今日のできごと


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2020/2/24(月)

 

4000人の給食

1.イエスは4000人の空腹を満たした

 食べ物が何もなかった状況は、5000人の給食の後にも訪れます。
 その時は、全部で4000人ほどいたようです。

 およそ四千人の人がいた。
 イエスは彼らを解散させられた。
 マルコによる福音書 8章9節

 この4000人を、7つのパンと少しの小魚で養ってしまうのです。
 これも驚くべき奇蹟です。

 イエスが「パンは幾つあるか」とお尋ねになると、
 弟子たちは、「七つあります」と言った。
 マルコによる福音書 8章5節

 7つのパンで4000人ですから、ピッタリ4000人として
 ひとり1個ずつでも、571.428571428571倍以上です。
 凄まじい増え方です。そして、この時も満腹しています。

 人々は食べて満腹したが、残ったパンの屑を集めると、
 七籠になった。
 マルコによる福音書 8章8節

2.イエスがいれば食糧がなくても大丈夫という経験が繰り返された

 皆が満腹するまで食べることができた、ということは、
 ひとり1個ではなかったはずです。2個も3個も
 あるいは、もっと食べた人がいたかもしれません。

 そうすると、やはり1000倍以上の増え方になってきます。
 こんな奇蹟を2度も体験したら、どうでしょうか?
 おそらく、「食べ物がなくてもイエスが一緒にいれば大丈夫だ、心配ない」

 そう思うように、なるのではないでしょうか?

3.弟子たちはパンを忘れたことを問題にしてしまった

 ところが、そうでもなかったようです。

 弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、
 舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
 マルコによる福音書 8章14節

 弟子たちが、パンを持ってくるのを忘れて、
 舟に乗ってしまった時の事です。
 その時、彼らはパンが1つしかないことを気にしているのです。

 イエスが、
 「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」
 と、戒められた時、

 「パンを持って来なかったからこんなことを言われたのだ」
 と、誤解してしまうのです。

 弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、
 と論じ合っていた。
 マルコによる福音書 8章16節

 それに対してイエスは言われます。

 イエスはそれに気づいて言われた。
 「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。
  まだ、分からないのか。悟らないのか。

  心がかたくなになっているのか。
  目があっても見えないのか。
  耳があっても聞こえないのか。
  覚えていないのか。
  わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、
  集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」
  弟子たちは、「十二です」と言った。

 「七つのパンを四千人に裂いたときには、
  集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」
 「七つです」と言うと、イエスは、
 「まだ悟らないのか」と言われた。

マルコによる福音書 8章17〜21節

 パンがほんの少ししかなくても、大丈夫だった体験をしていたにも関わらず
 3度目にまたパンがなかった時、それが大きな問題であるかのように
 語り合ってしまったのです。

むすび.奇蹟を繰り返し体験しても必ずしも信仰は深まらない

 パンの増える奇蹟を2度も体験したのなら、さぞかし信仰は
 大きくレベルアップしたに違いない、そう思いますが
 実際の所は、それ程でもなかったようです。

 いかに過去素晴らしい体験をしていたとしても、その恵みを忘れやすく
 同じような問題に直面した時に、過去の体験が生かされずに
 また同じように悩んだり、失望落胆したり、慌てふためいたりしてしまう

 それが、私たちの弱さであることを教えられます。
 神の恵みを忘れないでいること、これがとても重要になってきます。
 それは素晴らしい思い出で終わらず、現在の信仰生活に役立って行くからです。

 【今日の聖書】
 わたしの魂よ、主をたたえよ。
 主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
 詩編 103編2節


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