どういう時に嘘をついているか?
1.身の危険が迫った危機的状況で保身の嘘をつく
1.1 アブラハムは妻のことを妹ということにしてしまった
信仰の父アブラハムも、ある時嘘をついてしまっています。
エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。
「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。
エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、
わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。
どうか、わたしの妹だ、と言ってください。
そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、
あなたのお陰で命も助かるだろう。」
創世記 12章11〜13節
妻サライに対して、自分のことをアブラハムの妻ではなく
アブラハムの妹だと言うようにと、語っています。
「妹です」ということは、「妻ではありません」というのと同じことになります。
アブラハムはこの時、飢饉のためにエジプトに避難しているのですが、
そこにいるエジプト人を、恐れてしまい嘘を語ってしまったのです。
その地方に飢饉があった。
アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、
エジプトに下り、そこに滞在することにした。
創世記 12章10節
「もしやエジプト人は、私の妻を奪いとろうとして私を殺すかもしれない。」
その恐れから、保身のために、サライに「妹だと言いなさい」と命じたのです。
身に危険が及ぶと、保身を謀って嘘を言ってしまうという人間の弱さが露見しています。
1.2 イサクも妻のことを妹ということにしてしまった
イサクも同じことをしています。
その土地の人たちがイサクの妻のことを尋ねたとき、
彼は、自分の妻だと言うのを恐れて、「わたしの妹です」と答えた。
リベカが美しかったので、土地の者たちがリベカのゆえに
自分を殺すのではないかと思ったからである。
創世記 26章7節
もしや妻を奪いとるために、自分を殺すかもしれない。
そこで保身のために、妻リベカのことを「わたしの妹です」と語ったのです。
1.3 ペトロはイエスを知らないと3度も嘘を言った
ペトロは、イエスの弟子だとばれたら自分も捕らえられてしまうかもしれないと思い
イエスの弟子であったにもかかわらず、イエスを知らないと3度も嘘を言ってしまいます。
危機的状況で、保身のために嘘をついているのです。
するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、
じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、
ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
一時間ほどたつと、また別の人が、
「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。
まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
ルカによる福音書 22章56〜60節
イエスを知っていたにもかかわらず、
@「わたしはあの人を知らない」
A「いや、そうではない」
B「あなたの言うことは分からない」
と、3回も嘘を繰り返しているのです。
2.自分の欲しいものを得るために嘘をついて手に入れる
2.1 ヤコブは兄の名を語って父をだまして祝福を奪い取った
イサクの次男のヤコブは、父イサクをだまして祝福をエサウから奪い取ってしまいました。
ヤコブは、父のもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけた。
父が、「ここにいる。わたしの子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、ヤコブは言った。
「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。
さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、
お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」
創世記 27章18〜19節
ヤコブは祝福を与えてもらうために、父イサクに対して自分のことを
「長男のエサウです。」と、堂々と語っているのです。まったくの偽りです。
父の目が悪くなっているのをいいことに、毛皮を手などに蒔きつけ
毛深かったエサウのふりをして、まんまと父をだましてしまったのです。
そのため、双子の兄エサウに殺意を抱かれてしまうのです。
結局、家を出て逃亡生活を余儀なくされてしまいます。
兄をだましたという罪悪感は、20年経ってもヤコブから消えることがありませんでした。
故郷に帰る途中、エサウが400人と共に迎えに出ていると聞いて
ヤコブは恐れおののくのです。20年前についた嘘の刈り取りを、迎えてしまったのです。
2.2 ゲハジはナアマンに嘘を言って贈り物を受け取った
エリシャの従者ゲハジは、エリシャがナアマンから贈り物を受け取らなかったので
ナアマンを追いかけていき、嘘を言って贈り物を受け取ってしまいます。
神の人エリシャの従者ゲハジは、
「わたしの主人は、あのアラム人ナアマンが持って来たものを
何も受け取らずに帰してしまった。主は生きておられる。
彼を追いかけて何かもらってこよう」と言って、ナアマンの後を追った。
ナアマンは彼が後を追って来るのを見て、
戦車から飛び降り、彼を迎え、「どうかなさいましたか」と尋ねた。
彼は答えた。
「何でもありません。
わたしの主人がわたしを遣わしてこう言いました。
『今し方預言者の仲間の若い者が二人エフライムの山地から着いた。
彼らに銀一キカルと着替えの服二着を与えてほしい。』」
列王記下 5章20〜22節
ナアマンに嘘を語ったゲハジは、エリシャにも嘘を言わなければならなくなります。
彼が主人のところに来て立つと、エリシャは、
「ゲハジ、お前はどこに行っていたのか」と言った。
ゲハジは、「僕はどこにも行っていません」と答えたが、
列王記下 5章25節
ナアマンの所に言ったにもかかわらず、「僕はどこにも行っていません」と
平然と嘘をつくのです。
その結果ゲハジは、ナアマンのかかっていた病気になってしまうのです。
ナアマンの重い皮膚病がお前とお前の子孫にいつまでもまといつくことになるのに。」
ゲハジは重い皮膚病で雪のようになり、エリシャの前から立ち去った。
列王記下 5章27節
3.人からの称賛を得たいがために嘘をつく
3.1 アナニアとサフィラはごまかして献げ物をした
初代教会の人々は、土地や家を持っている人が皆、
それを売っては代金を持ち寄り、必要に応じて分配していました。
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。
土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、
使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、
おのおのに分配されたからである。
使徒言行録 4章34〜35節
しかしアナニアとサフィラは、畑を売った代金をごまかしました。
ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、
妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
使徒言行録 5章1〜2節
別に、信徒は全員「土地を売ってささげなければならない」
という事では、なかったのです。
売らないままでも、まったく問題はなかったのです。
売らないでおけば、あなたのものだったし、また、
売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。
どうして、こんなことをする気になったのか。
あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
使徒言行録 5章4節
3.2 アナニアとサフィラは称賛を得たかっただけ
おそらく彼らも「畑を売ってささげた素晴らしい人だ!」と
称賛を受けたかったのでしょう。全額ではないのに、代金の一部なのに
あたかも畑を売った全額のように言って、ささげてしまったのです。
ペトロは彼女に話しかけた。
「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」
彼女は、「はい、その値段です」と言った。
使徒言行録 5章8節
妻のサフィラは、堂々と「全額です」と嘘を言っているのです。
アナニアとサフィラは、両方とも嘘を言ったその場で息絶えてしまいました。
3.3 アナニアとサフィラは死んでしまい教会は非常に恐れた
その後、教会全体に非常に大きな恐れが沸き上がるのです。
教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。
使徒言行録 5章11節
そして、神を恐れた教会に、大きな神のみわざが起こっていくのです。
使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。
一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、
ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。
しかし、民衆は彼らを称賛していた。
そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。
使徒言行録 5章12〜14節
その結果、多くの人々が救われて行ったのです。
偽りが取り除かれた教会に、神を恐れて偽りを遠ざけた教会に
素晴らしい神のみわざが、起こっていったのです。
むすび.偽りを捨てよ!
ゲハジやアナニアとサフィラだけでなく、
アブラハムもイサクもヤコブも、ペトロも嘘を言ってしまったのです。
罪人である人間は、誰しもこのように嘘をつきやすいのです。
保身のため、欲望のため、名誉のために、思わず嘘を言ってしまうのです。
けれども、偽りは捨て去るべきものです。
信徒だったのにアナニアとサフィラは、故意に嘘を言ったため死んでしまいました。
だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、
悪口をみな捨て去って、
ペトロの手紙一 2章1節
今日もあらゆる偽りから、離れて生きられるように
神に祈りつつ生きていきましょう!
だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。
わたしたちは、互いに体の一部なのです。
エフェソの信徒への手紙 4章25節
【今日の聖書】
「命を愛し、
幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、
唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、
平和を願って、これを追い求めよ。
主の目は正しい者に注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
ペトロの手紙一 3章10〜12節