5000人の給食
1.無理難題のようにみえる指示をイエスは弟子たちに与えられた
イエスは弟子たちに、群衆に食べ物を与えるように命じられました。
これに対してイエスは、
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。
弟子たちは、
「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」
と言った。
マルコによる福音書 6章37節
しかし、それは不可能なことでした。
そこは人里離れた所で、群衆の数も100人200人ではなく、
成人男性だけでも5000人はいた、というのです。
大量の食糧を、必要としていたのです。
ひとりパン1個としても、そこに女性と子どもが合わせて5000人いたとすると
1万ものパンを、用意する必要があったことになります。
もし当時の1人分のパンが、今の100円であったとすれば、
現在のお金で、1万×100円=100万円が、必要とされていたわけです。
1デナリを今の5000円だったとすると、ちょうど200デナリオンになります。
ですから「100万円分のパンを、私たちが買ってくるというのですか!」
という、驚嘆の声になるわけです。
「絶対無理!そんなに買えるわけがない!」という結論に達します。
2.現状分析をするようにイエスは弟子たちに命じられた
しかしイエスは言われます。
「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」
現状分析の指示を、されるのです。
イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」
マルコによる福音書 6章38節(前半)
これに対して弟子たちは、反論するのでもなく従順に従って
群衆の中に、見に行くのです。
その結果、パンが5つと魚が2匹あることがわかります。
弟子たちは確かめて来て、言った。
「五つあります。それに魚が二匹です。」
マルコによる福音書 6章38節(後半)
パンが、まったくなかったわけではないのですが、
パンは2000倍しないと、1万人には足りませんし、
魚に至っては、5000倍と、どう考えてもまったく足りないわけです。
現状分析をした所で、あるのはほんのわずかでした。
必要量の、1000分の1以下だったのです。
そんなものが何の役に立つかという、そういう結果だったのです。
3.最終的な解決をイエスご自身が弟子たちの手を通してなされた
ところが、イエスは失望落胆するわけでもなく、他の手段を講じようとするのでもなく
そのたった5つのパンを取り、賛美の祈りをした後で、
弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配されるのです。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
マルコによる福音書 6章41節
結局、そこにいた全員が満腹するわけですが、
5つのパンと2匹の魚で、十分だったということなのです。
それ以上なくても、大丈夫だったのです。
すべての人が食べて満腹した。
マルコによる福音書 6章42節
弟子たちにとっては、わけのわからないような出来事だったでしょう。
「なぜ、5つのパンがこんなに増えていくんだ?」
「なぜ2匹の魚が、こんなに増えるんだ?」
誰一人予想もしなかったような解決を、イエスはなされているのです。
誰もが首をかしげるような、不思議なみわざだったのです。
もしそのようなことが起きると想定していた弟子が、ひとりでもいたら
五つのパンと二匹の魚が見つかった時点で、
「イエス様、もう大丈夫ですね!」と喜んでいたことでしょう。
誰も想定しなかったことが、起きていたのです。
むすび.イエスは無理難題に思えるようなことにも解決を与えて下さる
はじめのイエスの指示は、何て無茶苦茶な命令をするのだろう?
と思われても仕方がないような、命令でした。
しかし、無理難題と思えていたことが、イエスの手によって
いとも簡単に、解決してしまうのです。
おまけに、大量のパンくずのあまりまででているのです。
イエスは、足りないものを十分満たして下さり見事に解決して下さっています。
私たちは、足りないことや自分ではとてもできない事を嘆く必要はないのです。
無理だと嘆いて、落胆する必要もありません。
現状分析して、自分にあるものを喜んで惜しまずにささげれば良いのです。
あとは、イエスがやってくださるのです。
安心していれば良いのです。
イエスは、私たちを通して必ず素晴らしいみわざをして下さいます。
【今日の聖書】
パンを食べた人は男が五千人であった。
マルコによる福音書 6章44節