今日のできごと


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2020/2/26(水)

 

総督ポンティオ・ピラトの弱さ

 無罪とわかっていたイエスを、十字架につけることをゆるしてしまった
 ピラトの敗因は、単に反対者の数が多かったということだけではなく、
 反対者の数以外にも、以下の3つの点があげられるでしょう。

1.人の顔色をうかがった=優柔不断

  総督には、他の人にはない権限が与えられていました。

  そこで、ピラトは言った。
  「わたしに答えないのか。
   お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、
   このわたしにあることを知らないのか。」
  ヨハネによる福音書 19章10節

  この言葉から、たとえ人々が何と言おうと、
  イエスを釈放する権限も、イエスを十字架につける権限も
  ピラトにあったということが、わかります。

  「訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。」というのなら
  「だからわたしは、この男を釈放する。」で終わればよかったのです。
  ピラトは、人々に問うてその声に従って、判断を変えてしまっています。

  優柔不断な姿勢が、見られるのです。
  自分の判断で下した「釈放する」という決断を、人々の気に入る方に、
  「それは違う」と思いながらも、変えてしまっているのです。

2.騒動を恐れた

  ピラトは、騒動が起こるのを恐れました。

  ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、
  かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、
  群衆の前で手を洗って言った。
  マタイによる福音書 27章24節(前半)

  大勢の人々による騒動が、ピラトにとっては恐ろしいことだったのです。
  要するに、人を恐れてしまったのです。
  総督と言えども、大勢の人々による騒動は怖いものだったのです。

3.保身に走った

  人々は、「もしイエスを釈放するなら、皇帝に背いていることになる」
  とも語ります。ローマ皇帝への反逆になってしまうぞ、と脅すのです。

  そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。
  しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。
  「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。
   王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
  ヨハネによる福音書 19章12節

  もし自分が皇帝に背いたということに、なってしまったら
  それこそ、総督の職と権力を失うだけでなく
  それは、命に関わることだったでしょう。

  ピラトは保身に走ります。

  ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、
  ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、
  裁判の席に着かせた。
  ヨハネによる福音書 19章13節

  イエスを外に連れ出して、裁判の席に着かせてしまうのです。
  そしてその席でも、「皇帝のほかに王はありません」
  と、言われてしまいます。

  彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」
  ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、
  祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。
  ヨハネによる福音書 19章15節

  ローマ皇帝を引き合いに出されてしまったら、さすがのピラトも
  怖気づくわけです。保身に走ってしまうのです。
  ピラトは、イエスを十字架につけるために彼らに引き渡してしまうのです。

  そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
  ヨハネによる福音書 19章16節

4.責任転化して逃げた

  最終的にピラトは、「この人の血について、わたしには責任がない。」
  と責任逃れの言葉を語ります。そして、人々にその責任をかぶせるのです。
  「お前たちの問題だ。」と語っています。

  ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、
  かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、
  群衆の前で手を洗って言った。
  「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
  マタイによる福音書 27章24節

  しかし、権威が総督に与えられている以上、
  いかに「わたしには責任がない。」と言ったところで
  責任がなくなったわけでは、ありません。

  単なる責任転嫁に過ぎませんでした。

むすび.ピラトの弱さは実は私の弱さ

 このように、人々の顔色を窺い、人を恐れ、保身に走り、責任転嫁してしまうという
 そういう弱さを、総督ポンティオ・ピラトは持っていたのです。
 総督と言えども、弱い存在だったのです。

 いかに権威を与えられていたとしても、罪人であることに変わらなかったのです。
 罪人ゆえの弱さを持っていることには、変わらないのです。
 ピラトは愚かだったと、笑うことはできません。

 実はこれは、私たち自身の弱さでもあるのです。
 罪を赦し弱い私たちに力を与えて下さる、救い主
 イエス・キリストが、私たちにはどうしても必要なのです。

 【今日の聖書】
 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、
 定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
 ローマの信徒への手紙 5章6節


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