癒された人を見ても信じなかった
ペトロとヨハネは、生まれつき足の不自由だった人をイエスの名前によって癒し、
そのことによって集まってきた人々に、イエスが神の救い主だと語りました。
しかしその癒された人を見ても、ペトロの話を聞いても信じない人は信じませんでした。
ペトロとヨハネは、議場に連れ出されます。
議場にいたのは、議員、長老、律法学者たちと大祭司たちでした。
次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。
大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。
使徒言行録 4章5〜6節
彼らは、ペトロの話を聴きます。
しかもこの時ペトロは、聖霊に満たされていたのです。
しかし、ペトロの話を聞いても、その癒された人を見ても、
彼らは、まったく信じようとしないのです。
それどころか、ペトロたちに対して「これ以上イエスのことを語るな」と脅すのです。
信じるどころか、まったくその逆なのです。
そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、
教えたりしないようにと命令した。
使徒言行録 4章18節
奇蹟を見たら誰もが信じるかと言えば、そうではなかったのです。
いくら素晴らしい癒しの奇蹟を見ても、聖霊に満たされた人の言葉を聞いても、
信じない人は、信じなかったのです。
見ることは、信じることに必ずしもつながらないのです。
どんなに素晴らしい奇蹟を見ても、
どんなに素晴らしい説教を聞いても、信じないことがあるのです。
この場合、聞く側の先入観が邪魔していました。
イエスは神の子などではない、メシア(救い主)ではないという先入観は
そう簡単には抜けなかったのです。
イエスの言動に対する誤解と、聖書の言葉の誤認識によって
間違った先入観が植え付けられてしまい、正しい理解が妨げられてしまい
どんなに奇蹟を見ても、信じられなかったのです。
【今日の聖書】
そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。
「あの者たちをどうしたらよいだろう。
彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住む
すべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。
しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、
今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」
使徒言行録 4章15〜17節