということです。
5.2 悪魔は「食べても大丈夫だ」と平気でうそを言った
悪魔は、本来大丈夫ではないことを、大丈夫に見せかけて来るプロです。
「必ず死ぬ」と言われていた神の言葉の真逆の言葉、「決して死ぬことはない」を断言して
「食べても、大丈夫だ!」という嘘を、人の心に投げかけて来たのです。
そしてその嘘を、人はそのまま心に受け取ってしまったのです。
無防備だったのです。大丈夫ではないのに「大丈夫だ」という嘘を、
心で受け取ってしまったからこそ、その実をとって食べてしまったのです。
5.3 悪魔は「罪を犯しても大丈夫だよ」とそそのかす
悪魔の常套手段は、「罪を犯しても大丈夫だよ」と語りかけて来ることです。
まったく大丈夫でも何でもないのに、「大丈夫だ」と偽りを投げかけて来るのです。
しかも断定的に語ってくるのです。「かもしれない」とか「たぶん」ではなく断言です。
悪魔は、人が罪を犯した結果の悲惨さを語りません。
もし人が、罪を犯した後の悲惨な結末をはじめから知っていれば、
多くの人は罪を犯す事を躊躇し、踏みとどまったことでしょう。
悪魔は決して語らないのです。「罪を犯しても大丈夫」ではない事実を語らないのです。
逆に、「罪を犯しても大丈夫だよ」と偽りを語ってくるのです。
人はその言葉に、ころっとだまされてしまうのです。
5.むすび.「罪を犯しても大丈夫」ではない
「少しぐらいなら、大丈夫だよ」
「見つからなければいいんだよ、大丈夫」
「誰も見ていないからやってごらん、大丈夫だから」
これが悪魔の誘惑の常套手段ですが、まったく大丈夫ではありません。
アダムが罪を犯しても、大丈夫だったでしょうか?
アダムの罪の結果、アダムだけでなく全人類に罪と死が入り込みました。
彼の息子カインは、弟アベルを殺した最初の殺人犯です。
アダムとエバは人類最初の家庭を築きますが、その家庭は殺人犯と
その被害者を両方同時に持つ、悲惨な家庭となってしまうのです。
アダムとエバの嘆きは、どれ程だったでしょうか?
次男は殺されて死んでしまい、長男は殺人を犯し家を出ていくのです。
人は、「善悪を知る木の実を食べたらダメだった」のです。
まったく、大丈夫ではなかったのです。
アダムとエバがその実を食べなければ、こんなことは起きなかったのです。
食べた結果、とてつもなく悲惨な結果がやって来たのです。
私たちは、罪を犯した結果どうなるかをよく考える必要があります。
悪魔は「大丈夫だ」と言ってきますが、それは嘘です。
少しも大丈夫ではありません。逆なのです。
すべてをご覧になっている神は、正しくその罪を裁かれるのです。
罪を犯しても大丈夫だという、悪魔の声を退けていくのです。
「罪を犯しても大丈夫」というのは、嘘なのです。
【今日の聖書】
主は聖なる宮にいます。
主は天に御座を置かれる。
御目は人の子らを見渡し
そのまぶたは人の子らを調べる。
主は、主に従う人と逆らう者を調べ
不法を愛する者を憎み
逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り
燃える硫黄をその杯に注がれる。
主は正しくいまし、恵みの業を愛し
御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。
詩編 11編4〜7節