神により頼んで生きる
1.土台は神
人間は、神により頼んで生きるように造られています。
自立して生きるためには、神という土台の上にしっかりと立っている必要があります。
神は、私たちの土台の岩なのです。
主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
主はわたしの岩、砦、逃れ場
わたしの神、大岩、避けどころ
わたしの盾、救いの角、砦の塔。
詩編 18編2〜3節
土台の岩があるから、私たちは自立して立てるのです。
もし、そこが沼地ならどうでしょうか?
自分で立とうとしても、決して立つことはできません。
沈むだけです。
あえて立とうとするならば、沼以外の何かしっかりとした物に
つかまる必要があるでしょう。
岩の上ならしっかりと立てるのですが、ぬかるみ、泥沼、薄氷の上などは
しっかりと立つことはできません。滑るか、沈むか、ころぶか、いずれかでしょう。
堅く立つためには、土台の岩がどうしても必要なのです。
そしてその岩こそ、主なる神なのです。
神以外を岩としようとして、私たちは大けがをしてしまうのです。
苦しみの時の避けどころは、神です。逃れ場は神のふところなのです。
2.神以外に土台はない
神以外を逃れ場としてしまうと、大きな問題が生じるのです。
酒は避けどころにはなり得ません。一時的に忘れさせるだけです。
ギャンブルも同じです。薬物も様々な快楽も、同様です。
何か辛いことがあって、逃げ場を捜し、
神以外のもの、すなわち酒やギャンブル、ゲームやテレビ、動画やネットなどに
逃げ込んでしまうなら、中毒になります。のめり込んで抜けられなくなります。
それらは、一時的な快楽を与えてくれはしますが、真の解決になっていないので
もう一杯、もう一回、もっともっとと続いてしまい、
続けても続けても、真の解決になっていないので、永遠と続いてしまうのです。
3.逃れ場は神
ちょうど泥沼に立とうとしてしまい、立つことができずに
もがけばもがくほど、沈んで行ってしまう、そういう状況に陥ってしまうのです。
神以外に土台はないのです。私たちの逃げ場は、神なのです。
真の依存先を、神ご自身にしなければならないのです。
酒やお金や物などではなく、神にするのです。
もちろん、人でもありません。神ご自身なのです。
人間に頼らず、主を避けどころとしよう。
君侯に頼らず、主を避けどころとしよう。
詩編 118編8〜9節
どんなに親しい人であっても、頼りになる人であっても
力強い人であっても、賢い人であっても、豊かな経験がある人でも、
信仰深い人であったとしても、真の逃れ場にはなり得ません。
神だけが、堅固な土台である岩であり、確かな逃れ場なのです。
神により頼めば、大丈夫です。もはや倒れることはありません。
神こそ、私たちの造り主であり、私たちを最も良く知っておられるお方なのです。
むすび.神のもとに逃げ込め!
今日、もし辛くて悲しくて苦しくて、どうしようもなく大変な状況であるなら
今すぐに、神のもとに逃げ込みましょう。
神は必ず、助けて下さいます。神は約束を守られる、真実なお方なのです。
私たちが真に助けを得られる所は、神のみもとです。
真の依存先は、神なのです。より頼んで、その上にしっかりと立つことができる場所は
岩である神だけです。
神以外に、真の逃れ場はないのです。
神に信頼して、神のもとに逃れましょう!
神こそ、私たちの寄って立つべき岩だからです。
【今日の聖書】
どこまでも主に信頼せよ、
主こそはとこしえの岩。
イザヤ書 26章4節