今日のできごと


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2020/1/11(土)

 

どうしても

1.神は「ヤコブの神」と名乗られた

 モーセに対して、神はご自身のことを、
 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」
 と言われました。

 神は続けて言われた。
 「わたしはあなたの父の神である。
  アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」
 モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。
 出エジプト記 3章6節

 アブラハムは信仰の父と言われるほどの人物であり、
 イサクはそのアブラハムの子であり、ヤコブは孫にあたります。
 神への信仰は、アブラハムから、イサク、ヤコブへと引き継がれて行ったのです。

2.ヤコブはベニヤミンを手放せなかった

 ただ、アブラハムとの差があります。
 神がアブラハムにイサクを献げなさいと言われた時に、アブラハムは
 神の前に躊躇なくイサクを献げています。
 (最終的にイサクではなく雄羊がささげられましたが)

 しかし、ヤコブはアブラハムと違い、愛する子ベニヤミンを
 なかなか手放すことが、できませんでした。
 ベニヤミンだけ、特別扱いなのです。

 飢饉のときにヤコブは、ヨセフの兄たちについては
 平気で、エジプトへの旅路につかせるのですが
 ベニヤミンだけは、兄たちと一緒にエジプトに行かせないのです。

 ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄たちに同行させなかった。
 何か不幸なことが彼の身に起こるといけないと思ったからであった。
 創世記 42章4節

 災いが降りかかってはならないということで、自分の元に留め置くのです。
 「じゃあ兄たちに降りかかってもいいのか?」ということになりますが、
 それほど、息子たちの中でベニヤミンを溺愛していたことが伺えます。

3.ヤコブはベニヤミン依存だった

 アブラハムから信仰を受け継いでいたヤコブでしたが、
 愛する妻ラケルの産んだ子「ベニヤミン」が、
 ヤコブの心の中で、大きなウェイトを占めるようになっていました。

 それは、ヤコブの子のひとりユダが語った言葉からも自明です。
 「父の魂はこの子の魂と堅く結ばれています」と、ユダは語っています。
 「父ヤコブの魂はこの子ベニヤミンの魂と堅く結ばれています」というのです。

 今わたしが、この子を一緒に連れずに、あなたさまの僕である父のところへ帰れば、
 父の魂はこの子の魂と堅く結ばれていますから、
 この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。
 そして、僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。
 創世記 44章30〜31節

 ヤコブは、「ベニヤミン依存」であったといってもいいほどなのです。
 もしベニヤミンがいなくなったら、死んでしまう程だというのです。
 これはもはや、正常な親子関係ではありません。

むすび.ヤコブはベニヤミンを手放した

 あのヤコブでさえ、愛する我が子ベニヤミン依存になったのです。
 私たちも同じ弱さを持っているのです。子ども依存ではなくても、
 その他のものに依存してしまいやすいものです。

 真の依存先は、主なる神です。
 ヤコブも最後はベニヤミンを手放しています。
 そこからヤコブの考えを超えた、回復が始まっていくのです。

 【今日の聖書】
 どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、
 もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。
 このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」
 創世記 43章14節


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