どんな時でも
1.パウロとシラスは獄中で賛美の歌を歌っていた
1.1 深夜の獄中で賛美を献げていた
パウロとシラスは、フィリピの牢獄に入れられた時、賛美を歌っています。
真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、
ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
使徒言行録 16章25節
賛美する
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@賛美を歌う,歌で神をほめ称える.
A〜を賛美して歌う,〜を称えて歌う.
1) to sing the praise of, sing hymns to
2) to sing a hymn, to sing
2a) singing of paschal hymns
these were Psalms 113 - 118 and 136,
which the Jews called the "great Hallel"
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パウロとシラスが賛美を献げていたのは、牢獄の中です。
しかも、真夜中です。暗い牢獄の寂しい真夜中に、賛美を歌っていたのです。
1.2 悪霊を追い出しただけで投獄されていたのだが賛美を献げていた
彼らは、占いの霊につかれていた女性から、霊を追い出した結果、投獄されていました。
彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、
パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。
「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」
すると即座に、霊が彼女から出て行った。
使徒言行録 16章18節
ただ、女性から占いの霊を追い出しただけなのに
彼らは、鞭打たれ、投獄されてしまったのです。
正当な理由もなく、理不尽な理由で訴えられて、責められていたのです。
不当な訴えなのだから、女の主人たちに対して、きちんと反論したら良かったのに!
高官たちにも、事情を説明して弁明すれば良かったのに!
何も言わずに、なされるがままなんて、はたから見たら負け犬と一緒だ!
そう思えないでしょうか?
けれども、そのような弁明や反論など何一つせずに、なされるがままで
投獄されて、その獄中で賛美を献げているのです。
1.3 鞭打たれた痛みと、足枷がはめられた状態で賛美を献げていた
パウロたちは、アジア州からマケドニア州に渡り、遠くフィリピまでわざわざやって来て、
何度も何度も鞭で打たれ、挙句の果てに、牢獄に入れられてしまったのです。
しかもそれは、一番奥の牢でした。
そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、
看守に厳重に見張るように命じた。
この命令を受けた看守は、
二人をいちばん奥の牢に入れて、
足には木の足枷をはめておいた。
使徒言行録 16章23〜24節
足には木の足かせがはめられて、身動きもままならない状態です。
しかも何度も鞭で打たれた後ですから、打ち傷が激しく痛んでいたことは
想像に難くありません。そんな中で賛美を献げていたのです。
2.周囲の人は誰一人クリスチャンではなかった
2.1 周囲に賛美している人たちがいると辛い時でも賛美できる
辛い目に会った時、周囲に慰め励ましてくれる人がいると
苦しみが和らぎます。力づけられます。
さらに、打ちひしがれた心が回復へと向かっていきます。
周囲に賛美している人たちがいると、辛い時でも賛美できるようになるのです。
2.2 パウロたちの周囲にいたのは神を知らない囚人たち
しかし、パウロとシラスの周囲には慰め励ましてくれる人はひとりもいませんでした。
逆に、周囲にいたのは囚人たちです。
投獄されているということは、何らかの犯罪を犯したためだったと考えられます。
ということは、囚人たちは、失望落胆したり、絶望的になっていたり、
苦々しい憎しみにあふれていたり、汚い思いに満ちていたり、
そんな、表情だったのではないでしょうか?
2.3 クリスチャンがおらず賛美とは程遠い環境で賛美を献げていた
苦しみを受けたパウロたちは、励まし慰めてくれる人たちに囲まれていたのではなく
逆に、失望落胆し、苦々しい憎しみの思いに満ちているような
そんな人たちに囲まれていたと考えられます。
そんな中で、神に向かって賛美の歌を歌っているのです。
辛い中で、周囲の人たちに助けられて支えられて賛美を歌っていたのではなかったのです。
逆に神を呪うことこそすれ、賛美など決してしないような人たちの中で歌っていたのです。
3.投獄される前も苦々しい顔に囲まれていた
3.1 パウロたちは、女の主人たちに強制的に捕らえられ連行された
パウロたちが、投獄される原因になったのは、
占いの霊に取り憑かれていた女性の
主人たちの訴えでした。
ところが、この女の主人たちは、
金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、
パウロとシラスを捕らえ、
役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。
使徒言行録 16章19節
女性の主人たちは、この時どんな顔をしていたでしょうか?
苦々しい憎しみに満ちた顔だったと、考えられます。
そしてパウロたちを怒鳴りつけ、脅し、力づくで強制的に連れて行ったことでしょう。
彼らは、群衆たちの前で高官たちにパウロたちを強制的に引き渡すのです。
暴力的であったことは、間違いありません。
罵声が飛び交い、怒鳴りつけられていたに違いありません。
3.2 パウロたちは、群衆の責め立てる声を浴びていた
この時そこにいた群衆の顔は、どんな顔だったでしょうか?
群衆も一緒になって二人を責め立てたので、
高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。
使徒言行録 16章22節
群衆は二人を責め立てています。
にこやかな顔で責め立てる人はいなかったでしょう。
苦々しい憎しみに満ちた顔で、責め立てていたと考えられます。
何も悪いことをしていないのに、こんなに大勢の人々から
罵声を浴び続けなければならない、責め立てられなければならない
凄まじくひどい状況だったのです。
3.3 パウロたちは、高官たちの高圧的で問答無用の冷徹な命令を聞いた
高官たちは、二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じています。
冷酷な無慈悲な顔で、「問答無用!」と、高圧的に語っていたことでしょう。
女性の主人たちも、群衆も高官たちも、誰一人パウロたちに優しく語っていないのです。
憎しみにあふれた厳しい顔で、パウロたちを見ていたはずです。
そして看守に引き渡されて、投獄されたのです。
しかも一番奥の牢獄に入れられたのです。そして、そこで真夜中に賛美しているのです。
むすび.どんな時でも賛美しようと決断する
辛く苦しい時でも、喜んで賛美している人たちに囲まれていれば、
自分もつられて、賛美できてしまうことがあるかもしれません。
けれども、周囲にそんな人が一人もおらず、誰からも受け入れられずに
逆に憎しみに満ちた顔に囲まれ、冤罪で訴えられ、怒鳴りつけられ、脅され、
強制されて、力づくで捕らえられ、鞭で打たれ、傷が痛み、投獄され、
足枷をはめられて自由を奪われたそんな時に、誰が賛美できるでしょうか?
しかし、パウロとシラスは賛美しているのです。
囚人たちが聴き入るような、真実な賛美を神に献げていたのです。
祈りは神の力を呼び込みます。本来できないことも、
普通なら絶対できないようなことも、できるようにされるのです。
聖霊の力は、私たち人間の力をはるかに超えているのです。
私たちがすることは、どんな時でも「賛美しよう」と決断することです。
誰一人周囲に受入れてくれる人がいない、逆に苦々しい
憎しみに満ちた人たちだけの中で、パウロたちは賛美をささげました。
私たちが賛美すべき時は、そういう時なのです。
【今日の聖書】
真夜中ごろ、
パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、
ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
使徒言行録 16章25節