今日のできごと


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2020/12/30(水)

 

目的が何であるか

1.元旦礼拝はすべきなのか、すべきでないのか?

 明日は大みそかで、明後日は新年最初の日です。
 一年が終わり、新しい年に移り変わる時期に来ました。
 元旦は、新しい年の初めの日(の朝)です。

 @「元旦だから、絶対元旦礼拝をして一年を始めるのが良い」と考える人と、
 A「元旦だからといって特別視せずに、いつも通りで良い」と考える人がいます。
 B「元旦を特別扱いするのは、日本の歳徳神としとくじん(姫神)崇拝の伝統によるものなので
  元旦を特別扱いする異教のやり方を真似すべきでない」と考える方もいます。

 ※歳徳神は、その年の福徳を司る神として、陰陽道で定められていて
  恵方巻の恵方というのは、歳徳神がその年に存在している方向のことを言うそうです。

2.聖書には何と書いてある?

 それでは聖書では、元旦礼拝についてどう書いてあるでしょうか?
 「一月一日の朝には、必ず礼拝をしなさい」と書いてあるでしょうか?
 旧約聖書には、この日に「聖所を清めるように」とは、記されています。

 主なる神はこう言われる。
 「一月一日に、あなたは無傷の雄牛の子一頭を取って、
  聖所を清めねばならない。
  祭司は贖罪のいけにえの血を取って、
  それを神殿の門柱と祭壇の台となっている段の四隅と、
  内庭の門柱に塗らねばならない。
 エゼキエル書 45章18〜19節

 しかし聖所や祭司や動物のいけにえは、イエス・キリストの到来によって
 すでにその役目を終えていますので、キリスト来臨以降は
 聖所を清める必要も、なくなっています。

 使徒言行録2章によると、ペンテコステ直後は
 毎日、神殿に集まって礼拝していたということですから
 元日であろうとなかろうと、特別ではなかったようです。

3.私たちはどうすべき?

 それでは、私たちは元旦礼拝をすべきなのでしょうか?
 それとも、元旦を特別視することは控えるべきないのでしょうか?
 私たちは、一体どうすべきなのでしょうか?

 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、
 すべての日を同じように考える人もいます。
 それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。
 特定の日を重んじる人は主のために重んじる。
 食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。
 また、食べない人も、主のために食べない。
 そして、神に感謝しているのです。
 ローマの信徒への手紙 14章5〜6節

 パウロのいた時代から、教会の中には
 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、
 すべての日を同じように考える人もいたというのです。

 どちらがいいのかというと、
 それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことだというのです。
 「特定の日を重んじる人は主のために重んじる。」とあるように

 特定の日を、重んじる人も重んじない人も、
 その動機と目的が、問われているのです。
 「何のためにそうしているのか?それは主のためなのか?」ということです。

 もしその動機と目的が「主のため」であるなら、
 どちらの行動でもOKだというのです。
 もしその動機と目的が、「主のため」でないのであれば

 どちらも、NGなのです。良くないことになってしまうのです。

むすび.それを主のために行なっているのかどうか

 元旦礼拝だけでなく、クリスマスやイースターも同様です。
 聖書の中に、キリスト降誕の記録や、キリスト復活の記録はあっても
 降誕を毎年祝っていたか、復活祭を毎年祝っていたかということになると

 そういう祝いをしていたという記録は、ないのです。
 降誕のお祝いなどしていたとは記されていませんし、復活の話は
 特別にイースターという日を決めずとも、毎回毎回語られていました。

 毎日がイースターのように、復活のメッセージを語る日々だったのです。
 クリスマスもイースターも元旦礼拝も、すべて後から
 加えられていったものなのです。文化的要素が強いのです。

 結局の所、元旦礼拝にしろクリスマスにしろイースターにしろ
 各自が、自分の心の確信に基づいて決めるべきことなのです。
 もし異教の習慣を真似てはいけないと考えるのであれば、やらなければいいのです。

 もし「やることを通して、福音がより多くの人に伝わるんだ
 やることこそ、主のためになるんだ」と考えるなら、実行に移すのです。
 大事なのは何をするかでなく、何の目的で行うのかということなのです。

 【今日の聖書】
 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、
 すべての日を同じように考える人もいます。
 それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。
 特定の日を重んじる人は主のために重んじる。
 食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。
 また、食べない人も、主のために食べない。
 そして、神に感謝しているのです。
 ローマの信徒への手紙 14章5〜6節


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