弟子とせよ
1.キリストの命令は「弟子とせよ」だった
イエスが復活後天に帰られる前に、弟子たちに次のように言われています。
だから、あなたがたは行って、
すべての民をわたしの弟子にしなさい。
マタイによる福音書 28章19節(前半)
「すべての民をわたしの弟子にしなさい。」というのです。
2.弟子は師と同じわざを行なう
弟子は、その師と共に行動し師のわざを自分のものとして行きます。
落語家や職人になるためには、師匠の所に弟子入りをします。
そして弟子は、師と同じことができるようになることを目指します。
イエスが「弟子としなさい」と言われているなら、
その弟子は、イエスと同じことをすることを要求されていることになります。
イエス・キリストは命がけで、人々を愛されました。敵をも愛したのです。
もしも「私はキリストの弟子です」というのであれば、
イエス・キリストのなさったように、隣人を愛するのです。
キリストが命がけで人を愛されたように、そのように私たちも愛するのです。
わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。
ヨハネによる福音書 15章12節
3.ステファノはまさにキリストの弟子だった
ステファノは、まさにキリストが愛したように人を愛した人でした。
それから、ひざまずいて、
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。
ステファノはこう言って、眠りについた。
使徒言行録 7章60節
自分を殺そうとしている人たちのことを、愛しているのです。
「彼らに罪を負わせないでください」すなわち「彼らを赦して下さい」と
神に祈っているのです。
この祈りこそまさに、イエス・キリストの十字架の上の祈りだったのです。
そのとき、イエスは言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです。」
ルカによる福音書 23章34節(前半)
キリストの弟子というのは、こういうことなのです。
4.聖霊の力と愛によってキリストの業を行なうことができる
はっきり言っておく。
わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、
また、もっと大きな業を行うようになる。
わたしが父のもとへ行くからである。
ヨハネによる福音書 14章12節
キリストの弟子は、イエスが行なう業を行なうのです。
キリストのなされた業を、私たちも行うことができるのです。
復活したイエスが父の元に行かれ、聖霊を私たちに注いでくださるからです。
人間でもできるのです。ステファノはまさに、そうでした。
彼は、聖霊と知恵に満ちていたのです。だからできたのです。
ステファノ自身の力ではなかったのです。聖霊の力と愛だったのです。
信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、
使徒言行録 6章5節(抜粋)
むすび.私たちも聖霊によって主の業を行い弟子として生きる
イエス・キリストを信じた人は、このようなキリストの弟子として
キリストと同じ愛の業を、行なっていくのです。
そのために必要な力と愛は、聖霊が与えて下さるのです。
今日も、主の弟子として一日を歩んでいきたいと願います。
【今日の聖書】
だから、あなたがたは行って、
すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書 28章19〜20節