今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2020/2/12(水)

 

神の力が十分に発揮される状況とは?

1.素晴らしい体験はともすれば高ぶりの原因に

 人とは違う素晴らしい体験をすると、どうしても自慢したくなってきます。
 それが、自分以外の誰も体験できないような体験であればあるほど
 その度合いが強くなります。

 「私はこんなすごい体験したんですよ!すごいでしょう?」
 「あなたたちは、こんな素晴らしい恵みは体験したことないでしょうね?」
 こうなってくると、せっかくの素晴らしい体験もマイナスになってきます。

 せっかくの恵みの体験が、自慢の種にしかならなくなってしまうのです。
 自慢は人より自分を高める高慢であって、自己中心に他ならないのです。
 自己中心は、隣人愛の正反対であり罪です。

2.パウロはあまりにもすばらしい体験をした

 パウロは、すごい体験をしていたようです。
 パウロの言葉を借りれば「あまりにもすばらしい」体験をしたようです。

 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。
 それで、そのために思い上がることのないようにと、
 わたしの身に一つのとげが与えられました。
 それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、
 サタンから送られた使いです。
 コリントの信徒への手紙二 12章7節

 「あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。」と語っていますが、
 何のことなのでしょうか?
 それは、その前の部分を読むと、わかります。

 わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、
 その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。

 体のままか、体を離れてかは知りません。
 神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。

 体のままか、体を離れてかは知りません。
 神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、

 人が口にするのを許されない、
 言い表しえない言葉を耳にしたのです。
 コリントの信徒への手紙二 12章2〜4節

 パウロは、「その人は」と第三人称で語っていますが、それに引き続いて、
 「あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。」と語り
 「そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に...」と続いています。

 「なんだ、それじゃあパウロは自分のことを語っていたんだ!」と気づきます。
 パウロ自身が、14年前に第三の天にまで引き上げられ、
 人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたということなのです。

3.すばらしい体験をしたパウロには「とげ」が与えられた

 「こんなに素晴らしい体験をした私は、すごいでしょう!」と
 自然に、知らず知らずのうちに自慢や高ぶりが湧いてきてしまうのです。
 そのためパウロには、肉体に「とげ」と言うべき弱さが与えられました。

 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。
 それで、そのために思い上がることのないようにと、
 わたしの身に一つのとげが与えられました。
 それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、
 サタンから送られた使いです。
 コリントの信徒への手紙二 12章7節

 神は、パウロが思い上がることのないように、
 パウロの身に、一つの「とげ」となるべきものを、与えられたのです。
 そしてパウロが高ぶらないように、なされたのです。

 すると主は、
 「わたしの恵みはあなたに十分である。
  力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」
 と言われました。
 だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、
 むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
 コリントの信徒への手紙二 12章9節

むすび.パウロにはとげが必要だった

 パウロにとって、「とげ」は取り去られて欲しいものでした。
 パウロは、このために3度も祈っています。

 この使いについて、離れ去らせてくださるように、
 わたしは三度主に願いました。
 コリントの信徒への手紙二 12章8節

 けれども、取り去られませんでした。
 「とげ」は、パウロにとって必要だったのです。
 「とげ」によってパウロは、自分自身の弱さを痛感していくことになるのです。

 生粋のユダヤ人であり、聖書知識も豊富にあり、ローマ市民権も持ち
 ヘブライ語だけでなく、ギリシア語も話せ、才能に長けたパウロに必要だったのは
 自分自身の弱さの認識だったのです。

 神の力は、弱さの中でこそ十分に発揮されるのであって
 自分はできる、自分は強い、と思っている時には発揮されないのです。
 弱さの認識が十分にあるところにこそ、神の力は十分に発揮されるのです。

 私たちも、自分の方が人よりできる、人より自分の方がうまくやれる、
 人よりも自分の方が強いという思いを捨てて、
 自分は、単なる弱く小さな罪人に過ぎないという認識で、

 神の力が、弱さの中でこそ十分に発揮されるのを信じて待ち望みましょう!

 【今日の聖書】
 すると主は、
 「わたしの恵みはあなたに十分である。
  力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」
 と言われました。
 だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、
 むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
 コリントの信徒への手紙二 12章9節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新