過酷な状況下でのイエスの誕生
1.イエスは、飼葉おけに寝かされた
生まれたてのイエスは、飼葉おけに寝かされました。
宿屋には、彼らの泊まる余地がなかったからだといいます。
ここから、何がわかるでしょうか?
イエスが、おそらく家畜を飼う場所で生まれたのだろうことがわかります。
吹きさらしだったか、小屋だったのか、岩穴だったのか、一切記されていませんが
伝承によると、おそらく洞窟だったのではないかと言われています。
そこに、羊飼いたちがやってくることになるのですが、
一般的にクリスマスカードの絵などでは、ロマンチックに描かれています。
星空で、きれいな飼葉おけで、かわいらしい羊や、優しい目をした牛がいたりして、
のどかな、きよらかな、美しい情景で描かれています。
しかしよく考えてみれば、実際は過酷な状況だったことがわかります。
旅先の家畜小屋で出産したわけです。苦労しなかったはずがないのです。
2.イエスは、過酷な状況下で誕生された
(1)長旅による流産の危険
ナザレからベツレヘムまで、100キロ以上の長旅です。
しかも臨月です。生まれる前に死んでしまう危険性がとても大きかったのです。
(2)泊まるところを探し回るというヨセフとマリヤの苦労
ヨセフは、出産間近の妻を同伴しつつ宿泊場所を探し回らなければなりませんでした。
いくつもまわったと考えられますが、ことごとく断られています。その失望感。
(3)泊まる部屋がないというヨセフとマリヤの肉体的、精神的ダメージ
旅の疲れを癒す風呂もなければ、寝床もやわらかい布団もない、
寝られない、休めない、妊婦にとってのダメージは大きかったはずです。
(4)家畜小屋という劣悪な環境
家畜の鳴き声、動く音。さらに家畜の糞尿が垂れ流されている非衛生的環境。
当然悪臭がただよいます。悪臭から逃れたくても、
そこに泊まらなければならないのです。(もしかしたら動物不在だった??)
(5)出産に必要なものが整っていない
産湯、産着、助産師さんなど家畜小屋に備わっているわけもなく、
飼葉おけなどあるものを使って、自分たちで何とかしなければなりませんでした。
(6)自宅からも実家からも遠く離れた旅先
泊まれなかったということは、おそらく真に頼りになる友人や親類が、
ベツレヘムにはいなかったのでしょう。頼れる人がいない孤独な状況です。
(7)残虐な悪王ヘロデの支配下
マタイの福音書2章16節によれば、ヘロデは、怒りのあまり、
ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させています。
一言で言えば、「ひどい」の一言に尽きます。
今風に言えば、文字通り「最悪」です。
そんな中で、イエスは誕生されたのです。
3.イエスは、さらに過酷な状況で死なれた
誕生もひどかったのですが、死はもっとひどかったのです。
凄まじいばかりの苦痛に耐えつつ、十字架で血潮を流して死んでいかれたのです。
ひどい、最悪、絶句を通り越した姿です。
誕生や、十字架のひどさ。それはすべてわたしたちのためだったのです。
イエスは、そのひどさを受けるために生まれてこられたお方なのです。
それもわたしの身代わりにです。これこそが本当の愛の姿なのです。
イエスは、私たちのために命を捨てるために生まれてきてくださったお方です。
わたしたちは、この愛で愛されているひとりひとりなのです。
言い換えれば、私たちはイエスの愛で愛されるために生まれてきたのです。
むすび.今日もイエス・キリストの愛に応えて生きよう
イエス・キリストが、こんなに私のために苦しんでくださった方ならば、
私たちは喜んで、イエス・キリストに仕えていきたいと願うのです。
今日も、イエス・キリストの愛に応えて生きていきましょう!
【今日の聖書】
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、
登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに
行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、
ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムという
ダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に
登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、
マリアは月が満ちて、初めての子を産み、
布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
ルカによる福音書 2章1〜7節