今日のできごと


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2018/9/25(火)



ダビデ王の失敗

1.ダビデは姦淫の罪を犯した

 ダビデ王はある時、大層美しい女性を目にします。

 ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。
 彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。
 女は大層美しかった。
 サムエル記下 11章2節

 しかし、それは部下のヘト人ウリヤの妻バト・シェバでした。
 部下のウリヤは、ダビデの三勇士ではありませんでしたが、
 ダビデの勇士三十人の中に名前が記されています。

 ヘト人ウリヤ。
 サムエル記下 23章39節(前半)

 ヘト人ウリヤ。
 歴代志上 11章41節(前半)

 ウリヤは、ダビデの30勇士の一人だったのです。
 戦場で活躍していた、ダビデの家臣の勇士ウリヤでしたが、
 ダビデはその妻バト・シェバを王宮に招き入れて、床を共にしてしまいます。

 ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、
 彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。
 彼女は汚れから身を清めたところであった。
 女は家に帰ったが、サムエル記下 11章4節

 何という裏切り行為でしょうか!

2.ダビデは罪を隠そうとして更に殺人の罪を犯した

 そしてウリヤの妻は、ダビデによって身籠ってしまうのです。
 ダビデはバト・シェバの妊娠を聞くと、あわてます。
 隠そうとするのです。ごまかそうとするのです。

 ダビデは、王の権威を用いてウリヤを戦場から連れ戻して、
 妻と一緒にさせようとしますが、うまくいきませんでした。
 ウリヤは、家に戻ろうとしないのです。

 ウリヤはダビデに答えた。
 「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、
  わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、
  わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、
  妻と床を共にしたりできるでしょうか。
  あなたは確かに生きておられます。
  わたしには、そのようなことはできません。」
 サムエル記下 11章11節

 流石に30勇士のひとりだけあって、その態度は見事です。
 ウリヤは実によくできた人物であったことが、伺えます。
 結局ダビデは、そんな立派な勇士ウリヤを戦場で殺してしまおうと考え、

 当のウリヤにヨアブ宛の手紙を託し、
 その手紙の中で、ヨアブにウリヤを戦場で殺すように命じてしまうのです。
 そしてそれが、ヨアブの手によって、実行されてしまったのです。

 「ひどすぎる!何ということか!」と思わないでしょうか?

 書状には、
 「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、
  戦死させよ」と書かれていた。
 サムエル記下 11章15節

 ダビデは誘惑に負けて、姦淫の罪を犯してしまいますが、
 更に権力を私的に行使して、自分の犯してしまった罪を隠そうとして、
 殺人の罪を犯し、ウリヤの妻を彼の手から、奪ってしまったのです。

 喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。
 彼女は男の子を産んだ。
 ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。
 サムエル記下 11章27節

 ダビデは何とひどい罪を犯したのだろうか!と私たちは思います。
 王の権威を用いて部下の妻を王宮に招き入れ、
 姦淫の罪を犯し、それを隠すために王の権威を用いて、

 その夫を、戦場で間接的に殺してしまう、
 まるで、暴君の独裁者のような行動です。
 ダビデも、紛れもない罪人だったのです。私たちと同じです。

3.ダビデは罪を指摘されて罰を受けた

 その後、預言者ナタンを通して、神はダビデに罪を示されます。
 ダビデは真実に悔い改めましたが、生れ出た子は死んでしまいます。
 さらに神はダビデに対して、大きな罰をお与えになりました。

 それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。
 あなたがわたしを侮り、
 ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』
 サムエル記下 12章10節

 剣が家から去らないとは、家庭の中で骨肉の争いが続くということです。
 そしてそれは、その通りになってゆくのです。
 娘タマルが、腹違いの息子アムノンに犯され、

 アムノンは、タマルの兄アブサロムによって殺され、
 ダビデ自身も、アブサロムから命を狙われ、王宮を追われることになります。
 結局アブサロムも、家臣ヨアブの手によって殺されてしまいます。

 罪の結果もたらされた罰は、あまりにも大きなものでした。
 王としての位は保持されましたが、自分の娘を自分の息子に犯され、
 さらに息子を2人も失うことになってしまったのです。

 さらに言えば、息子アドニヤも自分が王になろうとして
 ソロモン王の時代に、ソロモン王から遣わされた
 ヨヤダの子ベナヤの手によって、殺されてしまいます。

 息子同士での殺し合いが、続くのです。
 バト・シェバの最初の子供を含めれば、ダビデ王の4人の息子が
 死んでしまったことになります。

むすび.ダビデは罪を悔い改めて死の罰を免れた

 このような大きな罪を犯し、その罰を受けたダビデでしたが、
 罪を指摘された後、ダビデが真実に神のみ前に悔い改めている点は、
 素晴らしいところです。

 一旦は、罪を隠そうごまかそうとして、殺人を犯してしまったダビデでしたが
 もう自分の罪を隠そうとはせず、言い訳をして自己正当化しようともせず、
 「自分はもう終わりだ」「これで何もかもおしまいだ」などとも考えず

 神の前に身を低くして、罪を素直に悔い改めています。
 この姿勢こそ、同じ罪人である私たちも見習うべき姿勢だと教えられます。
 罪を隠さず、言い訳をせず、自己正当化せず、自暴自棄にならず

 真実に悔い改めること、これこそが私たちに求められていることです。

 ダビデはナタンに言った。
 「わたしは主に罪を犯した。」
 ナタンはダビデに言った。
 「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。
 サムエル記下 12章13節

 もしダビデがこの時悔い改めていなければ、死の罰を免れることなく
 確実に神によって、命を絶たれていたことでしょう。
 悔い改めたダビデは、死を免れただけでなく王位も継続させてもらっているのです。

 神の憐れみ以外の、何ものでもありません。
 ただし、神はダビデの罪は赦されましたが、ダビデに大きな罰をお与えになりました。
 その罰は、私たちに罪を安易に考えてはいけないことを教えてくれます。

 故意の罪から、力の限り遠ざかるのです。わかっていながら罪を犯さないことです。
 また罪を犯してしまった時は、隠さずにダビデのように素直に悔い改め
 神の元に立ち返るのです。神は必ず憐れんでくださいます。

 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
 打ち砕かれ悔いる心を
 神よ、あなたは侮られません。
 詩編 51編19節

 神はダビデの姦淫の罪と、殺人の罪を赦されたのです。
 神の赦しの深さと高さは、私たちの思いをはるかに超えています。
 「もうこんな罪を犯したら、神の前に赦されないだろう」という罪を

 神は、見事に赦されているのです。
 この神の愛の大きさを、信じることがとても大切です。
 自分の罪の大きさを知れば知るほど、神の愛の深さ広さ高さを体験するのです。

 【今日の聖書】
 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
  ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンが
  ダビデのもとに来たとき。】

 神よ、わたしを憐れんでください
 御慈しみをもって。
 深い御憐れみをもって
 背きの罪をぬぐってください。
 わたしの咎をことごとく洗い
 罪から清めてください。
 詩編 51編1〜4節


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