主は与え、主は奪う
ヨブには10人の子どもたちがいました。
7人の息子たちと、3人の娘たちです。
しかし、全員死んでしまいます。そして財産もすべて失ってしまいます。
その時ヨブが語っている言葉が、これです。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
全権を主に委ね、失われたものに心奪われることなく
何が起ころうとも、主をほめたたえる姿がそこにあるのです。
「主がなされることは、いつも最善である」という神への揺るぎない信頼が
ヨブの心の中に、常にあったのです。
もし神への信頼がなかったら、失われたものに固執して
いつまでも嘆き、呻き、失望落胆していたに違いないのです。
神のなされることは、いつも最善なのです。
ヨブの苦しみについては、直接はサタンが手を下したことではありますが、
それを許しておられたのは、主なる神なのです。
神は、あえてサタンがヨブの財産と子供を奪うことを、ゆるしておられたのです。
ヨブはサタンによって、財産と子供を奪われましたが、
たとえそれらが一切なくなってしまっても、ヨブは素晴らしい信仰告白をしているのです。
サタンはヨブを貶めようとしましたが、逆にヨブの信仰の素晴らしさを
暴露することになってしまったのです。
サタンのやったことは、逆効果そのものでした。
【今日の聖書】
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
ヨブ記 1章21〜22節